パトリックさん 私はカメルーンの港湾都市ドゥアラで生まれ育ち、大学も町の名前を冠したUniversity of Douala(ドゥアラ大学)に通いました。日本が初めての海外でした。
阿部川 ドゥアラにいた頃は、どのようなお子さんでしたか?
パトリックさん 子どもの頃は内向的でしたが、気の合う友達とは、カメルーンでポピュラーなスポーツ、サッカーでよく遊びました。
父からは、スクラブルなどの論理的思考を刺激する遊びをよく勧められました。母は質問好きで、子どもながらにも難しい質問に答えさせられるなど、2つの異なる質の教育を受けました。
両親とも若くして亡くなりましたので、私は叔母に育てられました。13歳ごろから一緒に暮らし始めて、人生の半分以上を共に過ごしています。
阿部川 お友達とはサッカーなどの活動的な面を、ご両親とは論理的思考を養う面を育まれたのですね。叔母さまはどのような影響を与えてくれましたか?
パトリックさん 叔母は素晴らしい人です。常に私が良い判断ができると信頼してくれていました。初めての彼女ができたときも、叔母に相談して助言をもらいました。
日常的にも、私の意見を尊重してくれ、一緒に考え、一緒に解決策を見つけていきました。そうした関係の中で、私は早くから責任感を身に付けられました。今でも叔母と密接な関係を保っており、カメルーンに帰る際は必ず叔母の家に滞在します。叔母の家が、私の故郷といえます。
ボクは「デスク」で仕事のオンオフを切り替える
海外との違いを意識すること自体がドメスティックジャパン思考
「起業していたけど翌日にクローズを決めた」――英国育ちの社交的なエンジニアが日本で働く理由
デイビッドは「カンパニーニューロンシステム」の夢を見るかCopyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.