「250万超AIエージェント作成」の裏で同時多発する課題を回し切ったIT部門の運用術ソフトバンク生成AI導入を支えた企業ITの現場(1)

ソフトバンクは、生成AIサービスを数万人規模で全社展開しましたが、その裏側では従来のSaaS導入とは異なる課題が同時多発的に発生しました。それを支えたのは、切り分け・情報整理・関係者調整・粘り強い説明といったIT部門の基礎力と現場の経験です。この事例は、生成AI時代の企業ITが「整ったものを入れる」から「未整備なものを運用で成立させる」仕事に変化していることを示しています。

» 2026年07月07日 05時00分 公開

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 ソフトバンク 代表取締役 社長執行役員 兼 CEO 宮川潤一は、「AIの進化に対して静観するのは退化である」という強い危機感を持ち、全社におけるAIの徹底活用を推進しています。その一環として、全社員に対して「夏休みの宿題」という形で、1人100本のAIエージェントを作成するように号令をかけました。

 ハードルが高いこの号令を現場まで浸透させた鍵は、トップ自らによる「実演」と「手軽さのアピール」です。宮川氏は朝礼の場で、わずか10分ほどでAIエージェントが作れることをデモンストレーションしました。言葉で指示を出すだけでなく、誰でも簡単に作れることを具体的に示したことで、社員の心理的ハードルを下げ、主体的な行動を促したのです。この現場を巻き込む仕掛けにより、号令からわずか2カ月半で、250万超ものAIエージェントが作成されるという大きなムーブメントへと発展しました。

 AIサービスを3万人規模に展開し、運用していく上で、IT部門はどう対応したのか、その泥くさい裏側を3回にわたって紹介する本連載「ソフトバンク生成AI導入を支えた企業ITの現場」。初回は、AIサービスの導入と運用の過程で直面した課題と対応について、現場の視点から整理しました。

導入前:マニュアルがない中での立ち上げ

 最初に直面した課題は、導入マニュアルが存在しない状態から立ち上げる必要があったことです。従来のエンタープライズ向けSaaSとは異なり、生成AIサービスは進化のスピードが速く、導入・運用のベストプラクティスが発展途上でした。そのため、IT部門では検証環境を構築し、挙動を確認しながら仕様を把握しました。準備期間が2週間と限られていましたが、情報や前例が少ない状況だからこそ、検証や判断、次のアクションを短く回すことを重視しました。

 結果として、限られた期間でも導入に必要な論点を整理し、全社展開に向けた準備を前に進めることができました。スピードを重視しながら実装と運用を組み立てていく、ソフトバンクらしい立ち上がりでした。

導入当日:プロビジョニング停止をどう乗り越えて全社展開したのか

 全社展開当日、大量アカウントのプロビジョニング処理で、一部の処理が想定通りに進まない事象が発生しました。

 数万人規模の全社展開では、プロビジョニングの進行状況が、展開スケジュールやユーザーの利用開始に影響します。そのため、IT部門では展開全体への影響を最小限に抑えるために発生直後から原因の切り分けを開始しました。生成AIサービスのようなSaaSでトラブルが発生すると、原因調査時にサービス提供事業者の協力が欠かせません。

 まず、認証連携やSCIM(System for Cross-domain Identity Management)設定、ネットワーク、権限設計など、事前に確認できる事象を洗い出しました。併せて、再現条件、影響範囲ログや処理状況を時系列で整理し、サービス提供事業者と共有して調査に当たりました。

 この対応で重視したのは、確認と回答の往復をできる限り減らし、社内外のステークホルダーや関係者が同じ前提で状況を把握できるようにすることです。今回のような数万人規模の展開では確認すべき範囲が広く、確認と回答を繰り返すと最終的な判断を下すまでに時間がかかってしまいます。そのため、IT部門ではソフトバンク側で考えられる論点を先に調査して、調査に必要な状況説明や確認済みの事項、確認が必要な点などを整理し、「先回りしてサービス提供事業者と共有」しました。

 結果として、サービス提供事業者側の調査に必要な情報を早期にそろえることができ、関係者間の認識合わせをスムーズに進められました。対応は夜間に及びましたが、サービス提供事業者の多大な協力のおかげで、最終的に全社員へのアカウントプロビジョニングは完了し、最小限の影響でサービスを展開できました。

 この対応は、これまで多様なSaaSの導入で培ってきたトラブルシュートの経験と、最小のやりとりで解決に持ち込むための情報整理力があったからこそ実現できたと考えています。

