小塚と羽生――同期入社の2人を引き裂いたのは、大手高級スーパーのIT化を巡る政治と陰謀だった。「コンサルは見た!」シリーズ、Season4(全12回)のスタートです。
連載「コンサルは見た!」は、仮想ストーリーを通じて実際にあった事件・事故のポイントを分かりやすく説く『システムを「外注」するときに読む本』(細川義洋著、ダイヤモンド社)の筆者が@IT用に書き下ろした、Web限定オリジナルストーリーです。
数カ月前まで役員会議室は、そこにいることが誇らしい場所だった。
だが同じ会議室が今は、小塚を圧迫していた。品の良いテクスチャを張った壁や室内に横たわる大きなカシの木の会議卓が、今の彼には分不相応なものに思えた。初めてこの部屋に入ったときに感動した分厚いジュウタンも、今はしっかりと立った毛足が下から足を押し上げて、彼の体と心を不安定な状態にしていた。
(どこかに逃げたい)――小塚は最近月例役員会議に出るたびに心に浮かぶ言葉を、また反すうした。
「じゃ、始めようか」
部屋の奥から高橋社長の柔和だが張りのある声が響くと、居並ぶ取締役達は一斉に姿勢を正した。もちろん、小塚もそれに倣ったが、その視線は高橋を見つめる他の取締役たちとは異なり、反対側に座る同期入社の羽生に向かっていた。細面で色白の羽生は、慣れない役員会の席のせいか、額に少しだけ脂汗をにじませていた。
(俺は、こいつにはめられたのか?)――小塚の頭に、最近何度となく浮かぶ疑問がよぎった。
今の自分の苦境はこの男が原因であることは間違いない。しかし、それが故意だったのか、それとも彼自身もだまされてのことなのか、小塚には分からなかった。
会議は月次の営業報告や諸連絡を時間通りに消化した後、羽生と小塚が発言するIT化の話題に移った。ただし2人の報告の内容は、全く正反対のものだった。
室内に、また高橋の声が響いた。
「次はIT関係の話だね。まずはゲストの話から聞こう。いろいろと忙しい中、わざわざ来てもらったんだから、早く解放してあげないとね」
「ゲスト」というのは他ならぬ羽生のことだ。彼は小塚と同じ45歳だが、役職は情報システム部長という管理職にすぎず、本来は役員会議の正式メンバーではない。
そんな羽生がこの場にいて社長から発言を求められるのは、彼が企画し、現在開発中の「AI在庫管理システム」が、社長が今最も関心を寄せる重要プロジェクトだからだ。開発が始まった4カ月前から、羽生は役員会議に毎回出席し、役員たちの威圧感と自分をにらみつける小塚の視線に耐えながら進捗(しんちょく)報告をしていた。
「どう、順調?」と問い掛ける高橋の声に羽生は立ち上がった。
「はい。いろいろと細かい問題は出ておりますが、開発はおおむね計画通りに進んでいます。予定通り来年の春には本稼働できそうです」
少し上ずった羽生の言葉に、隣に座る総務担当取締役の村上が満足そうにうなずいた。
「あと半年でわが『ラ・マルシェ』は大きな変革期を迎えるわけだ」
意識的に大きくしたような村上の声が室内に響くと、出席していた十数名の取締役たちも調子を合わせるようにうなずいた。
ただ1人、小塚だけは視線を下に落として口を真一文字に結んでいた。胸を張って報告をする羽生に比べて、今の自分のなんと惨めなことか。小塚は右手の親指の腹で人差し指の側面を、それこそ指紋が消えるほどに強く何度もこすりつけた。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.