「失敗から多くのことを学びました」「私が成功したのは、失敗のおかげです」いやいや、失敗はそんな甘美なものではない。本物の失敗とはね……。
日本のアントレプレナー(起業家)たちにとって長い間、失敗は忌むべきものだった。失敗から起業の仕組みや経済学は学べても、気持ちを立て直すのには長い時間がかかるからだ。
しかし事態は改善されてきた。最近は失敗に対処するためのさまざまな取り組みがなされている。
私の友人でありアントレプレナー仲間でもある平石郁生氏は、自著「挫折のすすめ」で、成功するために失敗がどのくらい重要であったかを解説している。
「FailCon」というイベントのテーマは、「失敗から学ぶ」だ。成功したアントレプレナーたちが失敗談を披露し、「失敗は最終形ではなく、最終的な成功への足掛かりと捉えるべきだ」と示す。
FailConは世界12都市で開催され、報道関係者や一般の人も多く出席する人気のイベントだ。スピーカーたちは「どうやって逆境を乗り越え、最終的に成功を手にしたか」を、感動的に(時にハイテンションに面白おかしく)語る。出席者から聞かれるのは称賛の声ばかりで、多くの人がイベントから得るものが多かったと話す。
しかし私は、何かが少し違うような気がした。
耳にしたスピーチの中に、本当の意味での「失敗」に関する話はなかった。
誰しも困難に直面することはある。三振に終わることがあれば、試合に負けることもある。スタートアップ会社が資金調達できないこともある。数年がかりのプロジェクトがキャンセルされることもある。希望の学校や会社に入れないこともある。しかし、こういった出来事は生きている証にすぎず、本当の意味での失敗ではない。
本当の失敗とは、個人的なもので、痛みを伴い、孤独なものだ。本当の失敗であれば、親友と思っていた人から連絡が全く来なくなる。本当の失敗であれば、何が原因で全てをフイにしたのかを布団の中で朝までモンモンと思い悩む。本当の失敗であれば、誰かに助言を求めたくても、みっともなくて何日もためらってしまう。
「本当の失敗」は、一生消えない傷を残す。そこから学びを得て前進したとしても、思い出して笑い飛ばしたりすることはない。
FailConに否は全くない。恐らく本当の失敗は、話す方には痛みが伴い過ぎるし、聞く方も気まず過ぎて聞くに耐えないものだと思う。そんな人を憂鬱にさせるようなイベントに、いったいどのくらいの会社がスポンサーとして支援しようという気になるだろうか。イベントには、ハッピーエンドが必要だ。
私たちは、成功につながる失敗というものを求めているのだ。
今回の記事は、少々実験的だ。私が経験した真の失敗談を2つ紹介し、そこから何を学んだかについて解説したい。私が今やすっかり元気なのは言うまでもないが、これらの失敗にハッピーエンドはなかった。
私は子どものころから、プロのミュージシャンになることが夢だった。初めて日本に来たときはミュージシャンとしてであり、ロサンゼルス(LA)に戻ってからは、世界の最高峰と渡り合った。
スタートアップ会社の経営者とプロのミュージシャンには、似た点が多くある。両方とも、一般に思われているよりはるかにキツい仕事であり、そんなに華やかでもない。どちらも仕事にかける時間は長いが、仕事が好きでたまらないので気にならない。仕事は自分そのもので、自分の存在理由でもある。
LA時代、周りの人は皆、私は順調にやっていると思っていた。しかし、本当のところ私は、借金地獄に陥っていた。自分よりも経験豊富で才能にも恵まれた人たちもまた、無一文だった。
借金は$40,000になり、家賃が払えずアパートを追い出された。家を失って初めて、いかに自分に友達が少ないかを思い知らされた。しばらくは車の中で寝泊まりし、ついに私は決断した。
音楽で成功することは無理だ。
私の決断は、バンド仲間やファンへの最悪の裏切りを意味した。幾度となく話をしたが、全て涙に終わった。私はあれから、音楽を演奏してお金を稼ぐことは一切していない。当時の仲間の誰とも連絡を取っていない。
ここから得た教訓があるとすれば、「必ずしも世界が味方になってくれるとは限らない」ということだけだ。熱烈に愛するものに対し、10年かけて投資しても、そこから撤退を余儀なくされることもある。
その数年後。
私の親友は、急速に成長し成功を遂げているソフトウェア会社で働いていた。その会社は隙間市場からの展開に苦労しており、彼は、会社が転換を図る上で役立つソフトウェアの設計と開発を担当する人材として、私を上層部に紹介してくれた。
私は使命を与えられた男として、どんな障害があろうともこのプロジェクトを成功させようと心に決めた。
開発過程を根本から変えた。エンジニアがおろそかにしがちな対顧客部分を強化した。デザイン決定を行う際には、目上のエンジニアにも挑んでいった。先輩よりも能力があると思えば、若手のエンジニアにも要職を任せた。プロジェクトの主要部分をうまく外注化することにも成功した。私は一貫して、先に許可を求めず物事を進め、後から許しを請うことにしていた。全ては良い製品を作るためだった。
2年後、製品出荷の日を迎えた。製品は顧客に愛され、私はエンジニアから高く評価された。良い日だった。ストレスの多い大変な作業を終え、製品も成功を遂げ、これからは今まで以上にスムーズかつシンプルに進んでいくはずだった……。
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