コネなし、レジュメなし スウェーデンから来たエンジニアをベンチャーが採用した理由Go AbekawaのGo Global!〜Jonas Rydenhag編(前)(1/2 ページ)

グローバルに活躍するエンジニアを紹介する本連載。今回は翻訳ソフトウェアを手掛ける八楽で働くJonas Rydenhag(ヨナス・リデンハグ)氏にお話を伺う。容姿端麗でCTOを務めるほどのプログラミングスキルを持つヨナス氏だが、八楽の面接担当者の第一声は「こいつ、なめていますね」だった。

» 2021年02月12日 05時00分 公開

 世界で活躍するエンジニアにお話を伺う「Go Global!」シリーズ。今回ご登場いただくのは翻訳ソフトウェアを手掛ける八楽のCTO(最高技術責任者)を務めるJonas Rydenhag(ヨナス・リデンハグ)氏。ヨナス氏がプログラミングに目覚めたきっかけとは何だったのか。聞き手は、アップルやディズニーなどの外資系企業でマーケティングを担当し、グローバルでのビジネス展開に深い知見を持つ阿部川“Go”久広。

何でもいいからコンピュータを使いたかった

阿部川“Go”久広(以降、阿部川) 出身を教えていただけますか。

ヨナス氏 1981年にヨーテボリという、スウェーデンで二番目に大きな都市に生まれました。

阿部川 子どものころはどんなお子さんでしたか。

ヨナス氏 内向的な部分と外向的な部分がある、普通の子どもだったと思います。友達は多かったですし、スポーツもよくやっていました。スウェーデンではサッカーやアイスホッケーなどがとても盛んで、特にアイスホッケーは人気がありました。

画像 小さいころから整った顔立ちのJonas Rydenhag(ヨナス・リデンハグ)氏

 スポーツ以外では音楽が好きでしたし、本を読むのも好きでした。印象に残っているのは『Watership Down』(著:Richard Adams)といううさぎを主人公にしたファンタジーです。うさぎの一団が、住んでいたところから逃げ出して新しい家を探す、といったストーリーです。

阿部川 最初にコンピュータに出会ったのはいつか覚えていますか。

ヨナス氏 確か9歳の時です。父が家で仕事をするために会社から借りてきたものを、触って遊んでいたのです。それが最初のコンピュータとの出会いだったと思います。今にしてみれば、ラップトップとは言えない大きさでしたね……。

阿部川 1990年か1991年ごろの話ですね。当時は、まだ「ラップクラッシャー」(膝を壊すほど重いという例え)でした……。やはりゲームに夢中になっていましたか。

ヨナス氏 そうですね、父と兄と一緒に潜水艦を撃沈するゲームをやっていました。他にもワードプロセッサを使って物語を書いたり、好きなサッカー選手の特徴を文章にしたりしていましたね。

阿部川 既にコンピュータを道具としてお使いだったのですね!

ヨナス氏 そうかもしれませんが、ただ単純にコンピュータを使いたかっただけです(笑)。コンピュータの前に座って、何かしている、そのことがうれしかったのです。本当の意味でコンピュータに興味を持つようになったのは11歳くらいです。

画像 現在のヨナス氏

 11歳か12歳の誕生日に叔父さんが「Microsoft Basic」の本をプレゼントしてくれました。叔父は脳外科医なのですが、技術的なことにも興味の強い人でこの本をくれました。当時私はプログラミングに関する知識は皆無でしたが、その本にそって勉強しました。「What is your name?」と表示させ、名前を入力すると「Hi John!」といった具合に名前を返す簡単なものでしたが、ハマりましたね。これが私にとっての最初のプログラム言語でした。

阿部川 小さなことかもしれませんが達成感はありますよね。

「バンドマン兼Webクリエイター」だった高校時代

阿部川 学校で何かコンピュータ関連の学科を履修されていたのですか。

ヨナス氏 中学校1年生のときに、簡単なプログラミングを学ぶ授業がありました。とても楽しかったのですが、楽しすぎて「こんなことをずっとやっていいのだろうか」という気持ちになりました。今思えば愚かな考えですね(笑)。そこで、あえてコンピュータの学科をとらずにドイツ語のクラスを履修しました。その方が将来役に立つだろうと思ったのです。後悔と言うほどではないですが、浅はかでした。

阿部川 いえいえ、当時のことを考えれば当たり前な選択だったのではないでしょうか。もしその時プログラミングのコースをとっていたら、その後は違う人生を歩まれたでしょう。巡り巡って、このように日本でお会いすることもできなかったかも知れませんから、良い選択だったと思います。ご自分のコンピュータを持ったのはいつでしょうか。

ヨナス氏 確か1994年か1995年ごろです。スウェーデンでは、国がコンピュータの購入を支援してくれる制度があり、コンピュータを非常に安く購入できたのです。プログラミングというよりはポスターやグラフィックスなどのデザインが主な用途でした。「Microsoft PowerPoint」を使って、学園祭やパーティー、サッカーチームのイベントポスターなどを手掛けました。

阿部川 ご自身が所属するバンドのポスターをデザインなさったのですよね。

ヨナス氏 はい、それは高校の時ですね。バンドのWebサイトを作りました。思い返せば、それが最初のWebとの出会いでした。バンド名は「MonoShine」と言います。バンドではギターを弾いていましたが、同時にWebクリエイターでもありました。

阿部川 当時はWebの仕事に就くなんて考えもしなかったでしょうね。

ヨナス氏 そうですね。既にコンピュータ関連の事業や業種はありましたが、それは現在のように、学生や子どもたちがやりたい職種として選ぶようなものではありませんでした。ですからコンピュータのことは好きでしたが、それがどう仕事と結び付くのか想像もつきませんでした。

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