「誰」が「どうやれば」DXを実現できる? やる気やスキルがあってもうまくいかない理由と対処法IT人材ゼロから始める中小企業のDXマニュアル(3)

DXをどのように進めたらよいか分からず、焦りを覚えている中小企業のDX担当者や経営者のモヤモヤを吹き飛ばし、DX推進の一歩目を踏み出すことを後押しする本連載。第3回は、数百人規模の組織のDXに取り組んだ事例を紹介し、どんな要因がDXを成功に導くのかを分析する。

» 2023年01月31日 05時00分 公開
[高橋宣成プランノーツ]

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 前回の記事では、従業員数の少ない中小企業こそ「アジリティ(=俊敏さ)」が高く、DX推進において強みを発揮できるということを紹介しました。

 では、より規模の大きい組織の場合、どのようにDXを推進することができるでしょうか。

 今回は約850人の職員を擁するイムス富士見総合病院の取り組みを通し、医療現場でのDXの実態と、その成功への道筋を探ります。

リーダーの「越境」

 イムス富士見総合病院は、埼玉県富士見市に位置する地域包括ケアを担う総合病院です。約850人の医師含む職員が勤務し、一般病床数は341床です。年間の入院患者数は約6000人。0歳の乳児から高齢者まで、さまざまな患者に対して医療を提供しています。現場で働く人全員が、慢性的な人手不足を感じていました。

 鈴木義隆院長は、その状況を打破する道筋が、IT活用にあるのではないかと考えました。そこで、試しに「Microsoft Excel」とそれを操作するプログラム言語VBA(Visual Basic for Applications)を学び始めました。成果として、これまで半日ほどかかっていた日報の収集業務を自動化することができました。

 そのIT活用による自動化の波を院内に広げるべく、より体系的なスキルを身に付けるために、2019年5月学習コミュニティー「ノンプログラマーのためのスキルアップ研究会(ノンプロ研)」の門をたたきました。当時は「一人でもやる」と決意していました。

医療の業務量増大の背景

 医療業務の改善が必要になってきた背景には、超高齢化、そしてそれによる医療の複雑化が背景にあります。

 30年前の医療の中心は60代の患者でした。入院をした患者に対して、治療し、退院してもらう「治す」ための医療が基本でした。

 しかし、超高齢化が加速した2023年現在の患者は80代中心。超高齢化した患者は、治療箇所以外の臓器も老化によって機能が低下しています。それにより、より複雑かつさまざまな症状を患っているため、専門的な診療だけでなく、総合的な診療が求められるのです。また、退院後に普段の生活に戻るためのリハビリや指導も考えなくてはいけません。このように、今の医療は、「治す」ことに加えて「自立した生活ができるようにする」ことが目標になっているのです。

 そのため、医師、看護師だけでなく、管理栄養士、リハビリスタッフ、ケアマネジャーや行政、生活相談員などさまざまな職種の専門スタッフがチームとして連携を図りながら、一人の患者に関わることになり、それが医療の複雑化の要因となっています。

 そこで重要なポイントとなるのが、情報共有です。しかし、対面、電話のコミュニケーションと紙によるデータ保存という従来の枠組みのままでは、業務量の増大は避けられません。

 さらに、超高齢社会では、患者数は増える一方で、労働力の主力となる生産年齢人口は明確に減少していきます。

 業務量の増大、人手不足という両面からの圧力に抵抗するためには、業務の複雑性に対処することが必要不可欠なのです。

デジタル化による業務改善の取り組みを拡大

 コミュニティーに入会した鈴木さんは、プログラミング言語「Google Apps Script」(GAS)の初心者講座、中級講座を連続で受講しました。

 しかし、自分だけがスキルを獲得しても、院内には業務改善の波は広がらないことに気付き、院内で仲間を増やそうと考えるようになりました。そこで、放射線技師の今泉良大さんを含め3人の職員をコミュニティーに勧誘し、院内の業務改善の取り組みを広げるとともに、勉強会などの活動も開始しました。

 そんな中、2020年に医療業界を大きく激震させる出来事が起きました。新型コロナウイルス(COVID-19)が猛威をふるい始めたのです。鈴木さんは、イムス富士見総合病院として新型コロナウイルスの診療に参入することを決意されました。それに関連して、新たな業務が一気に増えることになります。

 そこで威力を発揮したのが、「Google Workspace」とGAS。災害対策本部を中心に、うまく情報共有できる仕組みを整えることができました。緊急時の対応にも、デジタルスキルが大いに役立つことを実感しました。

コミュニティーでの活動で得たプログラミングスキル以外のものとは

 さて、コミュニティーでの学習活動と病院での実務を往還する中で、得たものはデジタルスキルだけではなかったそうです。

 「コミュニティーに入ってどうでしたか?」という質問に対して、鈴木さんは以下のように語られています。

 「周りの人たちには、それまで思い付きもしなかった発想や考え方をたくさん教えてもらいましたよ。例えば順序立てて分かりやすく文章を書くこと、それを人に伝えるということ。みんな、通信業界やマーケティング業界、Webメディア業界など業種も職種もバラバラで、世の中はこうやって成り立っているのだと改めて感じましたね」

