用語「シンギュラリティ」について説明。人工知能がさらに優れた人工知能を再帰的に創造していくことで、人間を完全に超える圧倒的に高度な知性が生み出されるとする仮説を指す。
シンギュラリティ(Singularity、技術的特異点)とは、人工知能が、さらに優れた人工知能を再帰的に創造していくことで、人間を完全に超える圧倒的に高度な知性が生み出されるとする仮説のこと(図1)。
図1に示すように、技術(テクノロジー)の革新は指数関数的なスピードで進み、2029年には「人工知能の賢さが人間を超え」て、2045年に「シンギュラリティに到達」するといわれている。
この仮説は、レイ・カーツワイル氏が著した『シンギュラリティは近い―人類が生命を超越するとき』で提唱されている(ちなみに同書籍のエッセンス版もある)。
この仮説に対しては、各方面からさまざまな賛否両論の主張がある。例えば2014年ごろに、以下のような発言が著名人から飛び出すほど、議論が白熱した。
このように一部の人は、シンギュラリティを「人類の危機」と考えており、例えばコンピュータにより作られた仮想現実世界を舞台とする映画『マトリックス』や自我を持つコンピュータであるスカイネットが登場する映画『ターミネーター』も、シンギュラリティにより生まれた危機的な人類を想像して描かれたフィクションだと言えるだろう。
そういった脅威論に対して、企業内に人工知能に関する倫理委員会が設けられたり、日本の人工知能学会でも倫理委員会が設置されたりしている。
以下では、幾つかの観点から、シンギュラリティをできるだけ簡潔に説明する。
われわれ人間の生活は、産業革命やIT(情報技術)革命によって、急速かつ大きく変化してきた。もはやわれわれ人間は、テクノロジーなしの生活、例えばスマートフォンなしの生活には後戻りできないレベルにまで到達している、と考えられる。
人間生活に甚大な影響をもたらす技術革新は、未来に向かって止まることはないだろう。しかもその変化のスピードは、指数関数的なものとなっている。もちろんだからといって、未来が地獄(ディストピア)であるとも理想郷(ユートピア)であるというわけでもないだろうが、われわれのビジネススタイルやライフスタイルの基盤となっている概念自体は、未来ではまったく異なるものへと変容してしまうだろう。
指数関数的な変化は、いつしか予想を超えて爆発的な成長を果たす。例えば数学的に見ると、数値「1」に対していくら0.9を掛けても1.0は超えられないが、1.1以上を掛け続けるとなれば、数値は無限大に拡大していく。われわれ人類はこの歴史的な変化に注意を傾けなければならない。さもなくば、急成長した蓮(ハス)の花が湖を埋め尽くして魚が絶滅する、という例え話のような、思いも寄らない悪い結果がもたらされる可能性があるだろう。
情報技術および人工知能は、恐らくたった数十年のうちに、人間の脳が持つ能力を超え、それがカバーする範囲は知覚・認識や、問題解決能力、感情・道徳・知能といった全ての分野に及び、それらを凌駕(りょうが)していくことになる。人間よりもわずかに賢い知性が生まれ、それが指数関数的に成長を続け、最後に人間を超越する時点、つまり技術的な特異点こそが、シンギュラリティ(Singularity)なのである。
シンギュラリティに到達すると、テクノロジーの支援を受ける人間は、身体や脳の生物的な制約を突破して、新たな力を得ることになる。2100年ごろには、現在の純粋な人間よりも、数兆倍の数兆倍も強力になる。その世界では、依然として生物であったとしても、従来の人間からは超越した存在となる。
われわれ人類は、そのような存在となる移行期の初期段階に入っている。2029年ごろには「人工知能が人間よりも賢く」なり、2045年ごろにはついに「シンギュラリティに到達」するといわれている。
