阿部川 そこまで聞くと、エンジニアとしては非常に充実した日々に聞こえます。そこからなぜ起業を選んだのですか。
シューマッハ氏 確かに私はキュービックスでとても楽しく仕事をしました。ただ、やはり私はソフトウェアエンジニアなんです。キュービックスは基本的にハードウェア企業ですから、そろそろ自分の好きなことをしたいと考えました。当時、私の家から湖が見渡せたので、Lakeside Softwareという名前で、たった一人で、自分の会社を設立しました。35歳でした。
阿部川 当時、製品の構想はもうあったのですか?
シューマッハ氏 当時、私の友人はCitrix Systemsのディーラーが多かったのですが「1台のサーバをどれくらいのユーザーが共有しているのかが分からない」という悩みを抱えていました。それは当時「Citrix WinFrame」や「Citrix MetaFrame」(現Virtual Apps)を利用しているみんなの困りごとでもありました。
私はそれが分かるツールを開発し「どのリソースをどれだけ使っているのか」「何がボトルネックになっているか」などが分かるようにしました。プログラミングは全て私一人で実施しました。朝起きるとすぐにプログラムを作成し、ちょっとジョギングして、またプログラムに戻るといった、とても自由なやり方でソフトウェアを作りました(笑)。
起業から1年後の1998年、開発したソフトウェアはCitrix Systems主催のカンファレンスと「COMDEX Spring」でベストソフトウェア賞を受賞した。その日を境にオフィスの電話は鳴りっぱなしになったという。
シューマッハ氏 多くのユーザーが、サーバの容量に関する問題を抱えていたのですね。こうなると従業員を増やさないと業務が回らなくなりました。そのため、楽しかった一人のオフィスはここで終わり(笑)、湖の対岸にオフィスを借りて業務を始めました。
たった一人で始めたLakeside Softwareは早速注目を集め、やがて世界へと拡大していく。「一度作った拠点からは、決して撤退しない」という珍しい主義は、このグローバル展開の中で生まれる。その理由とは何だったのか? 後編に続く。
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