DXをどのように進めたらよいか分からず、焦りを覚えている中小企業のDX担当者や経営者のモヤモヤを吹き飛ばし、DX推進の一歩目を踏み出すことを後押しする本連載。第5回は、学ぶ場を創出することでDX人材を倍々に増やす、その方法と事例を紹介する。
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多くの企業では、DX(デジタルトランスフォーメーション)には専門分野に特化した人材が必要であり、そのために外部のDX人材の採用やコンサルの依頼からスタートすべきだと考えてしまいます。しかし、その活動には多大なコストが発生するため、いまだにDXに着手できないという膠着(こうちゃく)状態に陥っていることが散見されています。
しかし、連載第1回でお伝えしている通り、人材は育成することができますし、しかもそれは、それほど多大なコストをかけずとも実現可能です。今回は、「教えることは二度学ぶこと」をキーワードとして、学ぶ場を創出することでDX人材を倍々に増やす、その方法と事例を紹介します。
今、「DX」に続いて「リスキリング」という言葉がバズワードになっています。リスキリングとは、「新しい職業に就いたり、今の職業で必要とされる技能の大幅な変化に適応したりするために、必要なスキルを獲得する/できるようにすること」(引用:ITワード365)です。
リスキリングの対象はデジタルスキルに限ったものではありません。しかし、その対象スキルとして選ばれているのは、AIやデータ活用といったデジタル領域のものが中心となっています。その背景として、DXを進めなくてはという内外の圧力があるにもかかわらず、その進捗(しんちょく)が芳しくないという点が挙げられます。つまり、社内にいる人材をDX人材に育成する、その手法としてリスキリングが注目されるようになったのです。
筆者は、DXを進めるに当たり、DXを推進する人材はもちろん必要と考えますが、それと同じくらい、「それ以外」の人材のデジタル教育も重要と考えます。いくらDX推進担当が優秀で、そのプランも良くできたものだったとしても、実際の変革は全社が連動して動かなくてはなりません。
その際に、全社的に(特にリーダー層の)デジタルリテラシーが低かったり、変革マインドが醸成されていない場合は、デジタルに関する用語の理解や考え方について共有がなされていないため、コミュニケーションコストが増大してしまったり、そもそも変革への抵抗勢力が多数派を占めてしまうということが発生し、変革を進めるのが容易ではなくなってしまうのです。
ここで参考になるのが、2022年12月に経済産業省が個人の学習や企業の人材育成・確保の指針となるものとして策定した「デジタルスキル標準」です。デジタルスキル標準は以下2つに分かれています。
DXリテラシー標準が、経営層を含む全てのビジネスパーソンが身に付けるべき能力、スキルとされています。そこで求められているのは、DXやその重要性の理解、デジタル関連の基礎知識、業務で用いる一般的なツールやデジタルスキルだけでなく、変化への適応や常識にとらわれない発想、柔軟な意思決定といったマインド、スタンスも併記されていることは注目に値します。
全社的にDXリテラシー標準をクリアできるようなリスキリングの機会が提供できれば、DX実現への近道になることは大いに期待できそうです。
しかし、実際にどのようなリスキリングプログラムでそれを実現できるかは、各企業で暗中模索をしているというのが現状です。
サブスク型eラーニングは、低コストでリスキリング機会を提供できる手段として人気ですが、リスキルが2023年3月8日に公開した調査「法人向けサブスク型eラーニングに関する調査レポート」によると、導入企業の54%が「半数以上の社員が有効活用できていない」と回答しています。
このことは、社員の主体性頼みの一律のリスキリングプログラムを提供しても、それだけでは施策として不十分であることを示しています。しかし、一方で社員ごとに寄り添って学習を促したり、プランや学習内容をカスタマイズしたりするような手厚さを求めると、リスキリングプロジェクトは複雑化し、その費用も増大してしまいます。
そこで、これらの課題を解決可能であり、デジタルの知識、スキルを習得するとともにマインドやスタンスの変化も促すデジタルリスキリングの成功事例を紹介します。そのヒントは「教えることは二度学ぶこと」「インストラクショナルデザイン」です。
ここで、筆者が運営をしている学習コミュニティー「ノンプログラマーのためのスキルアップ研究会」(ノンプロ研)の講座の仕組みが参考になりますので、紹介しましょう。
ノンプロ研ではITスキルやプログラミングを学ぶための講座が、コミュニティー内で定期的に開催されています。「Googleスプレッドシート」の関数を学ぶコースや、ノンプログラマー向けのプログラミング言語であるVBA(Visual Basic for Applications)や「Google Apps Script」、Pythonを学ぶコースなどが設けられています。
