GoogleからAI研究の中心人物が相次いで去った。「Geminiは終わった」という見方に対し、「最先端ではなく、AIを社会全体に行き渡らせる“電力網”で勝つ賭けだ」という別の解釈もある。電気の歴史になぞらえながら整理する。
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「Geminiは終わった」。そんな厳しい見方が広がっている。象徴的なのが、2024年のノーベル化学賞を共同受賞したDeepMindの2人を巡る動きだ。2026年6月19日、AlphaFold(タンパク質の立体構造を予測するAI)を主導したジョン・ジャンパー(John Jumper)氏が、約9年在籍したDeepMindを離れてAnthropicへ移籍した。共同受賞者は、DeepMindを率いるデミス・ハサビス(Demis Hassabis)氏である。その数日後にはAlphaFoldの中核メンバー2人も移籍し、7月末には、AlphaFoldの専任チームが解体されていたことも判明した(Financial Timesの報道)。
そして8月5日、そのハサビス氏が日常の運営から一歩引いた。同時に、Googleエンジニアリングの中心人物だったジェフ・ディーン(Jeff Dean)氏が退社し、Googleも出資する新研究所「Discovery Loop」を立ち上げることになった。DeepMindの研究担当幹部やGoogle Brainの共同創業者ら3人も同行する。DeepMindの日常運営は、CTO(最高技術責任者)だったコーレイ・カヴクチュオール(Koray Kavukcuoglu)氏が引き継いだ。Geminiの指揮も同氏が担う。
こうした一連の動きを厳しく評価したのが、半導体業界の調査会社SemiAnalysisだ。長年の消極的な計算資源配分と、官僚的でリスクを避ける文化が招いた結果であり、DeepMindはもうフロンティアラボ(最先端のAIモデルを開発する研究所)ではない、と評した。ところが、同じ事実から正反対の結論を導いた人物がいる。オライリー・メディア創業者のティム・オライリー(Tim O'Reilly)氏だ。
オライリー氏が8月8日の記事「Googleのウェスティングハウス的な賭け」で持ち出したのは、電気の歴史である。トーマス・エジソンは電球と発電所を実用化した最先端の英雄だった。だが電気を社会全体に行き渡らせるレースに勝ったのは、交流送電を選んだジョージ・ウェスティングハウス(George Westinghouse)だった。最先端を走る者と、普及で勝つ者は必ずしも同じではない。同じことが今起きているとすれば、Googleは負けたのではなく、勝つ価値のある別のレースを選んだことになる。
どちらの読み方を採るかで、この先の予想が変わる。最先端モデルの性能競争がAI活用の中心であり続けるのか、それとも「十分に賢く、安く、速い」モデルが日常に溶け込む方が本命なのか。オライリー氏の記事には、後者を裏付ける理論と、それを検証するための基準、そして記事自体に付いた反論までが並んでいる。
――ここからは『Deep Insider Brief』恒例の“ひと言コメント”として、この記事を読むときに押さえておきたい「もう1つの事実」を先に挟んでおく。その上で、両陣営の読み方を順に追っていく。
Deep Insider編集長の一色です。こんにちは。
ここ数カ月で「最先端モデルの性能で勝つことだけが、AI競争の勝ち方ではない」と考える大手テック企業が出てきたと感じています。最初にそれを強く意識したのがMicrosoftでした。サティア・ナデラ(Satya Nadella)CEOは6月4日のインタビューで、「5000億パラメーターのモデルと50億パラメーターのモデルで同じ成果を出せるなら、なぜ50億の方を使わないのか」と語っています。さらに6月中旬のXポストでは、「最先端モデル」だけでなく、それを広く使える「最先端のエコシステム」を築くことの重要性を訴えました。この論点は以前、私も記事化しました。
そして今回、Googleも同じ方向へ一歩踏み出したように私には見えます。もちろん、最先端モデルの開発をやめるという話ではありません。ただ、「最も賢いモデル」を作ることだけに価値を置くのではなく、“十分に賢いAI”を安く、速く、自社製品やクラウドを通じて広く使えるようにする。モデル単体の性能競争から、AIを動かすインフラやエコシステムまで含めた競争へと、重心を移しつつあるのではないでしょうか。オライリー氏の主張は、まさにこの発想だと思います。
ここには、クラウドを持つ大手テック企業ならではの事情もありそうです。AIモデルそのものは競争が激しく、性能差も縮まり、価格も下がっていく。一方、モデルを動かすための計算資源やクラウド、企業向けサービスには、より継続的な事業機会があります。より多くの計算資源を研究や大規模な学習に使いたい研究側と、それをクラウド事業や顧客向けサービスに振り向けたい経営側との間で、優先順位がずれ始めているのではないでしょうか。
実際、Googleではその緊張がかなり具体的な形で表れていました。8月5日のわずか2週間前、スンダー・ピチャイ(Sundar Pichai)CEOは、「AGI(汎用《はんよう》人工知能)の最先端で競争するための計算資源を最優先する」と説明しています。その一方で、DeepMindの一部研究者は、野心的な研究に必要な計算資源を十分に得られないことに不満を募らせていたとCNBCなどが報じています。オライリー氏の記事が描くのは「別のレースへの戦略転換」ですが、現場で起きていたのは、「限られた計算資源を誰に回すのか」という極めて具体的な問題でした。
