第57回 Cellが見る夢、見せる夢頭脳放談

ソニー、東芝、IBMの共同開発によるプロセッサ「Cell」の概要がISSCCで発表された。「汎用」プロッサとはいうものの、何に使えるのだろうか?

» 2005年02月19日 05時00分 公開
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Cellのダイ Cellのダイ
2億3400万個のトランジスタを実装するが、90nmプロセスで製造されることから、ダイ・サイズは 221mm2と意外と小さい。写真で青く細長い部分がSPUである。

 毎年、この時期はISSCC(International Solid-State Circuits Conference:国際固体素子回路会議)ネタが必須である。ISSCCは半導体業界における最高峰の学会であるからして、その時点で最も注目度の高い研究結果が初めて発表される場となることが多い。幸いにして、目に見えもしないミクロなデバイスの上で戦っている半導体業界と無縁で、ISSCCいう名も聞いたことのない人には「半導体屋のオリンピック」だとたとえることにしている。あえてワールドカップ(W杯)といわないのは、「種目」が多い「総合的」な学会であるためである。分野ごとのW杯はまた別にあるのだ。しかしいずれにせよ、国家とはいわず、会社のメンツを背負った「ナショナリズム」の発揚の場であること、これまたオリンピックにもW杯にも通じるものがある。

 さて2005年は、ISSCCで「Cell(開発コード名:セル)」が発表されるということで事前から注目が集まっていた(ソニーのニュースリリース「IBM、ソニー、SCEI、東芝 次世代プロセッサ「Cell」の技術仕様を公開」)。いろいろな分野のデバイスが出場しているISSCCでも、やはりプロセッサの注目度は高いので、これまた当然か。ただ、ほかにも「ヘテロ(ヘテロジニアス)」で「マルチ」なプロセッサは出場しているのに、何でCellだけ、という気もするのである(「ヘテロ」で「マルチ」なプロセッサについては、「第50回 マルチコアが進むとx86はOS専用プロセッサ?」を参照のこと)。ひねくれ者の筆者には、ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)を含めたIBMと東芝の3社連合でなければこれほど注目を集めないようにも思えるのである。

●Cellはちょっとうさんくさい?

 最初からいっちゃ悪いが、Cellのうさんくささというのは、IBM、東芝、ソニー・コンピュータエンタテインメントの3社連合という、その枠組みに現れている。Cellを担ぐ会社が立派であるから、きっとCellは凄いもので、いろいろなところに使われて大成功するのだろう、と思ってしまうのは「取りあえず」間違いだろう。大体、連合して鳴り物入りで始めたプロセッサで、共同開発の枠組みのまま、つぎ込んだリソースに見合った成功を収めたものがあるだろうか。連合により大きなリソースを動かせるのは事実であるが、半面、それぞれの会社の思惑というか利益を保ちながら折り合いを付けてやっていく大変さもある。ビジネス的には個別でやる方がよっぽど動きが速い。それでも連合しないとできないのは、すでに先端マイクロプロセッサの開発そのものが巨大な開発投資を伴うリスクの大きすぎるものになってしまった、ということであるのかもしれない。

 連合してのマイクロプロセッサ開発について、IBMは実はかなり経験豊富である。IBMという巨大さと、半導体部門の相対的な規模の小ささ、その割にハイエンドに特化した非常に高い技術力のアンバランスさが、IBMをして、そういうプロジェクトに走らせるバッググラウンドになっているように思われる。すでにお家芸といってもよいかもしれない。MotorolaとPowerPCを開発しただけでなく、こういう協業に一番不向きそうなIntelとも組んで一時期x86プロセッサを開発したこともあるくらいだ。作ったものの性能はそう悪くはないし、個性的ですらある。またPowerPCなど、ビジネス的にもそこそこ成功している。IBMの半導体部門的にはハッピーそうだが、いつもプロジェクトの当初に存在している短絡的な世間の過大な期待とはギャップがあったものである。

 Cellには、PlayStation 2に搭載されているエモーション・エンジンの「次」の展開を考えたいソニー・コンピュータエンタテインメントと、超大型商品であるエモーション・エンジンの「次」もぜひ製造を続けたい東芝と、単独ではリソースの負担とその売り先に不安のあるIBMのそれぞれの思惑と同床異夢が透けて見えるように思われる。でも、これは筆者のやっかみかもしれない。

 東芝なんかは、社内にマルチメディア向けのほかのアーキテクチャも持っていたはず。そういえばIBMとMotorolaが組んだときも、Apple Computerへのマイクロプロセッサの供給を続けたいMotorolaと、Motorolaの68Kに依存しつつも新しいIBMのPowerプロセッサに興味を示すApple、Macへの新規参入の障壁を下げたいIBMという3社の思惑が合致しての構図であったように記憶している。Appleをソニー・コンピュータエンタテインメント、Motorolaを東芝に置き換えれば、Cellの構図になるのだろうか。そういえばそのコアは、またしてもPowerアーキテクチャ・ベースである。

Cellは「汎用」に使えるプロセッサか?

