IT大国ウクライナでオフショア開発企業を経営し、世界中と取引しているキリルさん。各国を見てきた彼が考える、同国エンジニアの特徴とは。そして、日本のエンジニアへのアドバイスとは――。
国境を越えて活躍するエンジニアにお話を伺う「Go Global!」シリーズ。今回も、ウクライナでIT企業「Mobilunity」を創設したCyril Samovskiy(キリル・サモフスキー)さんに起業のいきさつやウクライナのエンジニアの特徴などを聞いた。
聞き手は、アップルやディズニーなどの外資系企業でマーケティングを担当し、グローバルでのビジネス展開に深い知見を持つ阿部川“Go”久広。オフショア開発地として有名なウクライナのエンジニアは、いかにして高度な技術を身に付けるのか――。
阿部川“Go”久広(以降、阿部川) 学生時代、「将来こうなりたい」といった夢はありましたか?
Cyril Samovskiy(キリル・サモフスキー、以降、キリルさん) いろいろなことを学んだり、やったりしてはいましたが、これといったものは、なかったですね。両親も気掛かりだったと思います。幸いにもプログラミングの仕事があったという感じです。
最初は3人で仕事を始めました。私はテスティング担当でしたが、私が2週間かかることをあっという間にできる人間が、他にいることを知りました。そこで、国際的な会議やイベントに出掛けていき、私よりも素晴らしいプログラミングやコードを書ける人間を探したりもしました。
そのうち小さなプロジェクトを任されるようになり、半分はプログラマーとして、残り半分はプロジェクトマネジャーとして、人に関わる仕事をしました。みんなの質問に答えたり、みんなと一緒に作業したり、みんなと一緒に問題を解決したり。その仕事を通して、多くの国籍の人々と仕事をすることが、自分にとって楽しいんだと感じました。
しばらくは幾つかの企業を掛け持ちしました。インドの会社で働いたり、ウクライナやアルジェリアの仕事を手伝ったり。それぞれ全く違う文化や仕事の進め方がありました。クライアントサポートやテクニカルサポート、オフィスマネジメント、オペレーションの責任者もやりました。一つ一つの仕事は内容が全く別でしたが、それらを経験したからこそ、全体を俯瞰(ふかん)できるようになったのだと思います。
その後、マーケティングやセールスにも携わるようになり、モバイルコンテンツの会社を立ち上げました。最初はゲームやデザイン、エンターテインメントコンテンツなどを製作していました。当初は私一人の個人経営で、多くのエンジニアにサポートしてもらいました。
次のステージに移るのは多少勇気のいることでした。それでも、黒字になって原資ができたので、少しずつ人を雇い、少しずつ業務を大きくしていきました。2、3年はとても良かったのですが、次第に、「私のやりたいことは何だろう」「仲間たちの能力を有意義に使うためには何をやったらいいのだろう」と考えるようになりました。
阿部川 それはお幾つのときのことでしたか。
キリルさん 29歳ぐらいだったでしょうか、約10年前ですね。そのときにMobilunityを設立し、現在行っているサービスの一部を提供していました。会社を運営するのに必要な機能はそれができるスタッフに任せ、私は私が得意なことに専念しました。もちろん会社が成長するのにつれて少しずつ役割の内容は変わってきますが、基本的には現在もそのようにしてやっています。
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