メジャーリーグにデビューするもケガに泣かされる日々。苦労の連続の中で、松井さんは何を考え、何をしてきたのか
松井稼頭央さんのメジャーデビュー戦は華々しかった。メジャー史上初となる、開幕戦新人初打席初球本塁打。日本人初の内野手メジャーリーガーの活躍に、ニューヨークのファンは熱狂した。しかし、日本では連続試合出場を続けてきたタフネスも、米国では度重なるケガに悩まされ、マイナーリーグでのプレーも経験。メジャー復帰後も打撃や守備で不振が続くと、ニューヨークのファンは一転、彼にブーイングを浴びせ始めた。長年親しんだ遊撃手というポジションから、二塁手へコンバート。思うにまかせぬ逆風の中で、松井さんを支えた精神とは──。
丸山 メジャー移籍後、特にメッツ時代は苦しい思いも経験されたわけですが、挑戦への後悔や、日本球界へ戻ることなどが脳裡をよぎるようなことはありませんでしたか。
松井 ケガをしたときや成績が残せなかったときは、苦しいと思ったこともありました。でも、自分の選択を後悔したことはありません。自分が挑戦したいと思って、ここへ来たんだから、そうした壁にぶち当たることを嫌だとは思わないようにしようと。
成功とか、失敗とか、そんなことは周りが勝手に結果論で評価してくれればいいことであって、自分自身は「結果は気にしない。野球がうまくなるために、ここへ来たんだ」という思いだけ持っていればいいかなと。それに、一番の味方である家族がそばにいてくれて、自分のために自分の野球をしてほしいといってくれて、それが支えにもなりました。
丸山 言葉の違いをはじめとする、さまざまな環境の変化があり、野球自体も日本とメジャーとでは違いもあった。そこにアジャストしていくことの難しさも肌で実感されたわけですが。
松井 言葉が通じなくても、チームメートの輪の中へ入っていかなければならなかったり。長距離で移動して、遠征先で試合後に深夜まで開いている夕食屋さんを探さなければならなかったり。それらを苦労と思えば、数え切れないほどの大変さが移籍後にはありました。いくら好きでも、毎日ハンバーガーばかり食べられないでしょ(笑)。
野球にしても、ストライクゾーンの違い、日本では見たこともない変化球や速球への対応など、当初は戸惑いもたくさんありました。もし日本にいれば、何不自由なかったかもしれません。
でも、苦労はしたくないけれど、誰もができる苦労ではないんだと。メジャーに挑戦しているからこその苦労なんだと。さまざまな環境の変化を、プラスに捉えて慣れようとしてきました。その上で、どうしても慣れないことは自分のスタイルを貫けばいいのかなと開き直ってみたりしました。
丸山 職場が変わったとき、その組織に馴染むために最も大切な要素は、どんなところだと感じますか。
松井 米国人からすれば、日本人である僕は外国人です。突然見知らぬ国からやってきた僕が、チームに仲間として溶け込むためには、やはり実力を見せること以外にないですよね。僕が日本にいたころ、外国人の助っ人選手が来るたびに、どれだけやるかを見ていましたから。
いくらナイスガイでも、大切な場面で打てなかったら誰も認めてくれません。それと同時に、自分自身をアピールすること以上に、チームにどれだけ貢献できるかを考えること。実力を示しながらも、チームプレーができるかどうかですね。
構成/平山譲
クライス&カンパニー 代表取締役社長
リクルートで人事採用担当を約7年経験後、現社を設立。転職希望者面談数は1万人を超え、その経験と実績に基づいたカウンセリングは業界でも注目されている。「人の根っこのエネルギーを発掘する作業が、われわれの使命」がモットー。著書「キャリアコンサルティング」(翔泳社)
※この連載はWebサイト「転機をチャンスに変えた瞬間」を、サイト運営会社の許可の下、一部修正して転載するものです。データなどは取材時のものです。
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