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» 2021年02月12日 05時00分 公開

コネなし、レジュメなし スウェーデンから来たエンジニアをベンチャーが採用した理由Go AbekawaのGo Global!〜Jonas Rydenhag編(前)(2/2 ページ)

[取材・文:阿部川久広(Go Abekawa), 構成:中村篤志,@IT]
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来日したその日に「日本と恋に落ちた」

阿部川 高校卒業後は何をされていたのですか。

ヨナス氏 特に何も決めていなかったのですが、あるとき、小さな広告会社を経営しているバンド仲間から、「広告デザインができる人を探している」と声を掛けてもらいました。広告デザインの経験は全くなくて不安はありましたが、他にやることもなかったので(笑)、やってみようと思いました。

 面接の前日になって、自分の実力を見せられる仕事が何もないことに気付き、一夜漬けでいろいろな作品を仕上げました(笑)。そんな調子でしたので面談相手にはあまり響かず、「何か他にないの」と言われたので以前作ったバンドのWebサイトを見てもらいました。何日かして「残念ながら応募してくれたポジションでの採用はできない。しかし会社のWebサイトを構築する予定なのでそれを手伝ってほしい」と言われました。

阿部川 バンドのWebサイトが役立ちましたね(笑)。

画像 阿部川“Go”久広(取材はリモートで実施)

ヨナス氏 そうかもしれません(笑)。早速、その会社のWebサイトをFlashで作りました。マウスでクリックすると、画面のボールがバウンドしてサイトの中を飛び回るというものです。

阿部川 それは当時からすれば、とても奇抜なアイデアだったでしょうね。

ヨナス氏 はい。会社の人は技術に明るくないようでしたが、私のアイデアは気に入っていたようでした。

 その会社の主力はテレマーケティングによる広告販売でしたが、私がWebサイトを作ってからサイトの構築も業務に加えました。当時、中小企業は自前のWebサイトを持てませんでしたから、見込みがありそうな中小企業に片っ端から電話して売り込み、私がサイトを構築しました。最終的にはWebデベロップ部門の責任者になり、eコマース(電子商取引)のシステムも手掛け、6年ほどこの会社で働きました。

阿部川 会社を辞めたきっかけは何だったのでしょうか。

ヨナス氏 兄の影響ですね。兄は日本に憧れていて、2006年にUI/UXデザイナーとしてソニーエリクソンに入社しました。UI/UXに関わりたかったのは本当だと思いますが、本音としては「日本のソニー」で仕事がしたくて入社したのだと思います。兄は小さなころから任天堂のゲームばかりやっていたので。そんな兄の姿を見ていて私も日本に行きたくなったのです。

阿部川 お兄さんの影響を知らず知らずに受けて、無意識に日本を好きになった。

ヨナス氏 そうですね。ポータブルオーディオプレーヤー「WALKMAN」を作ったソニーに代表されるような格好いい企業が日本のイメージでしたから。2007年の夏休みに兄を訪ねて日本に来ました。2週間程度滞在する予定で来日したのですが、着いたその日から日本と恋に落ちてしまいました(笑)。

阿部川 うれしいですね。何がそんなに良いと思われたのですか。

ヨナス氏 皆が「なぜ」と聞くのですが、うまく答えられた試しがありません(笑)。

画像 写真からあふれ出る「日本大好き」感

 雰囲気や環境、気の持ちようと言ったものがスカンジナビアの人と共通する部分が多いからだと思います。後は、とにかく大きな都市に来たことがうれしかったですね。東京はとても大きな都会です。ストックホルム(スウェーデンの首都)ですら人口は百万人ですから、広島市と同じくらいです。私がいたヨーテボリは静岡市くらいの人口ですね。

阿部川 日本の地方都市の人口に関しては、私よりずっと詳しいですね(笑)。

ヨナス氏 そうですか(笑)。そんなに大きくてたくさんの人がいるにもかかわらず、日本はとても安全な国です。最初に日本に来たときは日本語がしゃべれませんでしたが、それでも危険を感じませんでした。兄は日中仕事していますからほとんどの時間は、一人で周りを散歩していました。どこに行っても歓迎されました。

