社会科の教師を目指し、教職課程を取り、教員免許を取得した田中さん。しかし、憧れの仕事は長時間労働で、理想とはまったく違うものだった――自分(なりの働き方)探しの末、20万人超の小学生が利用する教材開発という天職を見つけた「みんなのコード」CTOの物語。
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2020年に迫った小学校プログラミング教育の必修化。
文部科学省の方針が打ち出された当所は、果たしてどのようなカリキュラムになるのか、教えられる人材の育成と確保をどうするのかといった不安要素が大きな話題となったのも記憶に新しい。
田中高明さんは、プログラミング教育の普及啓発に取り組む、NPO「みんなのコード」で、若きCTO(最高技術責任者)として活躍している。
聞けばそのキャリアは平たんなものではなく、「自分なりの働き方」探しの紆余(うよ)曲折を経て至ったものだという。その道のりは、一体どのようなものだったのだろうか。
田中さんとITの出会い、は中学生の頃までさかのぼる。
「まだカメラも搭載していないガラケーで、インターネットにつなげて匿名掲示板サイトなどを読みふけっていました」
高校では情報Cの授業でHTMLに触れ、「面白い」と感じた。
「同級生に、自宅でサーバを10台ぐらい立てていたヤツがいたので、Windows 2000 Serverの知識をいろいろ教わり、自分でサイトを構築していました」
その一方、歴史好き――特に世界史が大好きだった田中さんは、社会科教師になりたいという夢を抱いていた。大学では教職課程を取り、教員免許を取得した。
しかし大学を卒業しても、すぐに教師になれるわけではない。
特に社会科の教師の枠は、なかなか空きが出ない。公立校となればなおさらで、何年も空きが出るのを待つことも珍しくないという。そのため、私立高校で世界史の教師として勤務することにした。田中さんにとって憧れの教師生活であったが、そう長くは続かなかった。
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