もし明日死んでも、後悔しない人生を歩みたい:転機をチャンスに変えた瞬間(10)〜野球審判員 平林岳
プロ野球の審判員になった、家族もできた。このまま日本にいても充実した日々が送れるだろう。でも……
1992年、米国の審判学校を卒業し、晴れて審判員になれた平林さん。マイナーリーグからのキャリアアップを始めて1年後、思わぬオファーが日本からもたらされた。それは、一度は視力検査で不採用となったパ・リーグからのスカウトであった。
帰国後約9年間、松坂大輔選手のプロデビュー戦や日米野球の球審を務めるなど、充実した日々を送ってきた。しかし心の中には、帰国して以来ずっとくすぶり続けていた夢があった。「最高峰メジャーリーグで審判員を務めたい」。そして家族の一言に後押しされ、再渡米を決意する──。
もし明日死んでも、後悔しない人生を歩みたい
丸山 日本の球界で審判員をするということは、メジャーリーグ昇格の夢を諦めるという選択でもあったのでしょうか?
平林 その頃は、周囲に日本人が一人もおらず、コミュニケーションがうまく取れなくて、フラストレーションがたまっていました。寂しかったというのが、帰国の一番の理由だったのかもしれません。
もともとは日本のプロ野球の審判員をやりたいと思っていたわけですし、一度は日本で審判員を経験してみてもいいかなと。でも、夢を諦めるつもりはありませんでした。いつでも米国に戻れるという思いで帰国したんです。
今思えば、日本にいた9年間も僕の財産になりました。日本の野球のレベルが高いことが肌で感じられたし、審判員としても成長できた部分がたくさんありました。1994年には結婚し、その後娘も生まれました。そのまま日本で生活していても、十分充実した日々が送れたかもしれません。家族の暮らしのことを考えたら、日本にいた方がずっと安定していましたから。
丸山 米国と日本でプロ野球審判員を経験されたわけですが、その差異をどう感じましたか?
平林 野球の規則は、米国も日本も大差ありません。では何が一番違うのかといえば、組織の構造そのものです。
米国ではコミッショナーに絶大なる権限がありますが、日本はチームオーナーの集まりがコミッショナーよりも上に位置します。審判員は、コミッショナーの代行としてグラウンドに立つので、米国では絶対的な権限があります。判定に抗議する選手や監督は少ないし、審判員をリスペクトするという精神が、それこそリトルリーグから徹底されています。
対して日本では、審判員は監督よりも下の存在です。ストライク/ボールの判定での抗議は当たり前だし、口だけではなく手まで出してくる人がいる。米国で手を出せば、球界を追われるほどの制裁があります。(日本では制裁が厳しくないので)米国では絶対に抗議などしない外国人選手さえもが、日本に来ると平然と抗議してしまう。僕は日本での審判員時代、その矛盾をずっと感じていました。
丸山 日本では守るべきご家族ができました。その奥様の一言が、再びメジャーリーグを目指すきっかけになったということですが。
平林 ずっと、米国へ戻って挑戦し直したいと思っていました。でも、それを自分から嫁さんに話すことはできずにいました。娘が生まれ、守るべき家族ができたわけですから、夢を語ればわがままになると思っていたんです。そんなとき、嫁さんがこういってくれたんです。「もし米国でやりたいという思いがあるのなら、やれる時にやった方がいい」。
僕は自分の夢を口には出しませんでしたが、嫁さんは分かってくれていたのでしょうね。例えばメジャーリーグの中継を一緒に見ている時、「あ、あいつは俺と同期だった審判員だよ」とか言っていましたから。嫁さんの言葉を聞いて、「もし明日死んでも、後悔しない人生を歩みたい」と思えました。それなら、米国へ行こうと。まだ遅くはない、もう一度米国で挑戦しようと。
構成/平山譲
聞き手 丸山貴宏
クライス&カンパニー 代表取締役社長
リクルートで人事採用担当を約7年経験後、現社を設立。転職希望者面談数は1万人を超え、その経験と実績に基づいたカウンセリングは業界でも注目されている。「人の根っこのエネルギーを発掘する作業が、われわれの使命」がモットー。著書「キャリアコンサルティング」(翔泳社)
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※この連載はWebサイト「転機をチャンスに変えた瞬間」を、サイト運営会社の許可の下、一部修正して転載するものです。データなどは取材時のものです。
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