阿部川 なるほど。26歳のその2週間が、ヨナスさんを変えたのですね。

ヨナス氏 はい。普段、旅行の最終日は「家に帰れる」と楽しくなるのですが、この時初めて家に戻りたくないと思いました。必ずもう一度戻ってくると決めていました。

「ノブ」が引き寄せた八楽との出会い

阿部川 それほど印象深かったのですね。ヨーテボリに戻られてからはどうされたのですか。

ヨナス氏 ヨーテボリに帰ってから日本での仕事を探し出しましたが、なかなか大変でした。そんなに前のことではないですが、当時、ネットでの仕事探しは今のように簡単ではなかったのです。オンラインでインタビューをしてくれる日本の企業はほとんどありませんでした。そこで取りあえず東京に行って、日本語学校に通うことにしました。2008年のことです。

阿部川 そこから、もう12年も日本にいらっしゃるわけですね……。どうやって現在の会社(八楽)に就職なさったのですか。

ヨナス氏 日本語学校に1年半ほど通ったところで、そろそろ仕事したいと思ったのです。語学学習というのは最初こそ急速に上達しますが、時間を追うごとに徐々に上達するスピードが遅くなりますので気分転換がしたくて(笑)。現実的な話として金銭的な問題もありましたので仕事を探しました。

 いろいろ探しましたが、どちらかというと初歩的なプログラミングをするプログラマーの求人が多かったですし、学生ビザから就業ビザの手続きをしてくれる会社も少なかったです。がっかりして諦めかけていた時に、八楽を見つけました。

阿部川 良かったですね。面談は坂西さん(八楽の代表取締役 坂西 優氏)とされたのですか?

ヨナス氏 はい。坂西さんとフランス人のデザイナーと日本人のプログラマーの三人と面接しました。ちなみにプログラマーの方は、ドイツの方と結婚するので近々会社を辞めることになっていました。

阿部川 おや、ここでもドイツが出てきました。もしかしたらヨナスさんの人生の転機とドイツには深い関係があるのかもしれませんね(笑)。

ヨナス氏 そうかもしれません(笑)。それで、そのプログラマーの方の後釜としての適任者を探していたそうです。

「この男を雇わないと、一生後悔するよ」

阿部川 その時のことを(インタビューに同席している)坂西さんに聞いてみたいのですが、(ここから日本語で)坂西さん、ヨナスさんをインタビューされた時は、どのような印象をお持ちになりましたか。

坂西氏 リーマンショック直後だったので、ベンチャーで外国人を雇う企業はほとんどありませんでした。募集をかけたら、1つのポジションに1000人くらいの応募がありましたね。それぞれレジュメ(履歴書や職務経歴書)には熱意がこもっていましたのでスクリーニングするだけでも大変でした。

画像 「ヨナスはレジュメも送らず、人づてに紹介メールだけで応募してきた」と語る八楽の坂西 優氏

 そんな中、レジュメも送らず、人づてに紹介メールだけで応募してきた人がいました(笑)。それがヨナスです。紹介メールの送り主はスウェーデンの方で、一言「この男を雇わないと、一生後悔するよ」と最後に添えてあった。八楽にいたプログラマーはノブと言うのですが、「こいつ、なめていますね。レジュメすら送ってこないやつは初めてですよ」と言って……(笑)。

阿部川 それはなかなか度胸がありますね(笑)。

坂西氏 ノブは「レジュメが良くても本当にその人がレジュメ通り優秀かどうかという判断が難しい」と考えており、応募者にPHPのクイズを出していました。それまでの応募者の中で満点を取る人はいなかったのですが、ヨナスは満点を取りました。

 さらにノブは自分が書いたコードを見せて「君だったらこれをどう直すか」とヨナスに質問したところ、ヨナスの直したコードがとても良くできていた。しかもヨナスが随所に、スウェーデン語でコメントを書き込んでいて翻訳すると「こんなコードはあり得ない」「こんなコードで本当に動くなんて信じられない」と書いてあったらしいのです(笑)。それを見たノブが「むしろ自分がドイツに行くまでの間は彼から学びたい」となりました。

阿部川 それぐらいヨナスさんは印象的で実力も伴っていた、ということですね。

坂西氏 そうですね。



 「自分が楽しいことをしたい」という純粋でシンプルな思いを胸に来日したヨナス氏。コードに厳しいその姿勢は、自らの能力をより良くしようと常に意識していることの表れかもしれない。後編は同氏が伝えたい「成長するための7つの習慣」について伺った。


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