ニューヨーク・メッツからコロラド・ロッキーズへ。突然の移籍を言い渡された松井さんは、その悔しさをどのように克服したのか
2006年、シーズン中突然のトレード移籍。ニューヨーク・メッツでは年間通じての活躍はできなかったが、新天地コロラド・ロッキーズでは二塁手として先発出場した。メッツ時代は、3年連続シーズン初打席本塁打(メジャー史上4人目の快挙)に象徴される長打力で観客を沸かせたが、ロッキーズでは1番や2番打者としての役割を再認識した。2007年、自己最多となる32盗塁を記録。また二塁手としても定着し、シーズン守備率.992は二塁手リーグトップという好成績だった──。
丸山 トレード移籍は会社員でいえば、自分の意思とは無関係という意味で「異動」かもしれませんし、「左遷」である場合もあるでしょう。プロ生活唯一のトレード移籍を通達されたとき、どんな心境でロッキーズ行きを受けとめましたか。
松井 正直、悔しかったです。これほど悔しいことはないというぐらいに。何がいちばん悔しかったかというと、打てる打てない、守れる守れないではなく、ケガをして試合に出られなかったことでした。治療に専念しているときは、テレビでさえ野球を一切見ませんでした。見てしまうと、試合に出られない自分が歯痒くてたまらなくなるから。
ロッキーズへ移籍する際に思ったのは、その悔しさを忘れてやり直すのではなく、悔しさを背負っていこうと。練習するとき、あえてあの悔しさを思い出して必死にやってみようと。ケガをしたから仕方がないで済ますのではなく、ケガも自分の責任と思い、ケガをしない体を作ろうと。
丸山 メッツからロッキーズへとトレード移籍後に、快進撃が始まりました。苦しかった時期を乗り越えて、ワールドシリーズ出場へと向かう過程において原動力になったのは、悔しさの他に、どんな思いだったのでしょうか。
松井 ケガをしているとき、1Aから3Aまで全てのカテゴリーのマイナーチームでプレーしました。そこで学べたのは、メジャーを目指している若い選手たちは、ハングリーなのはもちろんですが、野球が大好きなんだなということ。
楽しげに練習しているし、少しでも今の自分よりうまくなろうと、皆必死でした。大切なのは、成功とか失敗とかいう結果よりも、野球が大好きかどうか、それだけだなと。大好きなら、どんなにしんどいことにも、耐えられます。
例えば僕は、基本練習を大事にします。それは他人から見れば、単調でつまらない練習に思われるかもしれませんが、僕は基本がなければビッグプレーは生まれないと信じています。試合で1つの簡単なゴロを捕球するために、何千回、何万回とノックを受ける。そしてファインプレーができたとき、最高に気持ちいいですし、練習してきてよかったなと心から思えるんです。
丸山 自分が向上していかないとき、なかなか結果が出ないときは、どのようなことを考えて、過酷な練習や試合に臨むのでしょうか。
松井 不安になることはあります。このままで来年もやっていけるんだろうかとか、人には分からないプレッシャーを感じながらプレーしている部分もあります。そんなとき僕がすべきは、悩んだり落ち込んだりすることではなく、練習しかないと思うんです。
僕は打ったり守ったりする練習は好きな方ですが、長距離を走るのはあまり好きではない。それを、オフの時期に、あえてしっかり走り込む。1年を通じて戦えるだけの体力を、その走り込みで貯金するという考え方もありますが、僕は「これだけ練習したんだから、きっとまたやっていける」、そう信じるために走り込んでいる部分もあります。そして、シーズン中に、オフの間の練習を思い出して「あれだけやったんだから」と思うんです。
構成/平山譲
クライス&カンパニー 代表取締役社長
リクルートで人事採用担当を約7年経験後、現社を設立。転職希望者面談数は1万人を超え、その経験と実績に基づいたカウンセリングは業界でも注目されている。「人の根っこのエネルギーを発掘する作業が、われわれの使命」がモットー。著書「キャリアコンサルティング」(翔泳社)
※この連載はWebサイト「転機をチャンスに変えた瞬間」を、サイト運営会社の許可の下、一部修正して転載するものです。データなどは取材時のものです。
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