ビジネスは弱肉強食だ。規模の面ではるかに勝る同業他社にオリジナル製品やサービスをパクられたら、どうすればよいのだろうか。
新規事業を順調に成功させる秘訣(ひけつ)は偉大なアイデアにある、との誤った認識が広くもてはやされている。フィクション映画と建前上の真実を語るインタビューの両方が推進する「先見の明のある創始者が、創造的かつ斬新なアイデアをひらめかせ、一躍成功者となる」物語だ。
実際のところはそんなにドラマチックではなく、「良いアイデアはどこにでも転がっている」というのが真実で、偉大なアイデアでさえも特に珍しくはない。
革新的アイデアが市場に出ると、必ずと言ってよいほど「本当の発案者は自分だ」と主張する人が何百人も出てくる。彼らは決してウソを言っているわけではなく、その証拠として刊行物の記事やブログ、過去のプレゼン資料などが存在し、彼らは怒りをあらわにしつつそれらを持ち出し、何らかの分け前を要求する。
しかし、彼らの憤りは目先の事柄だけに向いていて、大きな部分を見落としている。実際のところ、不満をつづるブロガーか成功したアントレプレナー(起業家)のどちらかが本当の発案者である可能性は極めて低い。1000人の人がそれぞれ同じアイデアを思いついたとしたら、評価の矛先は、アイデアそのものよりも、そのアイデアを基に何かを形作ることができる自信と能力を兼ね備えた人の方に常に向けられる。
本来、そうあるべきものなのだ。
最近の起業家たちは、上場を果たす前から、アイデアを盗まれることを心配しすぎるきらいがある。将来投資家やパートナーになるかもしれない相手と話をする際に特にその傾向がみられるが、実際、投資家たちは創造的なアイデアそのものより実行力の方に重きを置く。
コピーキャット(パクリ屋)は、単なる模倣者だ。可能性を秘めた新しいアイデアの真価を認めるようなビジョンもなければ、リスキーで曖昧模糊(もこ)とした何かを実行する勇気もない。だから新アイデアの構想段階では、アイデアを共有することで得られる助言や紹介の機会の方が、コピーキャットにコピーされるかもしれないという万が一の可能性よりもはるかに重要だ。
しかし、残念ながら、この状況はそう長くは続かない。
コピーされることの真の危機は(「必然」というべきか)、もう少し後にやってくる。アイデアがある程度の成功を収め展望が開けてきた辺りで、そのアイデアを端から退けていた者たちが、「自分こそ発案者だ」と主張し始めるのだ。こういう輩の多くは、初動時にそのビジョンを理解できるような洞察力は持ち合わせておらず、人の成功を目の当たりにしてから「そんなの簡単だ、自分にもできる」と考える。
彼らは往々にして正しい。
ある起業家の例を話そう。彼はある朝、彼の会社の10倍以上の規模がある大手競合が、彼の会社Webサービスのコピー製品を恥ずかしげもなく発売したことを知った。何もかも――カラースキームやメニュー・レイアウト、ステータスメッセージ、価格設定方針までもが盗用されており、2つのサイトを見比べて分かる唯一の違いは、トップページの会社ロゴとその下に記載されている会社情報だけだった。
彼の激高ぶりは言うまでもない。何年もかけて革新的で利用価値の高いWebサービスを創出し、ベンチャーキャピタルに頼らず、献身的に無報酬の仕事に何時間も費やして会社を築き上げた。顧客は着実に増え、まさに市場の牽引(けんいん)者となった。
だが、文字通り「一夜にして」巨大でリッチなコピーキャットに、作り上げてきたもの全てが破壊されるリスクに直面したのだ。コピーキャットには確固たる顧客基盤があり、大きなプロジェクトチームが組め、多くの予算を投じられる。
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