ユーザーのエクスペリエンスとシステムをモニタリングする「SysTrack」製品で知られるLakeside Softwareの創業者兼最高経営責任者(CEO)のMichael Schumacher氏。釣りやスポーツが好きな「普通の」子どもだったSchumacher氏が、Lakeside Software創業に至ったきっかけとは何だったのか。
世界で活躍するエンジニアの先輩たちにお話を伺う「GoGlobal!」シリーズ。今回は、米国発のソフトウェア企業で、企業システムの中でユーザーのエクスペリエンスとシステムをモニタリングする「SysTrack」製品で知られる「Lakeside Software」の創業者兼最高経営責任者、Michael Schumacher(マイケル・シューマッハ)氏にご登場いただく。複数の国や地域に進出しながらも「一度作った拠点からは、決して撤退しない」という珍しい主義を掲げる同社。「自分はエンジニア」と語るシューマッハ氏が創業に至ったきっかけは何だったのだろうか?
阿部川“Go”久広(以降、阿部川) シューマッハさんは、米国生まれですよね。お誕生日はいつですか?
シューマッハ氏 私は1962年の2月14日、バレンタインデーにデトロイトで生まれ、ミシガンで学校に通いました。冬のミシガンは、朝目覚めるととても寒くて、子どものころは「どうしてこんなところに住んでいるのだろう」と思ったものですが(笑)、夏は素晴らしいんですよ。
阿部川 どんな子どもでしたか?
シューマッハ氏 当時としては典型的な子どもでしたね。友達と釣りに出かけたり、野球をしたり、ほぼ全部のスポーツをやったんじゃないかな。
コンピュータに興味を持ったのはミシガン大学のエンジニアリング学科に進んだ後です。1年生の前期に数学を履修したのですが、あまり面白さは感じませんでした。ちょうど同時に履修したのが、コンピュータエンジニアリングの科目でした。
阿部川 1980年代初めのコンピュータエンジニアリングの授業は、どんな内容だったのですか。
シューマッハ氏 最初に履修したのはパンチカード(参考記事)の授業でした。紙のカードをフィーダーに入れて、キーボードでパンチして穴を開けながらカードを一枚一枚作り、それをディスプレイに表示させて、コンピュータにやらせたい作業が間違いなくパンチされているか確認する、あれです。
一枚でもいいから、当時の記念としてパンチカードを持っていればよかったと思います(笑)。もし子どもたちに見せてあげられれば、昔コンピュータを扱うことがどんなに難しかったか、心の底から理解できると思うからです。
阿部川 まだまだ黎明(れいめい)期だったとはいえ、コンピュータサイエンスの魅力に目覚めたんですね。
シューマッハ氏 その通りです。その授業が大好きで、自分が本当にやりたいことがコンピュータエンジニアリングだと分かりました。「FORTRAN IV」が特に好きで、一所懸命プログラミングした後に表示された「One or more error add near Main(メインプロプラムに1個以上のエラーが含まれています)」という素っ気ないエラーメッセージを今でも覚えています(笑)。
阿部川 当時の技術から今のコンピュータを見て、どう感じますか。
シューマッハ氏 コンピュータのシステムはサイクルを描いて進化してきていると思います。中央集約していたものが分散し、そしてまた統合されるというように。
一方、当時から今の状態を言い当てていた人はいました。ある日、データベースを専門に教えていた教授がこう言ったんです。
「君たち、今はストレージの容量が少なくて、とても不便だろう。でも将来、ストレージはとても安く、便利になって、不要なファイルをわざわざ捨てる必要もなくなる」
学生は皆あきれながら聞いていましたが、実際はどうでしょうか。現代は彼が言った状況に近いところまで来ていますよね。例えば、1台のスマートフォンが持っている容量は、当時の大学のストレージ容量をはるかに超えています。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.