ガバナンス設計:機能制御と利用ルール整備

 生成AIを全社展開する上では、利用を広げるだけでなく、企業として安全に使い続けられる状態を設計する必要があります。特に生成AIサービスのように機能追加のスピードが速いサービスでは、「どの機能を許可し、どの機能を制御するか」を継続的に判断することが重要です。

 ソフトバンクでは、「機能制御」と「利用ルールの整備」を両輪として、利便性とガバナンスのバランスを取りながら運用を進めました。

機能制御

 生成AIサービスを全社導入するには、社内ガバナンスとの整合性を取ることが最低限の条件です。それには機能制御が必要なのですが、単にリスクのある機能を止めるだけでなく、「どの条件であれば安全に利用できるか」を見極めることが大切です。

 ソフトバンクでは、各機能について、外部サービスとの連携有無、入力データの扱い、共有範囲、管理者による制御可否、監査ログの確認可否などの観点で確認しています。その上で、社内ガバナンスと整合しない機能は制限しています。

 制限をかけて終わりではなく、「制限が効いているかどうか」「ユーザー体験を過度に損なっていないかどうか」「新しい設定項目が追加されていないかどうか」などを継続的に確認し、必要に応じて制御ポリシーを見直す運用まで含めて、設計することも企業利用では重要です。

利用ルール整備

 機能制御だけでは、生成AIを安全に利用し続けることはできません。ユーザーが迷わずに判断できるように利用ルールを整備することも重要です。

 ソフトバンクでは、IT部門やセキュリティ部門、CDO部門、法務部門、利用推進部門が合同でガイダンスを整備しました。生成AI導入から2年間で蓄積したルールと知見をベースに、ユーザー向けのガイダンスを短期間で整備できました。

 特に重視したのは、抽象的な注意喚起だけでなく、現場が判断しやすい基準・表現に落とし込むことです。例えば、「どのような情報を入力してよいか」「どのようなケースでは確認が必要か」といった具体的な判断軸を明確にすることで、従業員がこのガイダンスを順守する形でAIを活用できることを目指しました。

 このルールをワンストップで検討、意思決定できる体制が、スピーディーなサービス導入ができる基盤にもなっています。

導入後【1】止まらない機能アップデートへの対応

 生成AIサービスの運用で特に難しいのが、機能追加のスピードが速過ぎることと大量のアップデートがあることです。

 本来なら社内公開前にリスクや影響範囲を確認してから公開するところですが、情報が限られていたり、検証時間を十分に確保できなかったり、対象機能が多過ぎたり、自動で有効化される機能があったりします。そのため、運用は必要に応じて「いったん止める→検証環境で試す→確認できたものからリリース」というサイクルを回し続けています。例えば、エージェント機能(Agents)は、インターネットへのアクセスや外部ストレージ、プライベートSaaSとの連携といった挙動を伴うので、企業環境ではリスクと捉えて、一時的に停止しています。

 この運用は1回設定して終わりではなく、新機能の追加に合わせて継続的に見直す必要があります。一般情報の収集にはAIも活用していますが、最終的な判断には、社内環境や業務影響を踏まえた人の確認、判断が欠かせません。

 この泥くさい運用を支えているのは、IT部門がこれまで培ってきたSaaS管理の経験ノウハウです。「Microsoft 365」「Google Workspace」「Slack」といったSaaSを管理してきた経験に加えて、早期から生成AIの機能制御やルール整備に取り組んできた経験があるからこそ、新機能によるリスクの見極めが「こういう機能だと、このあたりが危なそう」といった具合で迅速に実施できています。

導入後【2】サービス仕様とのギャップ

 運用を進める中で、IT部門の期待値とサービス仕様のズレも明らかになっていきました。

 例えば、オペレーションミスやプロビジョニング設計、障害などによってアカウントが消えてしまうケースがあります。企業ITの運用では発生し得る事象で、「アカウントが復活したときには元の情報も含めて復元される」というのがIT担当としての当然の期待値です。しかし当初の仕様では、エージェントやプロジェクトが復元されないケースがあり、現場としては肝を冷やしました。

 特に「一人100エージェント」を推進している中では、ユーザーが作り込んだエージェントが消えてしまう影響は非常に大きく、単なるデータの消失ではなく、業務そのものが止まるレベルのインパクトになります。

