AIモデルの性能議論が一巡し、AIエージェントを自律的に動かすための環境整備「ハーネスエンジニアリング」へと潮流が移る一方、日本企業の取り組みは「ほぼ皆無」だという。ITRのプリンシパル・アナリスト甲元宏明氏に、現在地と、勝ち残るための「現実解」を聞いた。
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Anthropic、Google、OpenAIといったプラットフォーマーがAIモデルを進化させる中、連日のようにモデルの性能比較が話題となっている。だが、ソフトウェアがビジネスの差別化やイノベーションそのものを担う今、AIエージェントを活用するグローバル企業や先進企業はすでにその先を見据えている。
今や局所的なAI適用やモデルの性能にまつわる議論は一巡し、AIエージェントに自律的な開発をさせる環境整備、すなわち「ハーネスエンジニアリング」へとシフトしているのだ。
ソフトウェア開発においてもAIエージェントの活用が「待ったなし」の状況となる今、ITRでプリンシパル・アナリストの甲元宏明氏に、日本企業の現在地と、勝ち残るための「現実解」を聞いた。
――グローバルや先進企業の間でハーネスエンジニアリングの取り組みが広まる中、日本企業の取り組み状況をどうご覧になっていますか。
甲元氏 結論から申し上げると、一般的な日本企業におけるハーネスエンジニアリングへの取り組みは「ほぼ皆無」というのが現実です。
一部の先進的なITネイティブ企業やスタートアップでは、AIエージェントを活用したソフトウェア開発を進めていますが、伝統的な大企業や中堅中小企業、SIer(システムインテグレーター)を含め、従来型の日本企業においては、まだハーネスエンジニアリング以前の段階にとどまっています。
そもそもハーネスエンジニアリングとは、開発プロセス全体を1つのAIエージェントで包括的・統合的に回すからこそ機能するものです。上流設計から実装、コードレビュー、テスト、品質保証、デプロイまでを自律的に動かす環境を構築できて初めて「ハーネスが必要だよね」という話になります。
しかし、現在の日本企業で進んでいるAI活用は、上流設計やコード実装、テストといった「個別の作業・フェーズごとの局所的なAI活用」に過ぎません。個別の実装作業だけに対してハーネスを組んでも、何の意味もありません。包括的なエージェント開発プロセスそのものが存在しないため、ハーネスエンジニアリングに取り組みようがないというのが現状です。
――なるほど……。先進的な開発現場では、MCP(Model Context Protocol)のような個別具体的なプロトコルや仕組みを概念としてまとめてハーネスと捉える向きもあれば、全社的なガバナンス・セキュリティ基盤まで包括してハーネスと捉えるケースもあるようです。ITRとしては「ハーネスエンジニアリング」の定義や範囲をどのように捉えていますか。
甲元氏 ハーネスとは、単に1人のエンジニアの作業を支援するような個別ツールや、特定の通信規格・プロトコル単体を指すものではありません。「エンタープライズ企業において、全社的に安心・安全にAIエージェントを動かし、AIエージェントが主体的にアプリ開発を遂行するための統合的・総合的な環境」を指します。
AIの暴走や迷走を防ぐ仕掛け、意図した最終結果にたどり着くためのテスト・性能検証、セキュリティやコンプライアンスの確保、そして人間が評価・介入する「ヒューマン・イン・ザ・ループ」の仕組みまでを含んだ、システムインフラと人間の組織的評価プロセスの両面を統合した環境こそが、本来のハーネスエンジニアリングの定義です。
――多くの企業がハーネス環境の構築に至っていないという以前に、開発プロセスそのものがAIエージェントを有効に適用できるほど整っていない印象もあります。背景には何があるのでしょうか。
甲元氏 長年にわたる「従来型SIer依存・外注体質」という構造的問題があります。日本の多くの企業は、自社の中にアプリケーション開発のノウハウやコードを書けるエンジニアをほとんど抱えてきませんでした。
