「ラ・マルシェ?」
電話から解放された美咲に、隣の席の白瀬智也が声を掛けた。
「ええ。うまく企画が通ったらしいわ」
「そりゃあ良かった。うん、うん」
情に厚い白瀬は、新しい企画を熱心に語る小塚を見て、情にほだされていたのだ。
「でも、肝心のショッピングサイトを作ってくれるITベンダーのアテがないみたい」
「江里口さんなら、ベンダーくらい知ってるだろう?」
「優良顧客向けの会員制オンラインショップよ。上品でかつ購買意欲をそそるショップにするためにはUI/UXにセンスが必要だし、顧客には高齢者が多いだろうから、ITに不慣れで老眼の人にも使いやすくなくちゃいけないわ」
美咲は手に持ったボールペンを二度三度唇に当てながら首を傾げた。
「単にサイト制作ができるだけじゃなく、ユーザビリティのスキルやノウハウも必要ね。そしてラ・マルシェのブランドイメージとコンシューマービジネスをよく理解したベンダーとなると、そう簡単には見つからないかも……」
そのころ小塚は、同期の羽生孝志が部長を務める情報システム部を訪ねていた。
「良いITベンダーねえ……」
羽生は小塚を見上げながら腕組みをした。
「どこか知らないか? 羽生は入社以来ずっとIT畑だ。それなりに知り合いもいるだろう?」
早口に話す小塚に、羽生は苦笑いを浮かべた。
「別に好きで情シスにいるわけじゃないけどな。俺だって小塚みたいに企画をやりたかったんだよ、本当は」
論理的で冷静な思考と細かいところに目が届く性格を買われて情報システム部門に配属された羽生だったが、本当は商品や販売戦略の企画をやりたかったのだ。
「そんなこと今言ったって仕方ないだろう。なあ、本当に知らないか? このままじゃ、1年でオンラインショップをオープンなんて絶対に間に合わないよ」
羽生はその勢いに抗しかねたように、ため息をついた。
「まあ、探してみるよ」
「頼む。キミだけが頼りなんだ」
「分かったよ。“取締役様”に頼まれたんじゃあ仕方ないな」
羽生は苦笑いを浮かべた。
「何、言ってんだ。羽生だって、そのうち」と言う小塚の言葉を遮るように、羽生は首を横に振った。
「俺には無理だよ。ここは守りの情シスだからな。手柄の立てようがない。定年まで何事もなく余生を過ごせれば、それでいいんだ」
「そんなこと言うなよ、いつか……」
そこまで言った小塚は、しかし、それ以上かける言葉が見つからずに「じゃあ、とにかくよろしく」とだけ伝えて、部屋から出ていった。
小塚の背中を見送りながら、羽生はつぶやいた。
「人の迷惑を考えない奴だ。俺がヒマだとでも思ってるのか」
羽生は視線をPCに移し、メールの確認を始めた。そのとき、また別の男が目の前に立った。
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