ミクシィを辞めた後、しばらくはフリーランスエンジニアとして働いた。身に付けたスキルを人の役に立てたいと思ったのもあるし、腕一本でどれだけ稼げるかチャレンジしてみたい、という気持ちもあった。
小尾さんはこのころの自分を振り返って、次のように語る。
「当時の私は、いつも“外部環境のせい”にして会社を辞めていました。『開発体制のせいで思うように働けない』とか『社内政治でプロジェクトが頓挫した』とか。このままでは、次に転職してもきっと同じことの繰り返しだと感じました。リスクを取らない状態は良くない、そう思い、フリーランスになりました」
そんなある日、小尾さんにちょっと変わった話が舞い込んだ。
「花屋さんを手伝ってくれないか」――この出会いが、今のビジネスに結び付くことになる。
そこは少し特殊な花屋だった。歌舞伎町のど真ん中に店舗があり、夜のお店で働く人たちを相手に商売をしていた。小尾さんが依頼されたのは、営業支援アプリの制作だった。
小尾さんはまず、営業マンに密着して花屋の商売を観察した。すると、紙とペンで情報を管理していることが分かった。さらに、営業とバックヤード部門との連携にも改善の余地があることが見えてきた。
「キャバクラやホストクラブの人たちは年に何回か誕生日があり、花やバルーンを飾ったりシャンパンタワーを入れたりして盛大に祝います」
そこで小尾さんは、タブレットで情報管理するアプリを作った。過去の履歴を参照し、外部サイトの情報も取り込み、(1年に数度ある)誕生日を事前に把握できるようにした。
アプリを導入した結果、誕生日イベントが近いお客さまに積極的に営業をかけられるようになり、花屋の売り上げは1.5〜2倍と大幅に伸びた。
営業アプリの成功を見て、新しい花屋を作ろうという話が立ち上がる。「花屋の世界はアナログなので、IT技術でレバレッジを効かせようという発想」だったそうだ。
この新事業のために、歌舞伎町の花屋の代表、西山祐介さんは新会社「Goal」を設立した。六本木に店舗を出し、小尾さんはGoalに役員として参加した。
六本木店のキャッチフレーズは、「花を売らない花屋」だった。「お客さまが望んでいるのは花の種類ではなく、色味やラッピングやボリュームだ」という仮説を立て、花にまつわる“体験”を提供することにした。
同時に、スマホアプリやソーシャルメディアと連携したキャンペーンを次々と打ち出した。小尾さんのITエンジニアとしての腕前と、西山さんの花屋の知識の両方を生かせる試みだが、なかなかうまくいかなかった。
例えば「フリーフラワー」キャンペーン。ユーザーがソーシャルメディアで応募すると、抽選で花が当たるというものだ。宣伝のために繁華街でサンプルを配ると、人は集まり、話題にはなる。しかしそこから売り上げにつながらない。
「1本400円の花を都合5万本ほど配りましたが、お客さまの獲得には至りませんでした」
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