経営層が「自社でコードを書き、システムを育てる」という営みを長年軽視してきたツケが、AIエージェント時代になって一気に跳ね返ってきているのです。
経営層の内製化に対する意識自体はここ2〜3年で急速に変わったことは間違いありません。しかし、「内製化したい」という意識があっても、社内には開発スキルもAIの知見を持つ人材も存在しない。
結果として「AIを使えば、開発ノウハウがない自分たちでもSIerに頼らず安くアプリケーションが作れるのではないか」という甘い期待でAIを導入し、結局どうすればか分からず足踏みして悩んでいる企業が多数を占めています。
――AIを「魔法のつえ」のように捉えてしまっているのですね。
甲元氏 「コードを書かずに済む魔法のツール」を求めすぎるあまり、本質的なエンジニアリング領域から目を背けてしまっています。またAI導入の目的が「実装フェーズの工数削減」や「人件費削減」といった近視眼的なコスト削減に偏っている点も大きな問題です。
コスト削減目的のAI導入、局所改善では、開発プロセス全体の最適化やAIを活用したイノベーションには到底つながりません。
――自社のビジネス成長やイノベーションという本来の目的に沿ってAIエージェントを組み込んでいく中で、ハーネスを効果的に整備するにはどう取り組めばよいのでしょうか。
甲元氏 現段階で日本企業が自力だけでハーネスを一から構築するのは非現実的です。国内でもハーネスを正しく理解し、構築できる専門家自体、ごく少数に限られています。
最大の壁は「人材確保」です。普通に考えてみてください。ものすごく高度なAIエージェントの知見を持った若い優秀なITエンジニアが、伝統的な日本の大企業や既存のSIerに就職するでしょうか?
従来の定期採用や人事制度、標準的な外注スキームに頼っていては絶対にAI人材は確保できません。以下のような柔軟な人材戦略が不可欠です。
――厳しい現実が浮き彫りになりましたが、日本企業は開発に対する考え方をどのように変えるべきでしょうか。
甲元氏 まずやるべきは、「アプリケーション開発はビジネスの差別化とイノベーションの核である」と経営トップが正しく認識することです。
「SIerへの支払いを減らしたいからAIを使う」という発想を捨て、自社のビジネス戦略の中にアプリケーション開発をどう位置付けるのか、5年後を見据えた中期戦略を策定しなければなりません。
本格的なAI推進とその先に見えてくるハーネス環境の整備には、相応の投資と人材の確保が必要です。「明日やってすぐコストが下がる」といった短期的な成果を求めるのではなく、「向こう3年間は直接的なリターンが少なくても覚悟を持って投資し続ける」という経営判断ができるかどうかが分かれ目となります。
グローバルと日本との差が開く中、勝負が決まるまでの猶予は「あと5年」とみています。
――最後に、日本企業にメッセージはありますか。
甲元氏 厳しいことを申し上げてきましたが、決して絶望する必要はありません。日本企業の風向きは確実に変わってきています。
例えば2015年ごろ、国内で「アジャイル開発」や「内製化」に取り組む企業は限定的でした。しかし今や、多くの日本企業ではアジャイル開発が中心となり、内製化へのシフトもここ2〜3年で着実に進んできています。
一度方向性が定まれば、日本企業は強い力を発揮できます。短視眼的なコスト削減の呪縛を解き、5年先を見据えて気合を入れて取り組めば、日本企業が巻き返すチャンスはまだまだ残されています。
あと5年、本気で変革に向き合えるかどうかが、企業の未来を左右するでしょう。
AIエージェントがビジネスを推進する強力な手段となりつつある今、コスト削減目的の局所的な導入にとどまらず、本来のビジネス目的とプロセス全体を見据え、安全に成果を獲得できる「仕組み」を設計・構築できるかどうか。開発業務に限らず、日本企業の視点が問われている。
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