契約外作業の依頼をやめない担当者に業を煮やしたベンダーのプロマネは担当者の上司に直訴。このアクション、吉とでるか凶とでるか、果たして――。
ベンチャー企業。AIソフトの開発を得意としていたが、最近はさまざまな案件を請け負っている
日本を代表するメガバンク。勘定系システム刷新プロジェクトの真っ最中(ただし、2回リスケ)
偽装請負が横行している「イツワ銀行」の勘定系システム刷新プロジェクト。契約外の作業でイツワや他のベンダーの手伝いにメンバーが奔走している「サンリーブス」のプロマネ澤野翔子は、イツワの田中課長や自社の上司に改善を依頼するが状況は変わらない。それどころか、担当分野に想定外の作業量が発生しているのにメンバーは徹夜をしてまで契約外協力をやめようとしない。困り果てた澤野は後輩の江里口美咲と白瀬に相談に来た。
9月9日夜。イツワのプロジェクトエリアでメンバーたちの契約外作業の実態を聞いた澤野翔子は、野口の言葉が終わる前に席を立ち、フロアの一番奥に座るイツワの田中課長の席に向かった。
田中はあのとき確かに「分かりました」と言った。その約束がほごにされたのだ。
鋭い目つきのまま早足で田中の席に近づいた翔子は、その前のパイプ椅子に座る大柄な男性の存在に気付いた。イツワの山谷本部長だ。仕立ての良いスーツにロレックスの時計を着けた山谷は、翔子の血相を変えた鋭い視線が田中に突き刺さっていることに気付いた。
「えっと、こちらはベンダーの方かな?」
柔和な笑顔を向けられた翔子は、深く一礼をした。
「初めまして。『サンリーブス』の澤野と申します」
「ほお、サンリーブスさん……えっと。そっか、アナタが澤野さん。いや、サンリーブスさんには期待以上に活躍いただいて。何分、よろしく」
「恐れ入ります」
翔子は笑顔で取り繕ったが、目は笑っていなかった。人の表情から本心を探ることに長けている山谷は、翔子の目の中に怒りを感じた。
「何か、トラブルでも?」と尋ねる山谷に、横から田中が割って入った。
「い、いえ大したことでもありません。いや、本当に。澤野さん、悪いが後にしてくれないか」
「いや」
山谷の野太い声には田中を押しとどめる迫力があった。
「私もね、少しはこのプロジェクトの勉強をせにゃいかんと思っていたところだ。何か問題があるなら教えてくれないかな」
翔子は迷った。一向にやむ様子のない契約外作業について山谷に話せば、事態が好転する可能性はある。しかし、それは毎日顔を合わせている田中を非難することになるし、第一、この山谷という人物が味方についてくれる保証もない。
固唾(かたず)を飲んで自分を見つめる田中に翔子は気付いた。田中も自分が契約外作業をやめるどころか、積極的に進めていることに後ろめたさがあるのかもしれない。
そうなのだ。正しいことではないのだ。正しくないことに、お付き合いする必要はない――。
翔子は少し汗ばんだ手をぎゅっと握った。
「では、少しだけ、よろしいでしょうか」
田中のしかめっ面をよそに、サンリーブスに対する契約外作業が横行し、本業である開発の進捗(しんちょく)に影響しかねないこと、サンリーブスが担当する部分も要件定義は契約外であることを翔子は山谷に告げた。山谷は、黙ってうなずいて聞いているだけだった。
その穏やかな態度に「今度こそ契約外作業をやめられるのでは」との期待を抱き、最後に山谷に念押しをして、翔子は田中の席から離れた。
翔子が去った後、山谷は田中を連れて別室に入った。
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