 さてCellといって、まず注目が集まるのはヘテロでSIMDなマルチプロセッサによる強力な演算能力とその中核をなすSPU(Synergistic Processing Units)だろう。SPUはレイアウト的には短冊状のストリップ形状であり、今回のチップには8個搭載されているが、別にどうしても8個に限る必要はなさそうである。SPUに加え、新規に開発され、マルチスレッド化されたPower命令セット完全互換のPPE(Power Processor Element)が1個搭載されている。このため「ヘテロ」な「マルチ」の分類になるのだが、Mac OSが走りそうなPPEの方は「ハウスキーパー」的な位置付けのプロセッサと見てよいだろう。今回、ISSCCに出場しているようなプロセッサは多かれ少なかれヘテロであるが、Cellは端的にいってしまえばSIMDプロセッサを並べたもの、であって目的ごとに異なるプロセッサを搭載するほどヘテロなわけではない。レギュラーでフラットな構造には「汎用」っぽさが感じられる。

 ではゲーム機専用というわけではなくて、「汎用」に使えるんじゃないか、と思って見ると、意外と使い方が難しそうなのだ。確かにSPUの処理能力はすばらしいのだが、ソフトウェアで管理される256Kbytesと限られた容量のローカルなメモリの上で動くのがSPUの基本のようだ。メインメモリにはRambusの「XDR DRAM」が採用される。一方でSPU間の接続は、高速高速とはいっても8個のSPUによる処理能力の割に細い印象だ。複数のSPUをバケツ・リレー式に結合して処理するのは構造的に向きそうだが、ローカル・メモリに収まらない太いI/Oトラフィックを並列処理していくとすぐに限界に達しそうだ。

 これを使いこなすには、かなりSPUの特質を知った上でプログラミングをしないと、折角のパワーが宝の持ち腐れになりかねない。とはいえ、かなりのところはコンパイラが面倒を見てくれるの「かも」しれない。適用するアプリケーションとアルゴリズム次第、という面がありそうだ。「汎用」といっても、使いこなすには流儀がいる感じがする。

 かといって現在のゲームやビデオ・コーデックで使われる画像処理には、8個ものSPUは不要だろう。PPEに加えて2個もあれば、取りあえず十分かもしれない。8個のSPUを駆使して、どのようなアプリケーションを走らせようというのか、まだイマイチ理解できないでいる。ソニー・コンピュータエンタテインメントのことだから、きっと何か目論見あってのことだとは思う。だが、このCellというプロセッサの能力を引き出すには、ソフトウェアも含めたシステム全体をCellのために新設計していく必要がありそうである。まぁ、取りあえず現在の流儀で開発が行えるPPEを活用してお茶を濁す、という技が使えなくもない。これが「ヘテロ」の1つのメリットでもあるのだが。

●Cellのすごさは最初の製品を見れば分かるはず?

 ISSCC的には、プロセッサのアーキテクチャよりも、できた「半導体」の出来というところの方が注目を集める。どのようなプロセスを使い、どの電圧で何GHzまで動いて、そのクロッキングは、消費電力は、そして設計手法は、といった話である。この面で、3社連合は確かに高い技術力を示している。クロッキングや使っているセル(プロセッサ名でなく、設計要素としての部品の「セル」)も独特であるし、SPUは条件を選べば5.6GHzまで動作し、通常条件では4GHzで動作するという。消費電力は、1個のSPU当たり4Wである。トランジスタ数は、チップ全体で2億3400万個。90nmのSOIプロセス上で実装といった具合だ。確かに胸を張ってISSCCに出場するだけの水準ではあるのだけれど、この手の数字を聞き慣れている@ITの読者を驚かせるほどではないかもしれない。多少のフラストレーションが感じられる数字である。

 今回、Cellというプロセッサは発表になったものの、その応用製品についてはまだ漠然としていてよく分からないところがある。何にでも使えるような話もあるが、これだけの能力があれば、無理やりやれば大抵のものはできるという「可能性」の話でしかない。実際にやれるか否かは、市場とコスト対効果次第である。Cellで本当に何がやりたいのか、何ができるのか、それが一番知りたい。

 振り返って見ればエモーション・エンジンも最初はいろいろなマルチメディア機器に搭載されるはずであった。PlayStation 2以外に大量に使われているアプリケーションはあるのだろうか。初期には外販するような話も聞いたが、実際に売れているという話は聞かない。チップそのものは性能的にはすばらしいものがあるにもかかわらず、である。ただ、エモーション・エンジンの場合は、ゲーム向けに特化しすぎていて、とても普通のアプリケーションで普通の設計者が使いこなせるような代物ではなかったのかもしれない。今度のCellの場合も、そうならないだろうか。まずは、Cellを使って登場してくる最初の製品(PlayStation 3?)を待つべきなのかもしれない。それが出て初めて、凡人にはCellの真の凄さが分かるのかもしれないし、多様なアプリケーションに使える、と納得いくのかもしれない。果たしてそれは何なのだろうか。

 最後にCellは、確かに見るべきものの1つだが、ISSCCにはほかにも見るべきものがあった。そちらも別途チェックしてみるのもいかがかな。

筆者紹介

Massa POP Izumida

日本では数少ないx86プロセッサのアーキテクト。某米国半導体メーカーで8bitと16bitの、日本のベンチャー企業でx86互換プロセッサの設計に従事する。その後、出版社の半導体事業部を経て、現在は某半導体メーカーでRISCプロセッサを中心とした開発を行っている。


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