7年の教員生活の中でヒュージ氏は「最新の技術に触れたい、自分で手を動かしたい」という思いを募らせていく。その渇望がせきを切ったある日、再びエンジニアに戻る決断をし、転職活動を開始する。そこで出会ったのがフリースタイルだった。
だが、技術者の求人に応募したはずなのに、面接でこれまでの経歴を話すうちに、「教育担当のポジションが空いている」と打診された。エンジニアに戻りたかったヒュージ氏にとってそれは、希望とは違う提案だっただろう。しかし、彼はここでも「神様が見ている」かのような運命を感じ取った。
「さすがに自分でも引いてしまいました。こんなたまたまがあるのかと。教育担当の話が出てきた時は、どうしようかと揺れました。エンジニアになろうと思っていたので。でも、話を聞いてみたら、ちょうどいままでの2つの経験がつながるポジションだと理解できて、いままでやってきたことが無駄にならない、一番いい選択なんだろうな、と思うようになったんです」
現在のヒュージ氏の仕事は、IT未経験者として入社したメンバーが一人前の技術者になれるように育成する独自のカリキュラムと認定試験を構築することである。
「勉強でも何でも、やり始めって、あんまりしっくり来ないというか、自分の身になっていない感じがしばらく続くじゃないですか。でもどこかで『何か分かった。やれるようになってきた』というタイミングがやってくるんです。ここからは自分でいろいろやっていくんだなっていう一瞬。『あ、楽しめるようになってきたんだな』という瞬間を見るのは結構楽しいし、気持ちいいです」
かつて自分がPCという翼を手にし、言葉の壁を越えたあの時の感動を、彼はいま、多くの「ITビギナー」たちへと手渡している。
ヒュージ氏のこれまでの歩みは、一貫した「読み替え」の軌跡である。
言葉が通じず、出口の見えない絶望の中にいた中学の「暗黒時代」。その過酷な経験を、救いの手を差し伸べてくれた「恩師に出会えた幸運」へと読み替えた。
希望とは異なる形で身を投じることになったSESの現場。そこでの重圧や環境の変化を、「上流工程を若いうちから学べる、恵まれた環境」へと読み替えた。
そして、エンジニアとしての再スタートを望みながらも、再び提示された教育という道。彼はそれをも「自分にしかできない価値を発揮できる宿命」へと読み替えたのである。
「運が良かった」というヒュージ氏の言葉は、単なる楽観主義ではない。それは、心が折れそうになるほどの不条理や、自分ではコントロールできない運命の変転に直面したとき、自らを守り、再び前を向くために編み出した「生存戦略」であったのかもしれない。
かつての自分がそうであったように、暗闇の中で立ち止まっている誰かに「分かる楽しさ」という光を届けたい。その切実な願いがあるからこそ、彼は自らの痛みを「幸運」という名の強さに変えることができたのだ。
かつてブラジルの田舎町でPCに無限の可能性を見た少年は、いま名古屋の地で、技術と教育の架け橋として次世代のエンジニアたちの未来を設計している。その瞳には、新しい世界を前に目を輝かせる教え子たちの姿が、再生を果たした自分の姿と重なるように、温かく映っている。
自分が思う能力と周囲が認める能力が完全に合致することは、あまりない。むしろ、人が発見してくれる能力こそ、本当の自分の能力や適性であるとも言える。
それを素直に受け入れ、そこから学ぶことができるか、あるいは、それを実現できる下地が整っているか、習得の可否はそこにかかっている気がする。
ヒュージさんは自分の能力を素直に発見してきたのだとも思う。
教育担当としてのやりがいは、学習者が自力で解決の糸口を見つけ、行き詰まりを乗り越えたとき、あるいは、学ぶ楽しさを知り、新たなスキルを身に付け、自信を持って前進していく姿を見るときだという。勉強していて不安になることの払拭(ふっしょく)も仕事のうちだと豪語する。それはヒュージさんが先輩から受けた素晴らしい遺産でもあるだろう。
受けた恩を忘れず、それを受け継ぎ、継承していく。この継続こそが、個の強さ、組織の強さを下支えする。教育と人材がビジネスの根幹だと改めて思い知った。
アイティメディア 事業開発局 グローバルビジネス戦略担当、情報経営イノベーション専門職大学(iU)学部長、教授、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科(KMD)特任教授、インタビュアー、作家、翻訳家
コンサルタントを経て、AppleやDisneyなどでマーケティングの要職を歴任。大学在学時から通訳、翻訳も行い、CNNニュースキャスターを2年間務めた。現在、iU情報経営イノベーション専門職大学の学部長、教授も兼務し、多くの企業とプロジェクトを推進。元神戸大学経営学部非常勤講師、元立教大学大学院MBAコース非常勤講師。ビジネスや起業のコンサルティング、英語やコミュニケーション、プレゼンテーションのトレーナーの他、作家、翻訳家としても活躍中。
取材中、ヒュージさんは何度も「運が良かった」とほほ笑んだ。ブラジルから来日し、言葉の壁にぶつかり、中学で不登校になった過去さえも、彼は「恩師に出会えた幸運」として語ったのだ。その爽やかな語り口に、私たちは危うく彼の「痛み」を見過ごすところだった。
だが、原稿を書き進めるうちに気付いた。彼が語る「幸運」とは、決して偶然降ってきたものではないことに。暗黒時代の深い傷跡を絶望で終わらせないために、自らの意志で光へと塗り替えてきた壮絶なまでの「再生」の証しだったのだ。
AIが効率を競い、人間から「作る喜び」を奪いかねない時代が来ようとしている。そんな中、彼がプログラミングを「アート」と呼び、初心者に寄り添い続けるのは、技術の向こう側にある「人の心」を守るためだろう。効率だけでは救えない誰かのために、彼は今日も教壇に立ち、コードを書く。その「読み替え」の強さに、エンジニアという職業の新たな誇りを見た気がした。
「Go Global!」では、GO阿部川と対談してくださるエンジニアを募集しています。国境を越えて活躍する外国籍のエンジニア(35歳まで)、グローバル企業のCTO(最高技術責任者)など、ぜひご一報ください。取材の確約は致しかねますが、インタビュー候補として検討させていただきます。取材はオンライン、英語もしくは日本語で行います。
ご連絡はこちらまで
元特殊教育教諭がITエンジニアにキャリアピボットした理由
「転ばぬ先の杖」の文化を習得せよ。韓国出身データエンジニアが語る、日本のIT現場Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.