2006年4月、いよいよ私は外資系の会社で働き始めました。しかし、現実は予想とちょっと違っていました。
業務において、あまり英語を使用しなかったのです。
確かに自社製品の資料は英語のものが多く、日本語のものはわずかです。しかし、ソフトウェアを導入したり、日本のお客さまの要望に基づいた仕様書に沿ってプログラムを書いたりしていた私は、ほとんど英語を必要としませんでした。
ただ、同僚の中には海外在住経験のある、英語がペラペラの人が何人もいました。その人たちはある程度、仕事の中で英語を使用しているようでした。
もしも私自身がもっと英語ができれば、入社時の最初のトレーニングを、USの本社やインドのR&D拠点で受けるチャンスはありました。しかしまるで素地のない人間を海外にやったところで無駄な投資になってしまうことを、当然会社は理解しています。
つまり、ある程度英語ができる人は英語を活用して仕事をし、英語ができない人は日本語だけで仕事をせざるを得ないだけなのでした。
転職して新しい環境に移った私にとって、最初のうちは覚えることがたくさんありました。かなり多忙な状態が続き、とても英語を勉強しようという余裕は生まれてきませんでした。
英語で海外の人間に聞けば簡単に分かるようなことでも、自力で調べる必要がありました。これは、外資系のIT企業ではものすごく非効率的なことです。しかし私は持ち前の技術力と長時間労働に耐える体力で、なんとか英語を使用せずに仕事をこなしていったのでした。
はっきりいって、英語のメールを書くのは月に1度くらいのものだったような気がします。
入社して10カ月ほどたったころ、私は焦りを感じ始めていました。せっかく外資系の会社に就職したのに、多忙な業務に追われるあまり、ほとんど英語が身に付いていないことにです。そして2007年2月初旬、ひそかに英語の勉強を再開しました。これまでの不手際を挽回することを心に決めて。
そんなある日、私の入社後初めてUS本社のCEOが日本にやってきました。CEOはかなりゆっくりしゃべってくれたのに、私はほとんど意味が分かりませんでした。本当は自分をもっとアピールしたかったのに、果たせなかったのです。
このときの出来事は、かなり強力に私の背中を押してくれたように思います。「CEOは1年に1度来日するらしい。1年後を見てろよ。見違えるようにコミュニケーションできるようになってやる」。これが、私の胸の内でした。
具体的に目標を掲げることにしました。「年内にTOEIC800点」というものでした。
この時点での私のスコアは545点であり、ほんの少しは伸びていた可能性があるものの、600点に達することはなかったでしょう。そんな私にとって800点はものすごく高い点数でした。常識で考えれば、1年以内に到達するなど不可能に近いのではないでしょうか。実際、当時の私は、TOEIC800点を達成するにはどの程度の英語力が必要なのか、よく理解していませんでした。
私は、同僚などの周囲の人に「年内にTOEIC800点」という目標を伝えていきました。私にとって英語学習は2007年のテーマとなったのでした。
その後、私は真剣に勉強方法を研究し、低コスト・最高の結果を追求して学習を続けました。そして最初の図のとおり、2007年5月に720点、2007年11月に815点、2008年5月に925点と、半年にほぼ100点ずつ点数を伸ばしていくことができました。
次回以降、2007年2月から2008年5月までの間に私が実践してきた学習方法、英語学習についての考え方を公開します。
平生宗之
ITエンジニア8年目。中学3年よりコンピュータを始め、これまでに読んだ関連書籍は200冊以上。コンピュータでできることを模索するうち、紆余(うよ)曲折を経て数学基礎論に行きつく。仕事はインフラ、開発、マネジメントをこなすが、本人的にはプログラマが一番性に合う模様。趣味は旅行(車、電車)と音楽(歌、ピアノ)とスポーツ(スノーボード、サーフィン)。元柔道部主将。
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