悔いの残る人生:転機をチャンスに変えた瞬間(17)〜プロ野球球団代表 米田純
「野球に携わる仕事をしたい」。やりたいことは明確なのに、どんどん離れていく現実。ままならぬ想いと戦った楽天球団代表 米田さんの若手時代とは。
米田さんは若いころ、高校では甲子園を諦め、大学でも硬式を諦め、選手としては悔いが残る野球人生を送ったという。早稲田大学の準硬式野球部で選手活動を終えた後、「野球に関わる仕事ができれば」と西武百貨店へと就職。だが、入社当初はスポーツカジュアル販売の仕事に就き、その後もプロモーションの営業企画、本社の営業分析と、野球とは無縁の道を進むことに。
米田さんを前進させたのは、手探りしながら一つ一つのことを真剣に学び取ってゆく姿勢と、いつかは野球を仕事にしたいという、「捨て切れない夢」への望みであった。東北楽天ゴールデンイーグルス球団代表の、転機をチャンスに変えた瞬間とは──。
生きていく道は別にある、自分にそう思い込ませていた
丸山 米田さんの野球との関わりをお聞かせいただけますか。
米田 小学生のときに住んでいた茅ヶ崎で、スポーツ少年団に入ったのが始まりです。その後、二宮大磯リトルリーグで硬式野球を経験し、関東大会に出場しました。野球は楽しかったし、小さなころはピッチャーでブイブイいわせていたので(笑)、高校に入ってからは甲子園を目指したいと思っていました。中学でもシニアリーグで硬式野球を続け、高校は早稲田実業高に進学したかったんです。当時は思い切り野球をすることしか考えていませんでした。
経済的な理由から県立高に進学しましたが、その高校には硬式野球部がありませんでした。大学は早稲田大学に進学し、硬式野球部ではなく準硬式野球部に入りました。そこで4年間野球を全うして選手としては終わりましたが、高校では甲子園を諦め、大学では硬式を諦めているので、悔いが残る野球人生でした。
丸山 就職先を決めるに当たり、どのような選択をされたのでしょうか。
米田 僕はしつこくて、野球を切ってしまえなかったのです。野球に携わる仕事がしたい、そればかり考えていました。当時、百貨店のスポーツ館がいたんですね。西武百貨店のスポーツ館にも幾つものプロジェクトがあっ流行していて、その中には野球用品などの職人のような仕事があったのです。グローブやスパイクを直したり、少年野球チームをプロデュースしたり。
早稲田大学時代、先攻が体育学だったこともあり、とにかくスポーツに関する仕事をしようと。ところが、いざ西武百貨店に就職してみたら、スポーツカジュアルに配属されたのです。僕は、学ランやジャージかユニフォームしか知らないような若者で、洋服に関する知識なんてまったくありませんでした(笑)。だから、シャツの歴史などを一から勉強しました。
丸山 その後も野球とは無縁のお仕事が続きました。やりたいことと現実とのギャップに、どのように対処されましたか。
米田 次の配属は、池袋西武の営業企画でした。クリスマスのプロモーション企画を任されたのですが、僕は野球しかやってこなかった人間ですから、文章を書くことが不得手でした。先輩や同僚たちは、思い思いの企画をすらすらと文面にしているのですが、僕は1行も書けない(笑)。
結局みんなが帰宅してからも会社に残って徹夜して、それでも1行も書けなかったことを覚えています。その池袋西武で4年間過ごし、本社の営業分析へ異動になりました。
今度は文章ではなく、数字ばかりの世界。数字アレルギーだったので、一日中数字とにらめっこする仕事はつらかったです。その後も、筑波西武の販売促進や本社の営業企画など、野球とは無縁の仕事が続きましたが、一方で企画プロデュースや数値分析など小売りにおけるマーケティング系のスキルは着実に身に付いてきました。
ライオンズセールは特に、楽しんでやりました。誰にも譲らずに自分がやるんだと。どこかで野球とつながっていたかったのだと思います。西武ライオンズ球場(当時)の球場長に、「球団に入りたいんです」と相談したこともありました。でも「それは人事的に難しい」と真剣に言われて、がっかりしたこともありました。
夢を捨て切れない自分がいるのですが、実生活の中では野球がいつしか遠い存在になっていました。幾つになっても野球は好きでしたが、「僕が生きていく道は別にある」と自分に思い込ませていました。
構成/平山譲
聞き手 丸山貴宏
クライス&カンパニー 代表取締役社長
リクルートで人事採用担当を約7年経験後、現社を設立。転職希望者面談数は1万人を超え、その経験と実績に基づいたカウンセリングは業界でも注目されている。「人の根っこのエネルギーを発掘する作業が、われわれの使命」がモットー。著書「キャリアコンサルティング」(翔泳社)
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※この連載はWebサイト「転機をチャンスに変えた瞬間」を、サイト運営会社の許可の下、一部修正して転載するものです。データなどは取材時のものです。
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