「何だ? あれは」
翔子に対面していたときとは対照的に不機嫌な山谷の様子に、田中の口はカラカラに渇いた。
「あれは、つまり、まだ最近来たばかりの……」
「そんなことは分かっとる! あんなのがなぜイツワのフロアにいるんだ。あっ?」
「それは……」
「田中。ウチはもう何年も、いや何十年も前から多くのベンダーをフロアに引き入れて一緒に仕事をしてきた。お互いに足りないところを補い合い、手伝い合ってな。やれ契約がどうとか、責任範囲がどうとか、そんなことを言っていたら進まないプロジェクトをそうやってこなしてきたんだ」
「はい」
「それが、われわれのやり方だ。それを何だ、あの外国かぶれのプロマネは。契約外作業だと? 偽装請負だと? この時期にそんなことを言っていたら、また稼働が遅れる。そうなればどうなるのか、分かっとるのか!」
イツワはこれまでに2回、勘定系システムの本稼働を延期している。メガバンクのリリース遅延は場合によっては社会的な影響も考えられることから、金融庁から厳しい目が注がれており、マスコミからも注目されている。
「はい。重々」
田中はか細い声で答えた。
「これまでの本稼働失敗で、私にも君にももう後がない。それも分かっとるんだろうな!」
山谷は、このプロジェクトに携わった当初は次期取締役候補の筆頭だった。しかし度重なるシステム開発の失敗で、その位置はライバルたちに脅かされつつある。ここで取締役になれなければ、年齢からいって、外部への出向を余儀なくされる。腰ぎんちゃくのようについてきた田中も同じ運命をたどることになる。
何としてもシステムは成功させなければならない。まして、刑事罰に問われかねない偽装請負という行為を、サンリーブスや他のベンダーに対してイツワが行い、山谷や田中がそれを助長していることが明らかになれば、2人ともこの銀行にいること自体が危ぶまれる。いや、それ以上に、刑事告発される危険さえあるのだ。
何としてでもあの澤野という女の口は封じなければならない。山谷は、田中に言った。
「サンリーブスの布川を呼べ。私は9月10日の午後イチなら、時間がある。すぐに連絡しろ」
9月11日夕方、翔子はサンリーブスの本社に呼び出された。約束の時間ギリギリに入った社長室には、社長の布川と上司の田原の他に、その上の上司である元木ディレクターもいた。皆が楕円形の会議卓に着席して翔子を見つめていた。
「遅いぞ。何をやっている!」
元木の甲高い声が翔子の耳に突き刺さった。
「も、申し訳ありません」
フロア内を小走りに駆け回って社長室を探し回った翔子の息は、まだ整っていなかった。
「いやいや。遠いところを、わざわざ申し訳ありませんね」
布川が柔らかい声で話した。
「それぞれに忙しい身だ。早速本題に入ろう」
布川はそう言うと元木ディレクターに話を促すように視線を送った。元木は小さくうなずくと、翔子に着席するように勧めてから話し始めた。
「君、イツワで何してくれたの?」
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