激務を支えた「俺がやらなきゃ誰がやる」の気持ち:転機をチャンスに変えた瞬間(19)〜プロ野球球団代表 米田純
2005年春、東北楽天ゴールデンイーグルス代表 米田純は、チームメンバーをお披露目する華やかな舞台の袖で一人泣いていた。40代にして初めて、好きなことを仕事にできた男がくぐり抜けた苦難とは?
楽天のプロ野球への新規参入に当たり、球団代表として白羽の矢が立った米田さん。「野球を職業に」と長年抱き続けてきたひそかな夢が実現した瞬間だった。しかし、それは同時に、連続して訪れる苦労の始まりでもあった。
まったくのゼロから約半年で開幕という時間的制約の中で、連日徹夜でチーム作りにまい進。激務に追われる米田さんを支えたのは、「50年ぶりに新しい球団を作る」という事実、そして「自分がやらずに誰がやる」という、責任感と使命感だった──。
「大変」よりも「楽しい」
丸山 新球団設立に当たっては、これまで経験してこられた大変さとは別種の、途轍もない苦労に直面されたのではないでしょうか。
米田 ゼロからのスタートでしたし、やらなければならないことが多過ぎました。しかも半年という時間的期限がある。
球場を整備して、スタッフを組織して、監督や選手を集めました。雪が降って球場の工事が間に合わないんじゃないかとか、開幕までにいろんな環境を整えられるのかとか、不安はたくさんありました。しかし期限が決まっている仕事なので、先に結果をイメージし、そこに向かって仕事を進めていきました。
監督から「秋季キャンプをやりたい」と言われたときには、グラウンドもユニフォームもなく、スタッフも居ないので、どうすればいいのか途方に暮れました。当時の近鉄の管理部長に頭を下げて藤井寺球場を無料で貸してもらい、白いユニフォームをそろえ、慶応大学の学生にアルバイトで球拾いをしてもらいました。僕も、マスコミ対応や、スタッフの面接や、不動産の説明会などをこなしながら、球拾いをしましたよ(笑)。
丸山 野球を仕事にできましたが、実際に仕事となると、人には見えない苦労も多いでしょうね。
米田 西武百貨店時代だったら、例えば企画書が1行も書けなかったなんてことは公にならないじゃないですか。それが球団代表という立場だと、仕事ぶりが新聞で公表されてしまう。しかし、そうしたことをプレッシャーに感じるのではなく、「50年ぶりの新球団を作るんだ」「自分がやらずに誰がやるんだ」という責任感や使命感で仕事を進めていきました。
僕だけではなく、あのときのスタッフみんなの心の中には、そうした気概のようなものがあったと思います。プロ野球への参入申込書を書き上げたときは、1週間、連日2、3時間の睡眠しかとれませんでしたが、「大変だな」というよりも、「楽しいな」と感じました。今、本当にやりたい仕事をできているいう充実感でした。
丸山 無事開幕までこぎ着けたときには、苦労が多かった分、喜びもひとしおだったのではないでしょうか。
米田 春季キャンプに臨む直前に、仙台でイベントをしたんです。選手、監督、コーチ、スタッフ、初めて全員がそろいました。これが東北楽天ゴールデンイーグルスですという、お披露目ですね。
そこまでは全力で突っ走ってきて、感慨にふける暇などなかったのですが、さすがにそのイベントでは、込み上げてくるものがあり、舞台の袖で泣いてしまいました。うれしいというより、ほっとしたという安堵感かもしれません。
でも、それもつかの間。シーズンが始まったら、2戦目に「0対26」という屈辱的なスコアで負けてしまって。そうなると悔しくてね。元来、負けず嫌いなものですから(笑)。プロ野球は、全ての仕事がチームの勝敗という結果で表されるという厳しさがあります。今年(2009年)はクライマックスシリーズへ出場するために、目標を75勝に定めました。すると三木谷会長が「80勝だろ」って(笑)。
構成/平山譲
聞き手 丸山貴宏
クライス&カンパニー 代表取締役社長
リクルートで人事採用担当を約7年経験後、現社を設立。転職希望者面談数は1万人を超え、その経験と実績に基づいたカウンセリングは業界でも注目されている。「人の根っこのエネルギーを発掘する作業が、われわれの使命」がモットー。著書「キャリアコンサルティング」(翔泳社)
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※この連載はWebサイト「転機をチャンスに変えた瞬間」を、サイト運営会社の許可の下、一部修正して転載するものです。データなどは取材時のものです。
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