阿部川 オーストラリアの2週間は人生を変えましたね。その頃からプログラミングをやろうと考えていたのですか?
隈元さん そこまではなかったですね。ただ、テクノロジーにはとても興味がありました。よく覚えているのは、高校生の時に登場した「iPod touch」です。それまでモバイルデバイスといえばガラケーくらいで、基本的に電話とメールを使う程度でした。そんな中、iPod touchはタッチスクリーンで操作できるし、写真も撮れる。インターネットもできるし、音楽も聴ける。すごい時代が来たなと。その頃からテクノロジーって面白そうだと思っていました。
阿部川 コンピュータとの接点は今のところない感じで、明治大学に進学します。大学では何を学ばれましたか?
隈元さん 経営学部経営学科に入りました。将来やりたいことが定まっていないなかった中、明治大学の経営学部は経営論以外にも「英語」「プログラミング」「会計」など、社会人になってから実用的なスキルが幅広く学べる学部だと思い、経営学部を選択しました。
阿部川 大学時代に熱中したことはありますか。
隈元さん 休学してワーキングホリデーでカナダに行ったことです。モントリオール大学からの交換留学生たちに聞くと、モントリオールはフランス語圏だけどダウンタウンは英語を話す人が多いし、あまり日本人がいないらしいので、英語を学ぶには好都合だと考えました。
阿部川 ワーキングホリデーではどんな仕事を?
隈元さん ラーメン屋さんと日本食レストランのウエーターをやりました。語学学校は日本の学校と同じなので、現地で日本語を勉強したい人たちとの交流にフォーカスしていました。初めて英語で夢を見た時は感動しました。
阿部川 日本語を教えることもありましたか?
隈元さん はい。カナダだけではなく、世界各国の人たちと話しました。日本語が上手な人もいて、英語と日本語の両方で交流を楽しみました。印象的だったのは、文化や言語が違えど、人間根本は変わらないなと感じたことです。
阿部川 ある意味開眼したんですね。根底では人間は変わらない。だから大丈夫だろうみたいな。その間もエンジニアリングの仕事に就く考えはなかったのですか。
隈元さん 選択肢の一つとして常に考えていました。場所を選ばず自由に働ける職業って、あまりありません。その点、プログラマーはいい候補です。モントリオールで交流した人たちのなかにはプログラマーも多く、どんどん興味を持ち始めました。
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