出典:イムス富士見総合病院「変化を恐れない、学び続ける組織に」医療スタッフたちを変えた、越境学習の面白さ

 また、DXについてのプレゼンテーション「越境学習による医療現場のDXの成果とこれから」の中では、このように話されています。

 「これまで、医療のことはよく考えてきましたが、システム設計、データベース、社会課題への取り組みなどについては、これまでかじってみようなどと思ったこともなかったです」

出典:ノンプロ研定例会vol.68「越境学習による医療現場のDXの成果とこれから」

 ここで注目してほしいのは、鈴木さんは当初から人手不足という課題意識はあったものの、コミュニティーでの活動を通して、DXについて真剣に取り組むようになる、そしてそれを大きく推進するきっかけとなる刺激や気付きを得続けられていたということです。

 これは、まさにDX人材育成の手法として注目されている「越境学習」の効果といえます。

DX人材を育成する越境学習

越境学習とは何か

 越境学習とは、普段から所属している組織(ホーム)と、それとは異なるコミュニティー(アウェイ)とを、行ったり来たりしながら行う学習のことをいいます。

 ホームは、そこでの文化・価値観もよく理解していて、気が知れた仲間とコミュニケーションをとりながら活動する、その人にとっての「いつもの場所」です。

 しかし、一歩アウェイに飛び込んで活動をすると、文字通りの「アウェイ感」を味わうことになります。文化、価値観はそもそも最初は分かりませんし、少しずつ見えてきたとしても自分には受け入れられないと感じたりします。筆者はアウェイに渡ったときに生じる葛藤を、「アウェイの洗礼」と呼んでいます。

 その後、アウェイでしばらく活動すると、居心地の悪さが薄れてきます。アウェイでの活動で得たものをホームに持ち帰ろうとすると、ホームでは受け入れられなかったり、強い抵抗を受けたりします。ここで越境者は、2回目の葛藤を味わうことになります。これを「逆カルチャーショック」と呼びます。

 これらの葛藤と向き合いながらホームとアウェイを往還することで、探索したり、未知なるものを受け入れたり、自らや周囲を変化させたりする力が身に付きます。このような力を「冒険する力」と呼びます。

越境学習が注目されている理由

 現代は「VUCA」(※)時代といわれており、社会環境はめまぐるしいスピードで変化し、不確実性や複雑性が増しています。現在の枠組みを問い直して、その変化や出来事に合わせて、迅速かつ柔軟に対応をしていく必要性が出てきているのです。

※:Volatility〈変動性〉、Uncertainty〈不確実性〉、Complexity〈複雑性〉、Ambiguity〈曖昧性〉の頭文字を合わせたもの

 しかし、これまでの日本組織の人材育成は、組織内という単一の環境でのOJTとOff-JTが中心となっており、同一性、画一性の強いものでした。既存領域の専門性を高めていく深化の力を高めることはできるものの、既存の枠組みを取り払った新たな領域を取り入れていく探索の力を身に付けることにはつながらないのです。

 このような背景から、組織外の環境に越境して学び、リーダーシップを持ってイノベーションを起こす人材を育てることができる、越境学習が注目されています。

越境学習支援プロジェクトの活用

DX人材育成のためにトライアルに参加

 2022年3月、筆者が主催している一般社団法人ノンプログラマー協会はコミュニティー「ノンプロ研」を用いた越境学習支援プロジェクトのトライアルをスタートしました。このプロジェクトは、組織から数人の越境学習者を募り、半年間の越境学習の場と支援を提供するというものです。

 情報をオープンに共有してコラボレーションをするチーム医療に切り替えるためには、人材として、探索系の能力が必要だと感じていた鈴木さんは、この越境学習支援プロジェクトトライアルへの参加を決めました。そのための手段としてITは大いに有効です。

 そして、トップである鈴木さん自身が組織全体に影響を与えるには距離があり過ぎるとも感じていました。探索系の人材を各部署に忍び込ませて、目に見えるところで力を発揮するのが効果的と考えていたのです。

 複数の部署から数人が越境学習支援プロジェクトに参加し、主に初心者GAS講座と中級GAS講座の受講を中心としたプログラミング学習と、それをホームに持ち帰ることによる職場での実践を半年間実施しました。

越境学習の明暗が分かれたのはなぜか

 開講から半年がたった2022年9月の越境学習の効果を紹介します。

 ある方は、紙での情報共有や手作業によって、重要な情報共有が送れたり、漏れてしまったりすることに課題を感じていました。そこで、GASで「LINE BOT」を開発し、忘れがちな予定の連絡や締め切りが部門内の全員に、かつ確実に伝わるように改善をすることができました。また、デジタルスキルに興味を持つスタッフも出てきて、部門内でシステム係を発足することになりました。