シンギュラリティという言葉とともに、シンギュラリタリアン(英語:Singularitarian、訳語:技術的特異点論者)という言葉も定義されている。これは、シンギュラリティという概念を理解した上で、「それが人生の中でどのような意味をもたらすか」を真剣に考え抜いた人のことを指す。未来の予測・考察は難しく、決して答えの出ない作業となる。レイ・カーツワイル氏も自身を「シンギュラリタリアン」と称しているが、逆に言えば、シンギュラリティという未知の課題に人生をかけて真摯(しんし)に取り組みたい、という思いや覚悟が、この単語には秘められているのであろう。
シンギュラリタリアンには、「信念がある」「統一見解がある」のではなく、「技術動向を理解した上で、あらゆるものをじっくりと考え直そう」という洞察の姿勢があるのだ。そういった姿勢は、シンギュラリティ主義(英語:Singularitarianism、訳語:技術的特異点主義)と呼ばれている。シンギュラリティ主義は受け身ではいけない。積極的な洞察が望まれる。なぜならシンギュラリティは、人類にとって予想しなかったような悪い未来や結末を迎える可能性をはらんでいるからだ。
シンギュラリタリアンの中には、シンギュラリティの後にはポストヒューマン(英語:Posthuman、訳語:脱人間)と呼ばれる時代が来ると予想するものもいる。ポストヒューマンとは改良された人間のことで、これはすでに始まっていると言える。例えば人工心臓を組み込んだ人間は、すでに生物的な限界を突破していると捉えられる。生物である人間と改良されたポストヒューマンの境界線は、どこに引けばよいのか。これは難しい問題だ。例えば脳の中に何個のナノボットを注入したら、「ポストヒューマン」になるのだろうか。今すでに、人間と技術は融合してきている。それは、新しい「種」の創造となり、生物進化をひっくり返すものになるかもしれない。
レイ・カーツワイル氏は、生物やテクノロジーの進化の歴史を、段階ごとに6つの期間(=エポック)に分けている。
エポック5の段階でシンギュラリティが発生し、エポック6になると地球から宇宙全体へと広がっていく、と考えている。各エポックの概念について、以下で簡単に紹介する。
人間の起源をさかのぼれば、究極的には物質の起源、つまり情報が基本的な構造で保存・表現される「原子」に行き着く。138億年前のビッグバンで宇宙が誕生し、そこから約38万年後に原子が生まれ、さらに時間をかけて原子が集まって分子という構造が作られるようになっていく。こうやって情報の体系化と進化が発生したのである。
いよいよ40億年前、複雑な分子の集合体が作られるようになり、地球に生命が誕生した。生命は、分子の集合に関する情報を保存する「DNA」を生み出し、進化していく。
DNAによる生命の進化は続き、感覚器官を通じて情報を検知・取得し、その情報を蓄積できる「脳」が作り出される。最終的には人類が、脳によって頭の中で物事を抽象化して理性的に考えられるようになるまでに進化した。知能・思考の誕生である。
さらに人間は、技術(テクノロジー)を生み出して、知能・思考とテクノロジーを「組み合わせ」始めた。単純な機械に始まり、複雑な作業を精緻かつ自動で行える装置にまで発展させた。人類は、生命誕生から哺乳類、ヒトへと進化し、その後も石器、話し言葉、絵画、農業、文字、都市国家、印刷、産業革命、電話・電気、インターネット、スマートフォンなどに至る現在まで、進化を直線的〜指数関数的に継続させてきた。
未来の2045年ごろ、シンギュラリティが始まる。人間は、知能・思考とテクノロジーを「融合させ」始める。その融合がもたらす文明によって、人間の脳の限界を超越する。これによって、人類の長年の問題を解決できるようになると期待される一方で、破滅的な方向に進む可能性も否定できない。
人間由来の生物的な知能と、テクノロジー由来の新しい非生物的な知能が、地球を離れて宇宙の隅々まで行き渡るようになる。宇宙の物質とエネルギーは進化し、すばらしい知能体へと変容していく(※この辺りは筆者自身も、どういうことなのか、よく分からない……)。
Copyright© Digital Advantage Corp. All Rights Reserved.