「苦節6年」とはローカル5Gのことだ。2019年12月に制度化されて以来、補助金を活用したPoC(Proof of Concept:概念実証)ばかりが数多く実施され、実用化された例はごく少数の状況が続いていた。しかし、2025年あたりから実用事例が増え始めた。
実用化が進み始めた要因として、ローカル5G機器の低価格化やサブスク化が進み、コストのハードルが下がったこと、接続できるデバイスが増えたことが挙げられるが、最も大きな要因は、「ローカル5Gの電波の強さを生かした実利を得やすい用途」で使われるようになったことだ。
本連載で紹介した九州電力 松浦発電所(図3)や大林組のダム工事現場がその事例だ。電波が強いため、少数の基地局で広い敷地や空間をカバーできる。
冒頭の研究会に参加した横河デジタル セキュリティ事業部 ネットワークソリューション部 部長 吉田貴志氏によると、「広い敷地で遠くまで電波を届かせたい」「セキュリティ重視でデータを外部に出したくない。SIM認証を利用したい」「BCP対策として自前で設備を管理したい」といった要件を持つ化学プラントや電力会社で導入が増えているそうだ。
一方で、初期にPoCがさかんに行われたAGV(無人搬送車)など、ロボットの制御やAI(人工知能)検査といった用途での実運用はまだ少ないという。
2026年はローカル5Gの電波の強さを生かした用途から、高信頼性/低遅延を生かした高度な用途への広がりを期待したい。
コロナ禍を契機として在宅勤務が広がり、「自宅でも会社の代表電話を受電したい」「代表電話番号を使って発信をしたい」という要件を実現するため、クラウドPBX(Private Branch Exchange)の導入が進んだ。
かつては、固定電話用の電話番号=0AB-J番号(例:03-1234-xxxx)を使うには、番号を使う場所に電話回線を引くことが必須だった。制度の緩和により、番号を使う場所を書類やネットワークで証明できれば、電話回線と番号をクラウドに集中できるようになった。その結果、拠点の電話回線とそれを収容するゲートウェイなどの機器が不要になり、クラウドPBXの構成がシンプルになると同時に構築費用や運用費用が削減された。
旧来のオンプレPBXからクラウドPBXへの大きな流れを象徴するのが、NECが自社製PBXを捨てZoom Phoneへ移行したことだ。かつて国内のPBXシェア1位だったNECが他社のクラウドPBXに切り替えたことは、PBX時代の終わりを告げたようなものだ。
NECがZoom Phoneを採用した理由は、「コーポレートトランスフォーメーション、働き方DXの推進にZoom Phoneが必要だと判断したため」(NECネッツエスアイ DXソリューション事業本部 エンパワードビジネス推進本部)だ。目的の実現のために自社製PBXよりもZoom Phoneの方が適していると判断したのだ。
NECはその一方で、2025年8月に新しいPBX「SV9700シリーズ」の販売を開始した。自社では使わないが、顧客にはPBXの販売を続けるのだ。主流はクラウドPBXになっても、保安目的の電話やBCPのために電話設備を自社で所有したい、というニーズは残っているということだ。
一般企業では、住友商事の事例が参考になる。技術的に先進的なだけでなく「考え方」が進んでいるのだ。
住友商事のクラウドPBXの設計ポリシーは、「ダイレクトコミュニケーションを基本とする音声コミュニケーションの効率化」「テレワーク/オフィス内フリーアドレスなど、新しい働き方に適した音声コミュニケーション基盤の実現」「電話基盤維持/運営費の大幅削減」の3点だ。
ダイレクトコミュニケーションとは、PBX機能を使わず、個人のスマートフォンで直接、顧客や社内のメンバーと通話することだ。つまり、「脱 PBX」を進めるということになる。
特定の個人宛てではない問い合わせや申し込みの電話を受電したり、営業電話をかけたりするためには「代表電話番号」が必須であり、PBX機能が必要だ。住友商事はこのような必須の電話番号は残し、それ以外を廃止した。その結果、全社の代表電話番号は従来の10分の1、130番号になった。固定電話機はスマートフォン台数の4%にも満たない241台まで削減された。
オンプレミスのPBXを使っていると、数年に一度EOL(保守期限切れ)となり、高い費用と人的負担をかけて機器を更改する必要がある。だがクラウドPBXにはEOLがなく、常に新しい機能を使うことができる。住友商事はEOLから解放されただけでなく、年間運用コストも90%削減した。
住友商事のポリシーの先進性は、最新のクラウドPBXを導入しながら、脱 PBXを推進していることだ。下図は、その構成だ。
研究会ではアサヒグループホールディングスのランサムウェア被害も話題になった。侵入されたのはグループ会社のVPN装置だという。大規模なネットワークの運用を担当しているA氏(研究会 参加者)は、VPN装置の利用を止めてゼロトラストにすることを検討したが、断念したそうだ。
脱 VPNが簡単ではない理由は簡単だ。コストが高いのだ。
A氏が試算したところ、ゼロトラストにすると費用がVPNの約3倍になるそうだ。VPNは利用者をまとめて社内ネットワークへ接続させる仕組みであり、装置単位や同時接続数単位でユーザーを収容できるため、利用者数が増えても比較的コストを抑えやすい。ゼロトラストはユーザーごとにライセンス料や保守料が課金されるため、ユーザー数が多いと、ボリュームディスカウントがあっても割高になる。円安のため、海外のゼロトラストサービスの料金が上がっていることも大きい。
A氏は夜間、休日でも緊急パッチに対応できる運用体制を整えてVPNを使っている。
ゼロトラストで運用負荷の少ない安全なセキュリティ対策を採ることが理想だが、企業が簡単に導入を決められるほど安くないということだ。かといって、VPNの運用に不備があると、ランサムウェアで莫大(ばくだい)な損害を被るかもしれない。運用を強化してVPNを使い続けるのか、高コストを受け入れてゼロトラストにするのか、企業にとって悩ましいところだ。
企業ネットワークの未来を事例ベースで考える「羽ばたけ! ネットワークエンジニア」。今回は新春スペシャルとして、2026年の企業ネットワークの注目トピックを取り上げた。筆者自身は、5G/4Gによるモバイルシフト、クラウドPBXの先進的な活用、というところで企業ネットワークの進化に貢献したいと考えている。
松田次博(まつだ つぐひろ)
情報化研究会(http://www2j.biglobe.ne.jp/~ClearTK/)主宰。情報化研究会は情報通信に携わる人の勉強と交流を目的に1984年4月に発足。
IP電話ブームのきっかけとなった「東京ガス・IP電話」、企業と公衆無線LAN事業者がネットワークをシェアする「ツルハ・モデル」など、最新の技術やアイデアを生かした企業ネットワークの構築に豊富な実績がある。本コラムを加筆再構成した『新視点で設計する 企業ネットワーク高度化教本』(2020年7月、技術評論社刊)、『自分主義 営業とプロマネを楽しむ30のヒント』(2015年、日経BP社刊)はじめ多数の著書がある。
東京大学経済学部卒。NTTデータ(法人システム事業本部ネットワーク企画ビジネスユニット長など歴任、2007年NTTデータ プリンシパルITスペシャリスト認定)、NEC(デジタルネットワーク事業部エグゼクティブエキスパートなど)を経て、2021年4月に独立し、大手企業のネットワーク関連プロジェクトの支援、コンサルに従事。新しい企業ネットワークのモデル(事例)作りに貢献することを目標としている。連絡先メールアドレスはtuguhiro@mti.biglobe.ne.jp。
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