スマートフォンが増えれば増えるほど、トラフィックはそれを上回るペースで増加する。通信キャリアが頭を悩ませている「通信インフラへの負担」の回避策として注目を集めるデータオフロードの仕組みとその課題を追ってみた。
2000年1月25日――Appleが初の無線LAN製品「AirMac」を日本でお披露目した日、東京オペラシティで目にした、宇宙から舞い降りたかのようなシルバーに輝くレトロモダンなボディは、いまでも目に焼き付いている。
米国ではその前年のMacWorldExpo NewYorkにおいて、「AirPort(AirMacの米国名)は、家庭や教育機関の通信環境に革命をもたらす」というスティーブ・ジョブズの言葉とともに、一足早く発表されていた。だから、その存在を知らないわけではなかったが、やはり実物を目の当たりにしたときはドキドキした。
あれから12年余。いまではワイヤレスでインターネットに接続することなど当たり前になってしまった。それだけに「革命」といわれてもピンとこない。けれど、「当たり前になってしまった」こと自体が革命なのだろう。余談だが、10年余りの時間をかけて進行したフランス革命も、その時間軸の中で生きている多くの市民は、それを「革命」だと意識していなかったという。
AirMac登場以前から無線LAN製品はあったのだが、その多くはビジネス市場をターゲットにしていた。無線LANアクセスポイントや端末用の無線LANカードなどをそろえると、軽く20〜30万円は超えるようなシロモノばかりだっただけに、5万円程度で無線LANが使えるAirMacの登場はやはり衝撃的だった。
「革命」を経たいま、われわれの周りは、パソコン、スマートフォン、ゲーム機など、無線LAN製品であふれている。米国のIHS iSuppliという調査会社の発表によると、無線LANチップセットの出荷数は、2012年には10億ユニットを超え、2014年には20億ユニット以上になるというから、それもうなずける。
中でも無線LANの拡大に拍車をかけているのが、スマートフォンの普及だ。
スマートフォン急増の背景には、無線LANうんぬんというより、「3G回線のパケット通信料収入を上げるために、各ユーザーを定額制の上限に張り付かせたい」というキャリア各社の思惑がある。実際、「データARPU」は各社とも上昇している。
その一方で、スマートフォンが売れれば売れるほど、「トラフィックの増大による通信インフラへの負担」というツケが回ってくる。
「スマートフォンに変えた途端、パケット通信料が増えた」というユーザーは、周りを見渡せばゴロゴロしている。筆者の家族などは、フィーチャーフォン時代は「割引適用前通信料」(定額制未加入の場合の料金)が数万円レベルだったものが、iPhoneに変えた途端、300万円を軽く突破した。少しばかり積極的にアプリをダウンロードしたり、ソーシャルネットワークサービスをやっていれば、まあこのくらいの通信量になってしまうのが、スマートフォンというものだ。
実際、「2割のスマホユーザーがトラフィックの8割をたたき出し、フィーチャーフォン向けに7年かけて投資した通信設備をわずか9カ月で食いつぶす」(無線LANビジネス研究会におけるKDDI担当者)という状況に頭を悩ませているのが、スマートフォン時代のキャリアの現実でもある(図1)。
ならば、ということで登場した手法が「データオフロード」だ。データ通信のトラフィックを、3G回線ではなく、無線LAN+ブロードバンドインターネットに迂回させてしまおうというものだ。
幸いにもスマートフォンにはWi-Fi機能が搭載されている。ショッピングモールやカフェなど、人が滞留するポイントを中心に、キャリア各社ともに公衆無線LANのアクセスポイントをせっせと置き始めた。おまけに、各キャリアともに、スマートフォンの契約者に家庭向けの無線LANルータを無料で配布している。とにかく、逼迫する3G回線を迂回させることが大命題なのだ。
ここで設備コストの話をしておこう。素人目には、3Gの基地局に比べ無線LANアクセスポイントはコストが安いので、キャリアとしては設備投資が楽になってよいだろうと思う。だが、実際には違うらしい。
「都心に設置された3Gの基地局は200〜400メートル程度のエリアをカバーするが、無線LANアクセスポイントはせいぜい10〜50メートル程度。同じ広さのエリアをカバーしたければ、数十個を設置しなければならないので、コスト的に安価とはいえない」(ソフトバンクBBの小林丈記氏)という。
それは他の事業者でも同じようだ。「設置場所によっては、バックボーンとして光ファイバーを新規に引き込む必要もあるので、決してコスト安とはいえない」(KDDIの関係者)という。
ソフトバンクでは、公衆無線LANのバックボーンに3つの回線を用いている。利用者が多いエリアには光回線、中程度のところではADSL回線、利用者がそれほど多くない無線LANアクセスポイントは1.5GHzの3G回線を利用しているという。
んっ? 何か変だ。3Gのデータオフロードを行うのに3Gをバックボーンに使うなんて本末転倒ではないか? しかし、これにはちゃんと理由があった。
SBMでは3Gにおいて、900MHz(7月25日よりスタート)、1.5GHz、2.1GHzの3つの帯域で周波数免許を受けている。ただ、同社の主力スマートフォンであるiPhoneが1.5GHzには未対応なのだ。1.5GHzというのは、「国際的にもプライオリティが低い」(小林氏)ためだ。
とはいえ総務省から割り当てを受けている周波数はフルに活用したい。そこで、無線LANアクセスポイントのバックボーンに利用することで、iPhoneでも、Wi-Fi経由で1.5GHz帯を使うようにしているわけだ。
このように各社ともにデータオフロードに積極的なのだが、新たな懸念も出てきた。市中の「人が滞留するポイント」に、各キャリアやその他無線LAN事業者のアクセスポイントが多数設置されることで、「電波の干渉」や「通信の輻輳」が起き、通信に支障を来すというのだ。
実際、掲示板などをのぞいてみると、「Wi-Fiに接続しているはずなのに全然データが流れてこない」といった繁華街での体験談などが転がっている。急増する無線LANにおける諸問題を議論するために総務省が2012年3月から開催している「無線LANビジネス研究会」の報告書(案)にも、「繁華街などの人が多く集まる場所において、アクセスポイント間における電波の輻輳が発生している事例もある」と明記されている。
そもそも、なぜ干渉や輻輳が起きるのだろうか。「現在普及している2.4GHz帯の無線LANの場合、実質的に利用可能なチャンネルが3つしかない」(小林氏)ためだ。おまけに2.4GHz帯というのは、電子レンジやBluetooth、監視カメラなどにも使用されており、機器の急増で近年急速に「汚れ」が始まったという。
今後もこの状態のまま無線LAN端末が増加し、それに呼応するように無線LANアクセスポイントが増えると、それこそ「無線LANは使えない」という悪評が定着しかねない。
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