子育てと会社の成長を両立させる〜絵本ナビ流ワークライフバランスの創り方転機をチャンスに変えた瞬間(22)〜絵本ナビ 金柿秀幸(1/2 ページ)

週に5日家族と食事をするために、組織と仕組みを徹底的に合理化した――「絵本ナビ」代表金柿秀幸氏が考える、仕事と家庭を両立する会社作りとは。

» 2014年05月27日 18時00分 公開
転機をチャンスに変えた瞬間 ビジネス編
転機をチャンスに変えた瞬間

連載目次

 絵本の試し読みやレビューのシェアなどができる人気サービスを運営する「絵本ナビ」代表の金柿秀幸氏は、子育てを犠牲にしない働き方を自ら実践している。彼が起業する際に大切にしたポイントや、サービス誕生の経緯、そして子育てと会社の成長を両立させるためのワークライフバランス術について伺った。

ワークライフバランス(work life balance)=仕事と生活(人生)のそれぞれを、どちらも犠牲にすることなく働き続けること。

絵本ナビ 代表取締役社長 金柿秀幸(かながき ひでゆき)氏

金柿秀幸

1968年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、大手シンクタンクで民間企業の業務改革や情報システム構築、経営企画に従事。

2001年退職。子育て専念後に起業。2002年にWebサイト「絵本ナビ」をオープン、2003年「パパ's 絵本プロジェクト」を結成。NPO法人ファザーリング・ジャパン初代理事。

著書「幸せの絵本―大人もこどももハッピーにしてくれる絵本100選」他


同期トップからの転身

金柿秀幸氏

松尾 起業を考え始めたのはいつごろからですか。

金柿 学生時代からです。イオングループで経営者をしていた父の影響を受けました。実は中学生のころは、父の仕事がちょっと嫌でした。肌着やお弁当を売る商売と捉えていたので、思春期の中学生男子としては「格好悪いな」と(笑)。

 私が大学生になるころ、イオンが関連会社を次々と立ち上げ、父は米国の会社と合弁で作ったレッドロブスタージャパンの初代日本人社長になりました。そして最初の店が六本木にオープンし、テレビでどんどんコマーシャル(CM)が流れるようになりました。そのCMは、父が私たち家族に3つの案をビデオで見せて、「どれがいいか」とリサーチして決めたものでした。そうやって何も無いところからお店ができ、みんなに知られていく様子を見て、純粋に「すごい!」と思ったのです。

松尾 新しい事業が世の中に出ていく様子を、間近で見られたのですね。

金柿 米国への視察旅行にも同行させてもらいました。アラスカから入国し、ナパバレーに寄って、サンフランシスコまでプライベートジェットで飛ぶという行程で、「めちゃくちゃ格好いいな」と思いました。ゼロから何かが立ち上がってくるワクワク感と、本当に世界を股に掛けて事業をする格好良さがありました。

 そのとき「私もいつか、自分の生み出した商品やサービスを世に問いたい」という思いがふつふつと湧いてきました。ただ、当時は現在と起業の環境が違うこともあって、いろいろ考えたのですが、銀行系のシンクタンクである富士総合研究所(現みずほ情報総研)に就職しました。

松尾 なぜ、富士総合研究所だったのですか。

金柿 世の中の大きな潮流としてコンピューターが来ているということもあり、システムエンジニアの仕事を選びました。当時は「男は仕事だ」という美学がありましたので、深夜まで仕事をして、意識が無くなったらタクシーに乗って帰るという生活をしていました。長時間労働が美徳でしたね。

 そうこうしているうちに27歳で結婚し、会社の評価も非常に良く、100人ほどいる同期の中で最初に本部へ呼ばれ、経営企画のポジションに入れてもらいました。そのころは「このまま一生懸命働いていれば、給料がどんどん上がり、マイホームも買えて、すてきな人生が待っているのだろうな」と思っていました。

松尾 そんな金柿さんが起業したきっかけは何だったのですか。

金柿 出世街道まっしぐらという感じで頑張っていたのですが、頑張れば頑張るほど幸せから遠ざかっていく感覚もありました。会社の先輩たちを見ると、子どもから「今度いつ帰ってくるの?」と言われている。そういう私も、家庭生活がすれ違いになっていました。

 そんな時期に妻から子どもができたことを聞いて、ずっと抑えていた独立起業への思いが再び湧き上がってきたのです。このまま出世コースに乗って、子どもができ、家を買ってローンを背負ったら、もう勝負はできないだろう、と。

 家計のためには会社に勤め続けた方が良かったのかもしれないのですが、それだと、5年後、10年後のわが家をイメージしたとき、崩壊した家庭の姿しか思い浮かばなかったのです。いつも忙しくて、帰宅しても「お帰り!」と誰も言ってくれなくて、「何で『お帰り』と言わないんだ!」「だってお父さん、いつも家にいないじゃない!」と口論しているような。

原点は一人の父親としてのニーズ

松尾 起業したときは何歳でしたか。

金柿 33歳です。「独立するか」「会社に残るか」葛藤の連続でした。収入的に安定した道を外れるのは、やはりリスクです。その一方、情熱と過度の楽観主義、そして「俺ならできる」という根拠の無い自信が込み上げてもいました。

 悩んだ末に、2つの判断基準を設けました。1つは、子どもに胸を張れる生き方をしたいということ。自分で自分をマネジメントする生き方にチャレンジするのは、子どもに胸を張れる生き方だろう、と思いました。

 もう1つは70歳、80歳になった自分が今の自分を振り返ったとき、果たしてどう思うだろうかということ。今は迷っていても、未来の自分はきっと「行きたい方に行け!」と言うに違いない。そんな理屈を考えた上で決断し、会社に辞表を出しました。

松尾 起業当初は「この事業をやりたい」というものがあったわけではないのですね。

金柿 そうなのです(笑)。退職してから半年間、子育てをしながら事業立ち上げの準備をしました。その間に「もうかる商売って何だろう」と考えてプランを14個作ったのですが、友人に見せても「いまひとつだね」という感じで、全部ダメでした。

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