 また、別の方は、部門内全員に1日2回の健康状態を紙を回しながら入力してもらうという業務の改善に取り組みました。入力をGoogleフォームでしてもらえるように切り替えるというものです。職員のITリテラシーには格差がありましたが、勉強会を開催することで、全ての職員が入力できるようにサポートしました。これにより、紙が回ってくることを待たずとも、職員のタイミングでいつでも入力ができるようになったのです。

 さて、このように目覚ましい成果を出すことができ、本プロジェクトのDX人材育成の効果を証明する事例となりました。

 しかし一方で、ある方は、学習活動で大きな挫折を味わい、実践でも目に見える成果を出すことができませんでした。

 このように、同じ組織内であるにもかかわらず、越境者によってはっきりと明暗が分かれたのです。このような差が生まれるのはなぜでしょうか?

 一つ明確なのは、成果を上げることができた方は、各部門のリーダークラスだったということです。一方で、成果を上げることができなかった方は、若手のスタッフでした。

 その方は面談の中で、「部門の業務が全体として見えてこず、改善の提案ができない」とコメントしていました。また、本職としてのスキルや知識もキャッチアップする必要性を強く感じているにもかかわらず、加えてデジタルスキルを習得するということへの納得感や苦労についても課題を感じていました。

 これら越境学習支援プロジェクトのトライアルを通して、以下の気付きを得ることができました。

  • 同じ組織内でも越境者の所属部門や役割によって越境学習の効果に大きな差が出る
  • 情報や権限、経験を持つリーダーの越境学習が望ましい

 2022年9月から、越境学習支援プロジェクトの第2期がスタートし、新たに数名の方が越境学習に参加されています。トライアルでの学びを教訓に、今回の参加者はいずれも各部門のリーダクラスの役割を持つ方々としました。

組織をモジュールに分割し個別にDXを進める

 イムス富士見総合病院の事例から、ある程度大きな組織で、どのようにDXを推進することができるかのヒントを得ることができます。

 組織のトップが強くDXにコミットしていたとしても、大きな組織では現場への距離が遠すぎますし、もちろんリソースも限られるので、実効性は薄くなります。

 そこで、部門をモジュールとして分割して考えます。部門を個別の小さな組織として捉え、トップからのお墨付きとともに権限を渡し、部門ごとにDXを進めることができます。

 しかし、部門のリーダーがDXにおけるリーダーシップを発揮する能力を十分に持ち得ていないと、部門ごとのDXだとしても、推進は困難になると予想されます。そのような力を身につけるために、リーダー自身が越境学習をし、デジタルスキルを身につけるという機会は、大いに有効な手段の一つと考えられます。

 本事例による気付きが、大きな組織のDXの際に参考になれば幸いです。

 次回は、業界を巻き込んでDXを推進する事例について紹介します。お楽しみに。

著者プロフィール

高橋宣成

プランノーツ代表取締役/ノンプログラマー協会代表理事

「ITで日本の『働く』の価値を高め上げる」をテーマに、研修、執筆、コミュニティー運営を行い、ITやVBA、GAS、Pythonの活用を支援する。コミュニティー「ノンプログラマーのためのスキルアップ研究会」主宰。「IT×働き方」をテーマに運営するブログ「いつも隣にITのお仕事」は月間138万PV達成。Voicy「『働く』の価値を上げるスキルアップラジオ」パーソナリティー。

書籍紹介

ExcelVBAを実務で使い倒す技術

高橋宣成著 秀和システム 1800円(税別)

動くコードが書けたその先、つまり「ExcelVBAを実務で使う」という目的に特化した実践書。ExcelVBAを楽に効果的に使いこなし続けるための知恵と知識、そしてそのためのビジョンと踏み出す勇気を提供する1冊。


詳解! Google Apps Script完全入門[第3版] 〜GoogleアプリケーションとGoogle Workspaceの最新プログラミングガイド〜

高橋宣成著 秀和システム 2600円(税別)

Google Apps Scriptの完全入門書として、JavaScriptの基本から自作ライブラリまでを徹底解説。これ一冊だけで基礎から実践まで体系的にマスターできます。


パーフェクトExcel VBA

高橋宣成著 技術評論社 3280円(税別)

プログラミング言語としてのVBAを基礎から学習し完全マスターすることを目指した指南書。Excel VBAに本格的に取り組もうとしている方にとってのバイブルとして、これまでExcel VBAを活用されてきた方にとっても再学習の書として活用できます。


Pythonプログラミング完全入門〜ノンプログラマーのための実務効率化テキスト

高橋宣成著 技術評論社 3200円(税別)

人気言語Pythonの最初の一歩からの基礎学習と、実務で使える11の作例を通して、面倒な業務をPythonに任せる力を身につけるノンプログラマーのための効率化テキスト。


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