小尾龍太郎さんは、オンラインで花を贈るサービスを運営する「Sakaseru」の創業者だ。ITエンジニアから花屋になり、「フラワー×IT」で起業した。しかしビジネスは思うように立ち上がらない。「これが最後」と思い詰めた小尾さんは――。
小尾龍太郎さんは、転機となったプレゼンを振り返る。
「5分間、足の震えが止まりませんでした。足の角度を変えたら止まるかなと思ったけど、止まらなかった」
KDDIが運営するインキュベーションプログラム「∞ Labo」の第7期に、小尾さんは「これが最後のチャンス」と覚悟を決めて応募した。ここで選ばれなければ事業を諦めるつもりだった。そして、このプレゼンが小尾さんの転機となった。
小尾さんはITエンジニアから花屋へ転身し、スタートアップ企業「Sakaseru」を創業した。ここに至る道はどのようなものだったのか、まずは、ITエンジニアとしての経験から聞いてみよう。
2005年、小尾さんは高校卒業後しばらくして「ドワンゴ」で働き始めた。中学生のころからオンラインゲームが好きだったので、ナムコと共同開発したオンラインゲーム「テイルズ オブ エターニア オンライン」やiアプリなど、携帯アプリによるゲーム開発に取り組んだ。
当時のドワンゴは「職場に寝袋があるのが普通だった」そうだ。新サービス「ニコニコ動画」の立ち上げも強く印象に残っている。「『いいコードを書く人が偉い』風土の会社で、エンジニアとしての基本をたたき込んでくれました。今でも感謝しています」とドワンゴ時代を小尾さんは振り返る。
2008年、ゲーム会社の「エレクトロニック・アーツ(EA)」に転職し、MMORPG(Massively Multiplayer Online Role-Playing Game)の元祖、「ウルティマ オンライン」の開発に取り組んだ。だが2年後、リーマンショック後の業績不調で退職。まとまった額の退職金をもらえたのが救いだった。
その後は友人が立ち上げたベンチャー企業の手伝いを経て、2010年に「paperboy&co.(現、GMOペパボ)」に入社。Blogサービス「JUGEM」を“モダンな環境に作り替える”業務に関わった。
仕事の領域がゲーム分野からWebへ移ったことについて尋ねると、「ゲームは作るのが大変で、長いと3年かかることもあります。対してWebプロダクトは早ければ3日で形になる。しかもエンドユーザーの喜びは一緒です。ならば“早い”方が良いと考えました」とのこと。会社やフィールドは変わっても、目的はいつも「ユーザーの喜び」だった。
2011年に「ミクシィ」に転職し、O2O(online to offline)領域で新会社を立ち上げるプロジェクトに参加した。ミクシィで関わったアプリ「mixi Xmas」は、オンラインで靴下やベルをクリックするとポイントがたまり、オフラインのローソンでギフトに交換できるサービスだ。
ところが、社内事情のためにプロジェクトは頓挫してしまう。
「チームはやりたい思いでいっぱいなのに、社内情勢で動けない」という状況にストレスを感じ、小尾さんはミクシィを1年で辞めてしまう。
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