作って、納品して、作って、納品して……あれ、これはいつ誰が使うんだ?
こんにちは、松坂です。今回は最初の転職について書きます。
新卒で入社した中堅の独立系システムインテグレーター(仮にAソフト社とします)で受託の二次受けを中心とした業務に携わっていた私は、入社5年目くらいでアーキテクトチームのサブリーダーを務めていました。その辺りの話は前回、前々回書いた通りです。
その後しばらくして、私は大手ECサービスを運営する会社に転職します。こちらは仮にBストア社とします。
転職のきっかけは、簡単に言えば将来への不安でした。外部的なものも含めていろいろな要因が重なり、このままAソフト社に勤め続けることは、エンジニアとしても個人としてもあまり得策ではないと考えるに至ったからです。
「こりゃあ、辞めるしかない」と決めてから、転職活動を始めて新しい会社へ入社するまでざっと3カ月ほどかかりました。慌ただしく、その場の勢いで行動したきらいはありますが、結果として自分の「ソフトウェア開発」への関わり方を見直す良いきっかけとなったと思います。
Aソフト社の社員は未経験新卒が中心で、中途入社があまりおらず、大っぴらに転職やキャリアについて話す雰囲気はありませんでした。相談できる相手はいないし、勝手がまったく分からなかったので、転職を決意して最初にしたのは、通勤電車の中で広告をよく目にした大手の転職エージェンシーに登録することでした。
私が転職理由として待遇面や将来性への不安を挙げていたため、担当の転職エージェントは、キャリアやスキルを生かして年収を上げていく、安定を図っていく、という方向で提案をくれました。
ところが、提案を受けてあらためて自分の能力を客観的に評価してみると、強みより弱みがどうしても目に付きました。「今までは、得意な分野でできない分野をごまかしながら仕事をしていたのではないか」「自分の得手不得手とニーズが合致する隙間をうまく見つけてはまり込んだから、やってこられただけなのではないか」という疑いが拭えません。
「えっ、私のスキル、低過ぎ……?」
当時、私は27歳。別に35歳定年説を本気にはしていたわけではありませんが、30歳を迎える辺りで「いっぱし」になっていなければならないという危機意識がありました。「これではいかん。どうしよう」と悩んだ末に、「なるべく環境を変えて、惰性で仕事ができないようにしてみよう」という投げやりな結論に達します。
そこで、エージェントに「今持っているスキルが直接生きないような、全くの別系統で転職先を探してください」という空気を読まない依頼をしたところ、いろいろ見つけてくれました。
私が選んだのは「ソフトウェア開発」という職種こそ変わらないものの、これまでの環境とはすっかり異なるEC事業のBストア社でした。
. | Aソフト社 | Bストア社 |
---|---|---|
社風 | 創業30年の誇り/官僚的 | ベンチャー/体育会系 |
形態 | 非上場・一族経営 | 上場 |
業種 | システムインテグレーター | EC、金融他 |
社員数 | 約600人(当時) | 約7000人(当時) |
展開 | ドメスティック | グローバル |
内定を知らせる電話を会議の合間に受け、「そこに決めます。進んでいる他の会社は、全て辞退とさせてください」と勢いで即答したのですが、後から思えばもう少し考えてもよかったかなあ。
Bストア社で配属されたのは、JavaとPythonを用いて海外向けのサービスを開発・運用している部署でした。漠然と出していた「ユーザーに近い仕事」という希望がかなって、EC部門です。
私はそれまでコンシューマー向けのWebアプリケーションの開発と運用に関わったことがありませんでした。携わってきたシステムは、ほぼ全てが官公庁/大企業の内部向けやパッケージ向け製品でした。遊撃部隊だったこともあり、運用開始まで見届けた経験は皆無でした。
「とはいえメインはWebアプリの開発だし、そんなに仕事に違いは無いんじゃないか」、そんなふうに根拠もなく自信を持っていたのですが……。
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