グローバルに活躍するエンジニアを紹介する本連載。今回は三通のMaverick Tayag(マーベリック・タヤッグ)氏にお話を伺う。デスクトップPCをお土産にする豪快な父、さまざまな学びの機会をくれる叔父。家族に支えられ真っすぐに育った青年の夢とは。
世界で活躍するエンジニアにお話を伺う「Go Global!」シリーズ。今回ご登場いただくのは三通のMaverick Tayag(マーベリック・タヤッグ)氏。趣味はおもちゃの分解とアニメ視聴だった少年は家族の愛情を受け、健やかに育った。聞き手は、アップルやディズニーなどの外資系企業でマーケティングを担当し、グローバルでのビジネス展開に深い知見を持つ阿部川“Go”久広。
阿部川“Go”久広(以降、阿部川) 出身はどちらですか。
タヤッグ氏 1992年にフィリピンのパンパンガ州アンジェラ市で生まれました。中央ルソン地方の小さな都市で、近くに山や丘がある自然豊かな場所なんですよ。
阿部川 小さいころは外で遊ぶことが多かったのでしょうか。
タヤッグ氏 外でも遊びますし、家の中で遊ぶこともありました。周りの友達としょっちゅうおしゃべりをしていましたし、いろんな質問もしていました。毎日の出来事を物語のように話すこともありましたね。家の中ではPCで単純なゲームをしたり、おもちゃを分解して遊んだりしていました。そのころは「将来、こんなおもちゃを自分で作れるようになりたい」と思っていました。
阿部川 分解したおもちゃはしっかり戻せていましたか(笑)。
タヤッグ氏 たまに失敗しましたね(笑)。ラジコンを分解したときは2〜3カ月かかったと思います。両親は分解していることを知らなかったので、気付かれたときにはとても怒られました。
阿部川 びっくりしたでしょうね。恐らくそういったおもちゃは高価だったと思うのですが、当時のフィリピンでは子どもにそういったものを買い与えるのは普通だったのでしょうか。
タヤッグ氏 いや、普通のことではないと思います。私は長男であり、祖父母にとっては初孫だったので特別だったんでしょう(笑)。
阿部川 ご両親はマーベリックさんをとても大切にお育てになったのですね。
タヤッグ氏 そうかもしれません。父はITエンジニアとしてサウジアラビアに単身赴任していたのですが、帰国するたびにPCをお土産にくれましたから。
阿部川 えっ、毎回ですか?
タヤッグ氏 はい(笑)。最初は私が8歳か9歳のころで、デスクトップPCを3台持って帰ってきてくれました。結構場所を取りましたね。
阿部川 それはすごい。まさか3台を担いで持ってきたのではないですよね(笑)。
タヤッグ氏 いえいえ、もちろん宅配です(笑)。フィリピンに帰ってくる1カ月前くらいに発送して、家に着くタイミングでちょうど届くようにしてくれていました。当時はPCを使って、私と叔父さんと弟でゲームをよくやっていました。そのうちに、自分と弟のPCを分解して、部品を取り換えたりしていました。インターネットはダイヤルアップでつなぎ、オンラインゲームなどもやっていました。
今よりも高価だったPCを3台もお土産に買ってくるお父さまの豪快さに目を引かれますが、それを受け取ったタヤッグ氏が小学生ながらゲームだけでなく、部品を組み替えたり、インターネットにつないだりと活用しまくっているところもすごいと思います。「長男だったから特別扱いされた」とタヤッグ氏は語っていましたが、“提供される機会”を逃さず有効活用できるということをお父さまは分かっていたのではないかと思います。
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