第一は、「現役時代と比べてお金がなくても、老後は何とか生きていけるはず」ということだ。
例えば、毎月の年金が10万円だとしよう。10万円では不足だと思うかもしれないが、ローコストな生活を送れば、10万円は十分な収入だ。これは、100円ショップや、スーパーマーケットの安売りを見に行くと十分実感できると思う。
ポイントは、自分と似た経済力の仲間がどれぐらいいるかだ。似たような経済力の人がたくさんいれば、その周辺には彼ら向けの商品やサービスを提供する市場ができるはずだ。お金に見合ったレベルで生活すればいいと割り切り、「最悪でも死にはしない」と考えられれば気楽だ。
インターネットが普及した今では、物質的な生活のレベルを落としたとしても、知的には何ら惨めではないし退屈もしない。プライドを保った生活を十分送れるはずだ。
第二は、「公的年金は(将来減りはするが)破綻してなくなるようなことはないし、多くの人にとって無視できないぐらいの金額を支給できる」ことだ。
多くの人が漠然と感じているように、公的年金の財政状況は厳しい。しかし、昨年厚生労働省が行った財政検証の中の最悪のケースを見ると、現在130兆円以上ある積立金が将来ゼロになっても、公的年金は企業のように倒産するわけではないし、貨幣価値を調整した実質ベースで現在の年金の6割ぐらいの「使いで」がある金額を支給できる。
読者の親御さん世代が現在もらっている年金額が毎月20万円だったら、読者が年金をもらう30年後ぐらいには、一カ月当たりの年金は現在の貨幣価値で13万円前後ぐらいということだ。
公的年金の支給額は、今後、実質的に(物価を考慮して)毎年約1パーセント程度減額されていき、年金の財政状況によって、この調整がどこまで続くかが変化する。直近の厚生労働省の試算では、「良くて現在の2割減、悪くて4割減」となっている。
仮に、読者が今「毎月13万円で生活しなければならない」としよう。多くの方にとって大きな減額で「苦しい」と思われるだろう。しかし、これを学生であるご子息に対する仕送りだと思えば、そこそこの金額ではないか。
自問していただきたい、読者は、現在の生活と学生時代の生活、どちらが楽しかっただろうか。老後の生活とは「授業に出なくてもいい学生」」のようなものではないだろうか。
第三は、「老後の生活費の問題をお金の運用で一気に解決しようとしない」ことだ。もちろん、お金の運用がうまくできると老後の経済状況は改善するが、運用に頼って老後不安に対処しようと考えるのはあまりに危険だ。
近年、「老後難民」「下流老人」などといった言葉で、老後の生活に対する不安を煽る書籍や記事をよく見かける。そういうときは、それらの落としどころがどこにあるのか注目してほしい。不安を煽っておいて、その解決策であるかのように商品やサービスを提示するのは、マーケティングの常とう手段なのだ。老後の不安に駆られて、怪しい投資話や生命保険などに捕まらないように注意してほしい。
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