収入も成功する保証もゼロ。それでも挑戦したかった転機をチャンスに変えた瞬間(9)〜野球審判員 平林岳

平林岳さんは、かつて日本のプロ野球審判員試験で不採用になったことがある。夢を断たれた男が、その時とった行動とは――

» 2014年01月27日 00時00分 公開
転機をチャンスに変えた瞬間〜野球審判員 平林岳の場合

 中学生時代から「選手」ではなく「審判員」に憧れ、まっしぐらに夢へ向かって前進してきた平林さん。しかし大学卒業後に満を持して受験した日本プロ野球、セ・パ両リーグの審判員試験は、知識や技術ではなく、視力不足によって不採用となってしまった。

 しかし、平林さんは諦めなかった。当時はまだ先進的だった視力回復手術を受けて米国に飛び、ベースボールの母国で審判員になることを目指したのだ。米国人に交ざって審判学校で学び、言語の壁を越え、日本人初の米国プロ野球審判員となった。メジャーリーグという最高峰に挑む審判員の、転機をチャンスに変えた瞬間とは──。

平林岳(ひらばやし たけし) 野球審判員

平林岳

1966年 兵庫県生まれ。

1992年 米国ジム・エバンス審判学校に入学、日本人初の米国プロ野球審判員となる。パ・リーグの審判員を経て、2002年同校に再入学。ミッドウェストリーグ(ミドルAクラス)、アドバンスドAクラス、サザンリーグ(ダブルAクラス)を経て、2009年に日本人初のトリプルAクラス審判員になる。

2012年シーズンからは、NPBの審判技術委員を務めている。


収入ゼロ、成功する保証もゼロ。それでも挑戦したかった

丸山 なぜ「野球選手」ではなく、裏方ともいえる「審判員」になろうと決意されたのか、そのきっかけから教えていただけますか。

平林 子どものころは、プロ野球の選手になることを夢見ていました。でも中学生のときに、プロになるには努力だけではなく人並み外れた才能が無ければ無理だと感じてしまったのです。

 残念ながら、僕にはそれがなかった。レギュラー選手でしたが、たまに試合から外されることもある程度でしたから。つまり選手としての自分を早々に見切ってしまったというわけです。そんな折に、テレビでプロ野球の中継を見て、「プロのグラウンドに立てるのは選手だけじゃない、審判員という道があるじゃないか」と気付いたのです。

 それからは「審判員としてトップになる」という目標を自分の中でイメージし始めました。プロの審判員になるなら高校までは野球をしていなければならないだろうからと、甲子園ではなく、審判員だけを目指して部活動にも励みました。だから練習試合では、誰もやりたがらない審判員を、率先してやっていましたよ(笑)。

丸山 そこまで鮮明に将来像を描いていたにもかかわらず、日本のプロ野球審判員試験では、視力不足で不採用に……。ショックであると同時に、就職しなければならないという現実に直面して悩まれたのでは?

平林 不採用と決まった数日後には、角膜に切れ目を入れて視力を上げる手術を受けていました。悔しいというより、「まだ諦めることなんかできない」と思ったのです。とはいえ、ぶらぶらしているわけにもいかず、ファミリーレストランの店長候補として就職しました。

 もちろん夢を諦めたわけではなく、(仕事が夜間勤務だったので)日中は草野球の審判員をして腕を磨いていました。しかし不眠の仕事は体にきつく、1年で退職して一般企業に再就職しました。そして1992年、米国には審判学校があって、そこで試験に合格すればメジャーリーグの審判員も目指せることを知り、思い切って渡米したのです。

 実は、米国まで行ったのはケジメを付けるためのようなものだったのです。審判学校で実力を第三者に判断してもらって、もし駄目なら断念しようと。そうしたら、意外にも受かってしまって(笑)。

丸山 初めての米国での生活は、慣れないことも多かったと想像できます。しかもマイナーリーグは選手ですら俸給が十分でないと聞きますから、いくらやりたい職業だったとはいえ、苦労も相当だったのでは?

平林 渡米する際、収入はゼロ、成功する保証もゼロでした。それでも僕は、自分が好きなことに、とことん挑戦してみたかったのです。1000万円ぐらいなら、日本で何とかして稼ぐ自信がありました。でも、その1000万円と引き替えにしてもいい価値が、僕の夢にはあると思ったのです。

 渡米直後は満足に英語も話せなかったけれど、生活しているうちにいろいろなことに慣れていくだろうと楽観していました。でも、すぐに英語が上達するはずもなく、審判員を始めて1年くらいはコミュニケーションできずに、しんどい思いをしました。報酬は月給22万円ほどで、楽に暮らせないのはもちろん、給料がもらえるのはシーズン中だけなので、オフには別の仕事をするために日本に戻らなくてはなりませんでした。

 それでも自分で選んだ職業ですから、苦労を苦労とも感じずに挑戦できたんでしょうね。時々「僕は幸せ者だ」と思うときがあるんです。だって「本当にやりたい、心から好きだ」といえる職業に出会えたのですから。

構成/平山譲


聞き手 丸山貴宏

丸山貴宏

クライス&カンパニー 代表取締役社長

リクルートで人事採用担当を約7年経験後、現社を設立。転職希望者面談数は1万人を超え、その経験と実績に基づいたカウンセリングは業界でも注目されている。「人の根っこのエネルギーを発掘する作業が、われわれの使命」がモットー。著書「キャリアコンサルティング」(翔泳社)


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※この連載はWebサイト「転機をチャンスに変えた瞬間」を、サイト運営会社の許可の下、一部修正して転載するものです。データなどは取材時のものです。

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