グローバルに活躍するエンジニアを紹介する本連載。今回も世界で活躍する日本出身のエンジニア、牛尾 剛氏にお話を伺う。アジャイルコーチとして実績を積み始めた同氏だが、評価はされるものの「プログラマーになりたい」という思いは募るばかり。そこにあるチャンスが舞い降りる。
国境を越えて活躍するエンジニアにお話を伺う「Go Global!」シリーズ。今回も前回に引き続き、Microsoftの牛尾 剛氏にお話を伺った。大企業での大規模なアジャイル事例を作り、次のステップへと進む牛尾氏が次に立てた目標は――。
聞き手は、AppleやDisneyなどの外資系企業でマーケティングを担当し、グローバルでのビジネス展開に深い知見を持つ阿部川“Go”久広。なお本稿はインタビューの雰囲気を知っていただきたいため、話し言葉をできるだけそのまま書き起こしている。
阿部川 “Go”久広(以降、阿部川) 日本電気(NEC)に12年ほど勤め、大企業でのアジャイル事例を作った辺りで転職されましたね。
牛尾 剛(以下、牛尾さん) そうです、オブジェクト指向を採用している「豆蔵」に誘ってもらって3年ぐらいITコンサルタントをして、その後、独立したんです。
阿部川 独立したのは「もうそろそろ1人でやった方が早いな」といった理由ですか?
牛尾さん そうではなくて。ある人から誘いがあって、その人は従来の企業の形態ではなく、複数の企業が集まって一緒にやるっていうのをしたかったみたいで。だから参加する条件として会社を経営しなあかんっていうのがあって「じゃあお世話になってるし、ちょっと(起業を)やってみようかな」と。もちろん、強制するようなノリではなかったですよ。
阿部川 いろいろなプロフェッショナルをつなぎ合わせて仕事をするっていう感じだったんですね。そこで牛尾さんはどんな仕事をしたのでしょう。
牛尾さん 主に「アジャイルコーチ」と「要求開発」の2つです。いわゆる“超”上流工程ってやつです。仕事は楽しかったですよ。自分がやりたいことをチョイスすればいいだけなんで気楽なもんでした。
阿部川 そして2015年にMicrosoft(米国本社)に入社します。何かきっかけはあったのですか。
牛尾さん 何か一つのきっかけで、というわけではないです。ぶっちゃけ、アジャイルコーチをやるのにちょっと飽きていて。海外のアジャイルコーチは分野がもっと深いのに、日本にいたら、ずっと入門。入門、入門、入門ですよ。アジャイル導入は得意やったけど、何回も同じことやっていたら飽きるじゃないですか。お客さんには喜んではもらえるけど。
だったら、英語でも勉強しようかなと。ITは米国から来るし、英語ができたらいいなみたいな。それでおっさんになってから英語を勉強しだした。勉強したら使いたいなと思うじゃないですか。だから、どっか英語が仕事で使えるとこに就職してみようかな……っていうすごい安易な考えですよね。
後、僕はずっとプログラマーになりたかったんですよね。でも、入社したのがNECやからやるのはプロジェクトマネジャーじゃないですか。だから、自分の会社でちょっとだけプログラムができた1年間は超幸せやった。
でもそれくらいで、僕がプログラマーやっていた時期っていうのは少ないんですよ。だから、もっと技術者になりたい、クラウドとかもまだそんなに勉強してなかったし……といった話を友達のミーさん(グルーヴノーツ 会長 佐々木久美子氏)に言うたら「牛尾くん、Microsoftが向いてるんじゃない」って言われて。
友達が言うんやったら受けてみようかなと思ったら、ミーさんがその場で「分かった」言うて、Microsoftの人に「牛尾くんが受けるからよろしく」ってメッセージを送ったらしくて、面接がその場で決まって、「じゃあ受けてみようかな」みたいな。それぐらいのノリでしたね。
阿部川 英語はそれまでは全くできなかったんですね。
牛尾さん だから勉強したの、本格的に。40歳超えてから。
阿部川 勉強したら使いたくなると。そうしたらいきなり面接の話が来た。すごいですね。
牛尾さん 最初は「エバンジェリスト」っていうポジションやったんで、ちょうど良かったと思うんですよね。だってその頃の僕は、テクニカルな技術はほぼ“0”に近い。コンサルティングとかPMに、そんなにテクニカルスキルは要りませんから。
エバンジェリストっていう職種も良かった。技術力よりもプレゼンが強くないといけないけれど、僕はたまたまコミュニティーとかコンサルでやっていたから、そういうのは強い。だから、「自分も勉強さしてもらいながら、向こうにも自分が持ってるもので何かバリューを与えられるよね」っていうところが良かったんじゃないですかね。
阿部川 最初から米国本社所属だったのですか。
牛尾さん 「Yes and No」って感じですね。物理的には日本でしたけど、チームとしては、インターナショナルチームやった。お客さんは日本ですけど、上司はレドモンドに在住とかそんなノリで。こういう部署は狙い目やと思いますね。
ちなみにギターは渡米後も継続されていて、演奏動画を「YouTube」で公開しているそうです。
中でも以下の演奏が「お気に入り」とのことです。
阿部川 上司は米国で、実際にやるのはこっちで結構好きにできる。バジェット(予算)はあっちから来るからそれを使って、やると決めたことをやっていさえすれば、多くは言われない。
牛尾さん フリーダムでいいっすよね、ああいうの。
阿部川 その後、シアトルに移住しますね。それはなぜでしょうか。
牛尾さん 組織変更があって、エバンジェリストチームがなくなったんですよ。チームが2つに分かれて、日本でサポートに回るか、インターナショナルチームでハック職人(ハッカソンを通じて新しい技術をシェアする)チームになるか、分かれたんです。
僕はもともとインターナショルチームなのでインターナショナルの方になったんですね。
実は前から上司に「将来は米国で働きたいんだ」と言っていたんですが、忘れた頃に「剛、おめでとう」とか言われて。「バジェット取れたからリロケーション(移住)できるよ」って言われて。「さよですか」っていうノリで移住しました。
阿部川 素晴らしい! それで米国に移住したのが2019年1月。コロナ禍が始まったころですが、完全オンラインでしたか、オフィスにも出社していましたか。
牛尾さん 僕は結構出社していましたね。ハック職人チームから今のチームへの異動は受験したんですよ。僕、プログラマーになりたかったんで。いろいろ作戦を立ててやりました。ストラテジックなんです、僕は(笑)。
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