2013年11月、東北楽天ゴールデンイーグルスは球団創立後初の日本一に輝いた。攻守ともに優れたプレーでチームに貢献したのは、元メジャーリーガーの松井稼頭央さんだ
走攻守三拍子そろった華やかなプレーぶりの陰では、地味で粘り強い努力を続けてきた松井稼頭央さん。投手として高校時代に活躍しながらも、肘を痛めて3年生最後の夏は甲子園行きを逃した。プロ入り後に野手、そしてスイッチヒッターに転向し、走塁も、打撃も、守備も、一から練習を重ねてレギュラーの座をつかみ取った。そして、日本を代表する遊撃手に成長すると、さらなる高み、メジャーリーグに移籍。日本で築き上げた地位にしがみつくことなく、言葉や習慣も異なる海外へ渡り、再び、一からの挑戦を始めた。「世界一になる」という夢を追い続けるメジャーリーガーの、転機をチャンスに変えた瞬間とは──。
※この連載はWebサイト「転機をチャンスに変えた瞬間」を、サイト運営会社の許可の下、一部修正して転載するものです。データなどは取材時のものです。
丸山 まず、メジャーリーグという世界最高峰のリーグを意識し、目標に据えた時期ときっかけについて教えていただけますか。
松井 僕は幼いころから、日本のプロ野球しかテレビで見たことがなかったし、当然そこを目指して野球をしてきました。それが、実際にプロ入りし、1996年に日米野球に出場できたとき、初めてメジャーリーグを意識しました。
メジャーリーガーのプレーを間近に見て、実際に対戦してみて最初に感じたのは、とにかくこの人たちはスゴイなと。アレックス・ロドリゲス、ランディ・ジョンソン、ペドロ・マルチネス……。世界中から野球がうまい選手たちが集っているのがメジャーなんだと実感できましたし、上には上がいるものだなと。
それと同時に、そうした世界のトップクラスと一緒のフィールドで野球をしてみて、楽しいなとも感じたんです。皆個性豊かで、魅力的な選手ばかりで……。そのとき、いつかは僕もメジャーへ行ってみたいと思い、まずは日本で結果を残し、FAの権利を得たときには挑戦したいなと。
丸山 日本のトッププレーヤーに成長すると、2004年ニューヨーク・メッツへとFA移籍。「いつかは──」という思いを実現しました。
松井 野球に限らず、何かを追いかけている人ならば、まだ手にしていないものを求める気持ちは、止められないと思います。その「何か」が僕にとっては、「もっと野球をうまくなりたい」ということでした。
僕は、打撃なら10割打ちたいし、守備ならエラーなしというのを理想にしています。もちろん無理なことは分かっていますが、ミスを1つでも減らしたいという思いは常に持っています。そのためには、上の世界があるならそこに身を置いて自分をレベルアップしたかった、というのが正直な気持ちでした。
丸山 FA権を得たときには、日本に残ってそのままプレーするという選択肢もあったわけですが、迷いはありませんでしたか。
松井 日本の球界に育てていただいた恩があるわけですから、「迷いがなかった」といえば、うそになります。でも僕は、何かを得るためには何かを捨てなければならないと、先輩方から教わって育ちました。若いころ、年間を通じて試合に出るために、お酒も控え遊ぶこともやめて、練習に没頭した時期がありました。メジャー挑戦も、同じですよね。いままで日本で築き上げたものを守ることに興味はありませんでした。むしろ、一から米国に挑んでみたいと、そして自分自身の力を高めたいと、それだけでした。
構成/平山譲
「日本の30代、40代を熱くしたい」―― 日ごろこの世代の方々とお会いしていてずっとこんな思いがありました。そんな中、この思いに賛同していただいたお二人(メジャーリーグでエージェントをされている三原徹氏と、ノンフィクション作家の平山譲氏)のご協力を得て、ようやく実現した企画が「転機をチャンスに変えた瞬間」です。
第一線でご活躍されている方にも転機は必ずあったはずです。その転機でチャンスをつかんだ、ピンチをチャンスに変えたからこそ今の活躍があるのだと思います。その瞬間に働いたエネルギーの根っこにあるもの、ものすごいプレッシャーの中、精神を支えたものとは。ご登場いただく方々のメッセージを読んで、皆さんが熱く、熱くなっていただくことを強く祈念しております。
丸山貴宏
クライス&カンパニー 代表取締役社長
リクルートで人事採用担当を約7年経験後、現社を設立。転職希望者面談数は1万人を超え、その経験と実績に基づいたカウンセリングは業界でも注目されている。「人の根っこのエネルギーを発掘する作業が、われわれの使命」がモットー。著書「キャリアコンサルティング」(翔泳社)
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