 こうした期待値と仕様のズレに対しては、単に受け入れるのではなく、継続的にサービス提供事業者に働き掛けました。発生条件や影響範囲を整理しながら、継続的に状況を伝え続けています。その結果、現在はアカウント復活時にエージェントやプロジェクトも復元される仕様に改善されています。

 この一連の対応は、単なる「運用の延長」ではなく、サービス改善に直接関与した取り組みでもあります。自分たちが最も使い込みながらサービスを育てていく──そうしたソフトバンクらしいスタンスを体現できた事例だと感じています。

導入後【3】利用拡大と現場の摩擦

 機能を制限すると、当然、ユーザーからの反発も生まれます。「IT部門が止めていて使えない」という声も多く上がってきます。そのため、各部門のAI担当者や経営層に対して、検証状況や制限の理由、想定されるリスクを継続的に説明し続けています。

 ここで重要になるのが、IT部門だけで説明を完結させるのではなく、各組織のAI推進担当者を設定して部門ごとの業務文脈に合わせて伝えることです。AI推進担当者がIT部門と利用部門の間に入り、制限の意図やリスクを業務に即して説明することで、理解の浸透と摩擦の低減につながっています。ITと現場の間に立つ“翻訳者”として各部門のAI推進担当者が機能することで、全社展開を持続可能な形で回し続けることができています。

導入後【4】会社契約以外のアカウントを切り分けるテナント制御

 導入後しばらくして、セキュリティをさらに強化する必要性が出てきました。会社でSaaSとして生成AIサービスを契約した場合、利用者には会社契約のアカウントでログインしてもらう必要があります。一方で、同じ生成AIサービスでは、会社契約、部署契約のいずれもアクセス先のURLが同一になる場合があります。

 そのため、URLベースのアクセス制限だけでは、会社契約のアカウントと、それ以外のアカウントを判別できません。部署契約などのアカウントによる誤ったログインを防ぐには、URL単位ではなく、認証情報やテナント単位で利用を制御する仕組みが必要です。

 こういった管理外のアカウントの利用を継続すると、「会社の生成AIのつもりで、セキュリティ対策のされていない部署契約の生成AIを使ってしまう」といったケースが発生する可能性があります。これを防ぐには、全社展開している生成AIサービスへの通信は許可し、それ以外の生成AIサービスへの通信は制限する必要があります。

この対応については、ソフトバンクで以前から導入していたクラウドプロキシを活用した「SaaSのテナント制御機能」を利用することで、比較的早期で実現できました。

 既存のセキュリティ基盤を組み合わせて対応できたことは、これまで社内外のさまざまなセキュリティ要求に対して答え続けてきた中で培ってきた「引き出しの多さ」を実感した瞬間でもありました。

 クラウドプロキシについては、連載の次回で改めて紹介します。

順番に来るのではなく、全て同時に起こる

 今回の全社展開を振り返ると、正直なところ「大変だった」という一言に尽きます。マニュアルがない状態で、手探りで立ち上げ、展開当日にプロビジョニングが止まり、運用段階に入ると仕様と期待値のズレに直面し、さらに、その裏で機能は次々と追加されていく。

 しかも、それらは順番に来るのではなく、全て同時に起こる。「どこかが落ち着いたら次」ではなく、常に複数の課題を抱えながら回し続ける必要がありました。その中でIT部門としてやっていることは、実は特別なことではないのです。起こっている事象を切り分け、影響範囲を見極め、関係者と調整し、必要があれば止め、説明し、また動かす。この繰り返しです。

 生成AIの領域では、この運用サイクルのスピードと不確実性が、これまでのSaaS運用とは明らかに違いました。情報がそろわない中で判断し、時には正解がない状態で決める場面も多く、だからこそ最終的に頼りになるのは、これまでの運用で培ってきた経験や勘所、そして現場で粘り強く対応し続ける組織力です。今回の取り組みは、そうしたIT部門の地力で何とか回し切った」というのが実態に近いと思います。

 生成AIの全社展開は華やかに見えますが、その裏側は極めて地道で泥くさいものです。その現実を前提に、どう運用として成立させるかが、これからの企業ITに問われていると感じます。

執筆者プロフィール

松本浩成(まつもと・ひろなり)

ソフトバンク株式会社 技術統括 コーポレートIT本部 エンタープライズシステム統括部 ERPシステム部 ユーザフロント課

入社以来約20年、社内ITサポートや業務ツールの全社展開を担当。近年は生成AIツールの全社展開に携わり、自部門でも生成AIチャットbotによる問合わせ削減を推進している。

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