IBMやAppleなど著名な企業も関心を持つTanmay Bakshi(タンメイ・バクシ)氏。「テクノロジーからしか学べない」と同氏が考えるエンジニアとして重要なこととは。
世界で活躍するエンジニアの先輩たちにお話を伺う「GoGlobal!」シリーズ。前回に引き続きTanmay Bakshi(タンメイ・バクシ)氏にお話を伺う。「現在僕たちが理解できる範囲では人間を超えるような完全な人工知能は作れない」とシビアな現実を語る同氏はどんな夢を持っているのか。
阿部川 シンギュラリティ(技術的特異点)が2045年ごろやってくるといわれています。人間の脳が処理する能力をコンピュータが超えるという、人類が今まで体験したことのない時代が来ると。
バクシ氏 多くの方が「コンピュータが人間の脳を超える」といったお話をなさっていますが、コンピューティングに関して、重要な課題が幾つかあります。それが解決しない限り現実的に難しいというのが私の考えです。
重要な課題とはコンピュータの「性能問題」と「処理時間」です。1つ例を出しますと、2009年当時IBMで最速だったスーパーコンピュータを用いて、特定の条件下における分子の振る舞いをシミュレーションしました。処理が終わるまで約1週間もかかりました。しかも2019年現在、その時間はほとんど縮まっていません。
阿部川 それはなぜでしょうか。
バクシ氏 そのためにはまず私たちの身の回りにある世界についてお話しなければなりません。私たちがいるこの世界は素晴らしいのです。例えば私が「髪をかきあげる」といった動作をしたとき、実はさまざまな微粒子が相互に接触しています。その数は膨大で、何百億という微粒子が何億種類という動きをします。しかも何か特別にコストがかかるわけでもなければ、とんでもない時間がかかるわけでもない。単にそのようなことが瞬間的に「起こる」のが私たちのいる世界です。
私たち人間は、この現象を説明したいと考えます。自然言語や映像、音では説明が難しいので数学を発明しました。数学も完全に「物理的な世界」を説明できるわけではありませんが、今のところこの世界の物理的な事象を説明するとなると、数学を使わざるを得ません。
阿部川 私たちがする「ふとした振る舞い」を説明するために数学が必要だということですね。
バクシ氏 そうです。ですがここで問題になるのが人間の脳のデータ量です。人間の脳には、860億個以上のニューロン(神経細胞)があるといわれていますが、一つ一つのニューロンが数億の分子を持っています。その分子は億単位の原子を持っています。さらにニューロンは数億のプロテイン(タンパク質)を持っていて……、といったように恐ろしく膨大なデータが人間の脳に存在するわけです。
たった1つのプロテインの動きをシミュレーションするだけでも、現在のコンピュータの能力では数年かかる状況ですから「人間の振る舞い」について全てシミュレーションするとしたら、どれだけ時間がかかるか分かりません。100年、いや1000年といった年月が必要になるでしょう。
阿部川 なるほど。数学で「振る舞い」を表したとしても、そのデータは膨大なため処理に時間がかかるということですね。そう考えると処理能力がとんでもなく高いコンピュータを使えばいいと思うのですが、それでは駄目なのでしょうか。
バクシ氏 良いご質問です。コンピュータの処理能力を向上させる方法について、現在2つの問題があります。1つは「トランジスタのゲート数」という限界です。理論上、小さなチップにトランジスタを詰め込めば詰め込むほど能力の高いチップを開発できるといえますが、現実には無限にトランジスタを小さくはできません。
もう1つは規模の限界です。複数のコンピュータを並列につなげることで処理能力をあげることはできますが、ある一定の台数を接続するとその台数以上はつなげても意味がなくなる限界があります。互いの機能や能力が逓減(ていげん)してしまうのです。
これらの規模の限界とトランジスタの物理的な限界。この2つが同時に解決できないといけません。
阿部川 「人間の振る舞い」を示す膨大なデータをシミュレーションするには、膨大な数式とそれを計算する膨大な時間が必要となり、コンピュータの処理能力もやがて限界がきてしまう。このため「コンピュータが人間の脳を超えることは難しい」という理解でよろしいでしょうか。
バクシ氏 はい。ですが、そこで諦めているわけではありません。
バクシ氏 「本当に脳に匹敵するようなコンピュータ」を作るアプローチはあります。その1つが量子コンピュータです。「物理的な世界」を数学を使って解析することがどんなに大変かはお話しましたが、量子コンピュータは数式から答えを導くのではなく「微粒子を実際に相互作業させる動作」ができます。それを使えば究極的には人間の脳をシミュレーションできるかもしれません。
ただ、結局は同じ問題に頭を抱えることになります。量子コンピュータが微粒子を実際に動作させられても、私たちはまず「1個の量子」から考え始めなければなりません。1個の量子は何億という微粒子と相互作用を起こし、それら一つ一つが何億という相互作用を伴います。それがさらに微粒子、原子、プロテイン、ニューロンというそれぞれのレベルで発生します。全体でどれほどの数の量子が相互作用するか見当もつきません。
別の視点ではそのような膨大な処理をする量子コンピュータのスペース(置き場所)と、処理で発生するエネルギー(熱)をどう冷却するのか、という問題もあります。計算の正確さも重要です。例えばIBMは、正確性の非常に高い50量子ビットのコンピュータを開発しています。バンクーバーのある企業は、1000量子ビットのコンピュータを開発していますが、現時点では正確性がいまいちです。
このように恐ろしく膨大で、しかも細部にわたるような複雑な問題がまだまだあります。ですから現在私たちが理解できる範囲では「人間を超えるような完全な人工知能」を作ることはできません。しかし、ずっとずっと遠い未来には「不可能なことなどない」と思います。
阿部川 (ぼうぜんとして相づちを打ちつつ)よーく分かりました。一体これほど多くのことを、今までどうやって学んできたのですか。
バクシ氏 (ちょっと、苦笑しながら)えーと……、(お父さまが助け舟を出して)それは秘密なんですよ(笑)。
阿部川 数字を駆使して、さまざまな人に会って話して、お父さまと相談して、などでしょうか?
バクシ氏 それらのコンビネーションでしょうね。私は各企業のメンターから学んでいますし、父はプログラミングについて教えてくれます。IBMではチームとして量子について学べますし、それら全てがミックスされて、僕の学びになっているのだと思います。
加えて、私の好奇心でしょうか。なぜ人間がこのようなものを発明したり開発したりするのかに、とても興味がありますし、創造性の裏にある人間の心理ってどんなものか、どうやったらこの現実の世界をよりよく数学的に理解できるか、などにいつも興味を持っていますから、それに関連することであれば、何でも学びたいと思います。
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