2軍からの再挑戦 過去の実績はどこかへ置いて、今の目標に集中する:転機をチャンスに変えた瞬間(15)〜プロ野球選手 石井琢朗
「監督、私を2軍に落としてください」―― スランプだからこそ、原点に戻りゼロからやり直す。そうして気付いた大切な気持ちとは。
野手転向2年目にして、盗塁王とゴールデングラブ賞を獲得した石井琢朗さん。その後オールスターの常連選手となり、ショートのポジションへコンバートしてからも、ベストナインに輝く活躍振りを見せる。しかし、もはや押しも押されもせぬ球界不動のリードオフマンとなった彼に、突然、不調の波が押し寄せる。
2002年に打率が2割8分を下回り、翌2003年には2割3分1厘という、野手転向後最悪の数字になった。周囲から限界説や若手との世代交代がささやかれ、監督から先発落ちを命じられると、自ら志願してレギュラー定着後、初の2軍行きを選択する。
若者たちと、汗まみれ、泥まみれになってあえぐ日々。そこで彼は、何を見つけ、どのように這い上がり、2000本安打達成の大記録へと登り詰めたのだろうか──。
過去にしがみつかなければ、新たな一歩を踏み出せる
丸山 2000本安打の大記録が視野に入ってきた折りに、突然襲ってきたスランプ。キャリアは好調な時期ばかりではないけれど、実は不調な時期にこそ人をさらなる成功へ導く手掛かりがあるようにも思います。
石井 初めて不調を経験するまでは、攻めの気持ちだけで、どんな逆境にも耐えて突っ走ってきました。
僕にとっての野球は、それまでは趣味や特技の延長線上にありました。それが、子どもが生まれて家族が増えたことで、野球を職業として意識し過ぎ、弱さが出ました。精神的に守りに入ってしまったのです。
2002年に1500本安打を記録して、「1年間に150本ずつ打っていれば、数年で2000本はいけるな」といったことを考えるようになったのです。すると「2000」という数字が重くのしかかり、ぼろぼろに崩れていきました。
不調の時は精神的にきつくて、気持ちが暗く落ち込みました。「不調からなかなか復調できずに引退していく選手って、こんな感じなんだろうな」と考えたり。人って守りに入ると、こんなにまで脆いものなんだと思いました。
丸山 自ら2軍落ちを志願し、若者との生存競争に身を置かれたそうですね。石井さんの野球人生を振り返ると、「いつでも原点へ回帰できるが故の強さ」を感じます。
石井 「明日からリフレッシュしろ」と監督にスタメンを外された時、自分のポジションに代わりの選手がいるのをベンチから見ることが、果たして気分転換になるのかなと思えたのです。逆にストレスがたまるんじゃないかと。
だから翌日、自分から「2軍に落としてください」と監督にお願いしました。とにかく、選手としてのキャリアを全てリセットして、もう一度初心に戻って、攻めの気持ちで野球に取り組んでみようと思ったのです。
他人にはどう見えていたのか分かりませんが、精神的にどん底でした。でも考えてみれば、ドラフト外で入団した時も、野手に転向した時も、ゼロから、どん底からのスタートだった。それなら、またその下積み時代に戻ってやり直せばいいだけではないかと。
2軍で若い選手に交じって大声を出して、汗や土埃にまみれて野球ができて、「よし、またここから這い上がってみよう」と、原点に帰れました。もし、あのまま1軍でくすぶっていたら、たぶんそのままだったような気がします。
丸山 そこから華々しい復活をされ、「ミスターベイスターズ」として、2000本安打や通算安打の球団記録更新などさらなる輝きを放たれました。ここに至るまでに最も必要だったと思われる精神を一つだけ挙げるとすると何だったのでしょうか?
石井 振り向かないこと、でしょうか。ひとまず過去の実績はどこかへ置いて、いつでも現在の目標に一生懸命になって挑戦すること。
例えばカープへの移籍についてもそうです。長年お世話になった横浜というチームが大きな変革を迎えている。将来性を考えた選手の起用をしていて、僕がチームを去ることがプラスになるのなら、僕は若手にチャンスを与えるべきかもしれない。そう悟っていた部分もありました。
ならば僕は、過去にしがみつかずに、新たな一歩を踏み出してみようと。移籍が決まったら、ずっともやもやしていたもの、背負っていたものを全部下ろして、新鮮で、すがすがしい気持ちで、また挑み始められたのです。
構成/平山譲
聞き手 丸山貴宏
クライス&カンパニー 代表取締役社長
リクルートで人事採用担当を約7年経験後、現社を設立。転職希望者面談数は1万人を超え、その経験と実績に基づいたカウンセリングは業界でも注目されている。「人の根っこのエネルギーを発掘する作業が、われわれの使命」がモットー。著書「キャリアコンサルティング」(翔泳社)
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※この連載はWebサイト「転機をチャンスに変えた瞬間」を、サイト運営会社の許可の下、一部修正して転載するものです。データなどは取材時のものです。
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