「相手に、自分の伝えたいことをしっかりと伝える力」はどのように伸ばせば良いのだろうか? この問いに対して、「インドに行けばいい」という答えを出した企業がある。
NTTコムウェアでは、インドで次世代プロジェクトマネージャを育成する現地研修プログラムを推進している。同研修は、プロジェクトマネジメントに必要なスキルをインドで学ぶことを目的としている。なぜインドなのか。インドでどのようなスキルを学ぶことができるのか。基盤技術本部 技術SE部担当部長の松崎弘人氏と、同部 業務推進部の下平博巳氏に話を聞いた。
インド研修は、2008年度からスタートした。インド・マハラシュトラ州の都市プネーにあるIT企業へ、20代後半から30代前半の開発プロジェクトマネージャ候補を派遣する。期間は8週間。社内募集をかけて集めるという。
なぜインドで研修をするのだろうか。目的は3つあると、松崎氏は語る。
「まず、体系的なITマネジメント力を身に付けるという目的があります。インドでは、製造から試験までの工程をすべて行っている企業が多い。そのため、開発工程の一連の流れを把握することができます」。
多くのインドIT企業では、ソフトウェア開発プロセスの評価、改善モデルであるCMMI(Capability Maturity Model Integration,能力成熟度モデル統合)を採用している。インドのIT企業はアメリカなどを中心に取引をしているため、最高評価であるレベル5認定を受けている企業が非常に多い。「現場視察をしたときに、非常にきちんとした開発をしているという印象を受けました」と松崎氏は語る。このときに受けた好印象がインド研修の実施につながったという。
目的の2つ目は、「ストレス耐性を強くすること」。「タフなエンジニアになってほしいのです」と松崎氏。「クライアントから求められる要望はますます高くなり、海外エンジニアの台頭によって国際競争も厳しくなっています。ますますタフになっていくプロジェクトの中できちんと仕事ができるエンジニアとしての成長をうながしたい」と狙いを語る。言葉や文化、気候が日本と大きく異なるインドへの滞在は、エンジニアにとってストレスや負荷になる。あえてストレスの強い環境で研修をすることで、容易にへこたれない粘り強さを持つエンジニアになってもらいたいという。
松崎氏は、最後に「コミュニケーション能力の向上」を挙げた。インド人エンジニアは、世界中の国と仕事をしているため、コミュニケーション力に優れているという。
特に優れているのは「伝えようとする意思」と「伝えるための表現力」だと、松崎氏は語る。インドでは、方言を含めると数百の言語が話されている。つまり、インドでは日常生活が異文化コミュニケーションなのだ。少しでも出身地が違うと、方言では何をいっているのかがお互いに分からないということも頻繁にあるという。そのため、インド人は、英語や日本語などの外国語を学ぶモチベーションが非常に高い。また、「伝わらない」ことを普段から意識しているため、「伝えようとする意思と表現力」が非常に高いのだという。
「技術については、日本で学ぶことができます。しかし、異文化コミュニケーションを学ぶことはなかなかできない。エンジニアには、インド人のような伝えようとする意思と表現力を身に付けてほしい」と、松崎氏は語る。
そもそもこの研修を考案するにあたり、松崎氏はある問題意識を抱えていたという。それは、日本の開発現場にある「阿吽(あうん)の呼吸で通じてしまう文化」だ。
「長年付き合いのある仲間やクライアントであれば、阿吽(あうん)の呼吸で通じ合えてしまう。それはそれでいいところもあります。しかし、阿吽(あうん)の呼吸が通じない相手――つまりチーム以外のメンバーや新規クライアントと付き合うことが難しくなるというデメリットがある」と下平氏は語る。
日本人は恵まれた環境で育ってきている、と下平氏。例えば、プロジェクトチームや研修などで、「誰かが何とかしてくれる」と、つい思ってしまうことはないだろうか。言語が通じないということはまずないし、多くの人が共通の文化基盤を持っている。こうした恵まれた環境に、気付かないうちに甘えてしまっているのだという。
結果、プロジェクト内では「こう言ったからやってくれると思った」や「わたしはこういう意味合いで受け止めた」など、情報伝達において齟齬(そご)が発生してしまう。新規クライアントと仕事をする際も同様だ。既存クライアントなら「これまでの付き合いで何となく分かる」というレベルの説明では、新規クライアントは納得しない。つまり、同研修は「言わなくても分かる」という慣習的な意識を打破する、ちょっとした荒療治であると捉えることができるかもしれない。