では、オライリー氏が描いたその「別のレース」とは何なのか。ここから中身を見ていきましょう。
SemiAnalysisは、「これがGoogleにとって破滅を意味する」とは書いていない。クラウド事業の方がはるかに大きな経済機会だからだ。同社の推計では、GeminiのARR(年間経常収益)は2026年第2四半期で120億ドル。これに対し2027年末までに、Google Cloudは第三者向けAIインフラで730億ドル超、TPUの販売で1200億ドルに達するという。
実際の数字も伸びている。Alphabetの直近四半期のクラウド売上は248億ドルで、前年同期比82%増だった。AWSの37%増、Azureの43%増を上回る。ただしGoogle Cloudの数字には対象範囲の違いがあるため、単純な横並び比較はできない。
ただしSemiAnalysisは、これを前向きな転換とは見ていない。同社はこの構図を、IBMがPCから撤退してメインフレームとコンサルティングに戻った例、Intelがパット・ゲルシンガー氏の大胆な賭けから後退し既存のチップ事業を重視した例に並べている。いずれも短期的な収益性を優先する一方で、長期の競争力を損なった例だという見方である。もうかる事業に退くことと、競争に勝つことは別だという指摘である。
エジソンが推した直流は、送電距離が短いという弱点を抱えていた。一方、ウェスティングハウスは、ニコラ・テスラの交流特許を買い取り、1893年のシカゴ万博の照明、1896年のナイアガラからバッファローへの長距離送電を実現した。
最先端を走っていたのはエジソンである。しかし電気を社会全体に行き渡らせる競争で勝ったのはウェスティングハウスだった。
最先端で勝った者と、普及で勝った者オライリー氏はこの見立てを、政治学者ジェフリー・ディン(Jeffrey Ding)の著書『Technology and the Rise of Great Powers』で補強する。汎用技術(経済全体に広く応用される基盤的な技術)においては、最先端分野の支配よりも、経済全体への普及(diffusion)の方が国力を決める、という主張だ。記事では次の例が挙げられている。
この枠組みでGoogleを見ると、SemiAnalysisの主張とは違う姿が見えてくる。
Google CloudのCEOであるトーマス・クリアン(Thomas Kurian)氏は以前から、TPUを「汎用インフラ」にしたいと語ってきた。Gemini向けだけでなく、投資会社のシタデルや米エネルギー省にも提供する構えである。競合であるAnthropicに計算資源を売ることについても、「プラットフォーム企業なら当然の帰結」だと擁護している。
この動きが合理的に見える理由もある。オープンウェイトモデル(モデルの重みパラメーターが公開され、計算資源さえあれば誰でも自前で動かせるAIモデル)が推論(学習済みモデルで実際に答えを出す処理)の価格を押し下げ続ければ、モデルの最先端性は半導体製造のような立場になり得る。戦略的には極めて重要だが、単独事業としてはもうからない、という状態だ。
さらにオライリー氏は、Googleは最先端で勝たなくても「すそ野(幅広い日常利用)」を支配できると指摘する。Gemini Flash系の軽量モデルによって、すでにGoogle検索のAIモードを巨大な規模で動かしており、利用者数もテレメトリ(利用状況データ)もほぼどの競合より多い。加えてAndroid、Chrome、検索、Playという配信力がある。第二次産業革命を動かしたのは巨大な発電機ではなく、無数の小型モーターだったという比喩も添えられている。
ここで注意が必要な点がある。記事の結論部で、オライリー氏は明確にこう留保している。
なお、オライリー氏の記事公開後の8月13日、Reutersは「ブリン氏がGeminiの開発加速を社内に求め、再帰的自己改善の研究にも経営資源を振り向けるなど、AI開発への関与を強めている」と報じた。
記事全体の書き方も慎重である。オライリー氏は、SemiAnalysisの読み方が間違っているとは言わず、「同じ事実に、もう一つのシナリオも当てはまる」という形で自分の解釈を示す。エジソンとウェスティングハウスの比喩をGoogleに重ねることについても、「こじつけかもしれない」と自ら留保をつけている。つまり彼が書いているのは断定ではなく、仮説の提示である。
ただし彼は、判定の基準もはっきり置いている。ディンの枠組みで本当に重要なのは、GoogleがTPUをたくさん売るかどうかではない。そのTPUが、経済の他の部分での生産性向上イノベーションの補完財(それがあることで別のものの価値が高まる財)になるかどうかだ。オライリー氏は、OpenAIやAnthropicも、そしてその顧客も、汎用技術の普及がもたらすはずの広範な生産性向上をまだ探している状態だとも書いている。
なお、この記事のコメント欄では、イラン・ストラウス(Ilan Strauss)氏が別のリスクを指摘している。
「日常のAIを握れば強い」という話に対して、「そもそも、消費者の日常行動の“入り口”をAIエージェントに奪われ、Googleは裏側のAPI供給者になるかもしれない」と反論しているわけだ。
最良の知能を作った者が勝つのか、それとも“電力網”を作った者が勝つのか。オライリー氏の結論は、Googleは勝つのをやめたのではなく、勝つ価値のある別のレースを選んだのかもしれない、というものだった。これからGoogleがどうなるのか、勝者となるのか、AI関連の存在感が変化していくのか、引き続きウォッチを続けたい。
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