どれくらいわたしたちが「言わなくても分かる」という認識に慣れてしまっているかという実例として、松崎氏は「サンドイッチの作り方研修」の例を挙げた。
インド現地での研修期間は8週間。うち、前半の4週間が講義で、後半4週間が現場での実習となる。講義では、ビジネス英語とCMMI基礎、プロジェクトマネジメント講座などを受講できるのだが、その中に「異文化コミュニケーション」プログラムというものがある。
ここでは、研修生がチーム別にサンドイッチのレシピを考える。各チームは、自分が考案したレシピを、別チームに口頭で指示してサンドイッチを作ってもらう。研修生は背中合わせに座っているため、お互いの作業の様子が見えない。聞く限りでは簡単そうに思える。「しかし、ちゃんとしたサンドイッチがなかなかできないのです」と松崎氏。
例えば「バターを塗ってください」と相手チームに伝えたとする。すると、説明を受けた研修生は指を使って、パンにバターを山盛りに乗せる。もし彼がイメージどおりのサンドイッチを作ってほしいなら、「ナイフを使い、バターを1ミリほどの厚さで、パンの片側へ均等に塗ってください」と伝えなくてはならなかった。もし「トマトをパンに挟んでください」という指示があれば、トマトが丸ごと挟まれたサンドイッチができあがってしまう。
「上記の例は極端なパフォーマンスかもしれない。しかし、だからといってバターは“普通なら”薄く塗るだろう、“常識的に考えて”トマトはスライスするだろう、という言い訳は通用しません。わたしたちは手づかみで食事をすることはあまりありませんが、インドでは手を使って食事をするという文化があります。そうした“日本で通じる常識”にいかに慣れてしまっているか、自分たちが当たり前と思っていることがいかに当たり前でないかを知るという意味では、この研修は非常に効果的でした」と語る。
サンドイッチを作るという、一見エンジニアとは何も関係のない作業でも、システム開発には大いに応用できる。プロジェクトマネージャは、チームメンバー全員が同じ作業を行えるよう、具体的に指示する必要がある。「ここまで指示すれば、次の作業もやってくれるだろうと思った」や「指示をいろんな人が独自に解釈した」というのではなく、「誰が聞いても同じレベルで理解できるように伝える」ことが肝要なのだ。
ちなみに、同研修で作られたサンドイッチは、指示を出した研修生が責任をもって完食しなくてはならないという決まりがある。自分の指示がいかにあいまいだったかが、しっかりと可視化される研修のため、大いに成果が上がったと、松崎氏は語る。
きちんと相手に伝えたいことを伝えるスキルは、プロジェクトマネージャの仕事にどのように生かすことができるのだろうか。同社がインド研修で目指した「理想の人材像」について聞いた。
「まず、開発工程をしっかり把握したうえで開発が行えるプロジェクトマネージャであること。テスト工程や開発工程など、1つの分野だけにかかわるのではなく、開発全体の現場を知り、その経験を計画段階で落とし込めることです」と松崎氏は語る。開発の流れを理解していれば、見積もりを見誤ることが軽減される。プロジェクトがデスマーチ化しないためには、まず上流工程の人間が全体を把握できていなければならないのだという。
そして、「クライアント企業の要求をきちんと聞きだしてシステムに落とし込むことができること」。「プロジェクトにかかわる数十人、数百人のエンジニアに、きちんと言いたいことを伝えることができる意思と表現力が必要です。『やるはずだ』ではなく『やる』と、きちんと伝えてチェックする。クライアントから要求を受けたとき、『これぐらいならできるかな』と流されてしまうのではなく、『以下の理由で、この日程ではできないため、別のやり方でいきましょう』と交渉することができる力を持つ。こうしたプロジェクトマネージャに育ってほしい」。きちんとしたサンドイッチを作る表現力があれば、プロジェクトでも曖昧(あいまい)な指示を出すことがなくなるのだという。
「インドはタフな環境」と松崎氏は語ったが、研修に参加したエンジニアは、日々インド人とランチカレーを食べるなどして、楽しく過ごしたようである。インドに気軽に行くことはなかなかできないが、サンドイッチを作ることはすぐにできそうだ。自分がいかに「分かったつもり」になっているかを知るのに、サンドイッチのレシピ作りは有効な手段かもしれない。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.