これら講座に共通する特徴として、講師やそれをサポートするティーチング・アシスタント(TA)は、その担当できる回数が制限されているということです。同一講座について、講師は2回、TAは1回までしか担当できません。筆者は、コミュニティー内の多くの講座の開発者ではありますが、全ての講座について「卒業」を余儀なくされました。
では、新たな講師やTAをどこから連れてくるのでしょうか。新たな講師やTAは、過去の受講生が担当をするのです。つまり、受講生が一定のスキルを身に付けたらTAにチャレンジし、TAを担当後に講師をチャレンジする、このようにして、新たな講師やTAがステップアップ式に次々と生まれるという仕組みになっています。
この仕組みを通して、講師を経験できたメンバーは、自らの職場内などでも同講座を自信を持って開催することができます。実際に、筆者が知る限り、10人以上のメンバーが社内講師を担当しています。なお、ノンプロ研講座のスライドは、参加者の職場など外部でそのまま使用してもよいことになっています。
また、受講生にとっては、「いつかはTAや講師を担当する」という目標を持つことにつながっており、学習のモチベーションの一つとして機能しています。
新しい分野を学ぶ場合、その分野の学び方に不安もありますし、学習について意義も自己効力感も見いだしきれないことも多くあります。その段階で、自律的に独学をするのであれば、挫折や停滞が発生しやすく、自己効力感や学習意欲の低下を招くリスクがあります。
ですから、そのような初期の段階では、他者による学習への関与があると安全です。それにより、個々人に合ったカリキュラムを提案したり、学習のペースを作り強制力を働かせたり、発生した問題に対処したり、応援してモチベーションを上げたりといった、強力なサポートを受けることができます。
しかし、他者関与には人的リソースが必要となります。その分野に十分に熟達した、例えば外部講師などに依頼するのであれば、手厚さに比例して、それなりの報酬が発生することになります。
そこで「少し先をいく先輩」が他者に関与するならどうでしょうか。その分野については学びたてですから、教えることは二度学ぶこと、自らが高いレベルの学びを得られること自体が報酬として機能するようになり、かつ経験がそもそも浅いので金銭的な報酬は高くなくて済みます。
少し先をいく先輩も、何度も講師を担当すると、そこから得られる学びは減少していきます。ですから、ノンプロ研の講座では、講師は2回までという制約を設けているのです。こうして、ノンプロ研では高い報酬を払わずとも、講座を受けられる、かつ講師やTAも学びを得られる、そのような多くの場を提供できています。
この例を応用して、社員が講師となって社内で学ぶ場を設ける、そしてその学びの場を増やし続けるという手法を、DX人材育成のためのリスキリング施策としてはどうかというのが、筆者からの提案です。
なお、前回紹介した「関西建設業界勉強会」もこの仕組みを応用して、建設業界内でDX人材を増やすことを目指しています。
Googleの元人事担当上級副社長ラズロ・ボックは著書『ワーク・ルールズ!―君の生き方とリーダーシップを変える』(東洋経済新報社)の中で以下のように述べています。
このような考え方をもとに、「G2G(グーグラートゥグーグラー)」という社内で自分の得意分野を教え合うプログラムが用意され、2013年には2200種類の講義が実施されたそうです。
もちろん、その分野で最も熟達した講師の方が、高いクオリティーの学びを提供できるでしょう。しかし、そのような外部の講師は人気もあり、報酬も高く、なかなか手が届かないことも多いでしょう。それであれば、世間のトップから学ぶ機会がゼロよりも、部署内のトップから学ぶ機会がある方が、組織としては望ましいのではないでしょうか。かつ、教わる側が教える側にまわる仕組みを採用するなら、講師やTAを担当できる人材が指数関数的に増えていきますから、組織内の学ぶ場を指数関数的に増やしていくことができます。
また、組織内であることのメリットもあります。外部の講師は、業界内や組織内の文脈や文化の理解を持ち得ていません。従って、どの業界でも通用する一律の講座内容をベースとしていることが多いでしょう。一方で組織内の講師は、組織のミッションや課題、文化を肌感覚として保有していて、それを学ぶ場に自然に反映することができます。
とはいえ、新米講師では教える技術が不足しているのではないかと思われるかもしれません。それに関しては、誰もが効果的に教える手法である「インストラクショナルデザイン」(ID)を活用することでカバーできます。
教育工学者である鈴木克明教授によると、IDは以下のように定義されています。
IDは、教える技術と科学を問う学問であり、そこから生み出された手法です。ですから、個人の才能や経験によらず、誰もが一定の成果を上げられる再現性の高いものとして活用できます。例えるなら、料理のレシピのようなものです。レシピを見ながら、材料とその分量、手順、原則などを抑えることで、誰もが一定以上のおいしい料理を作ることができるようになります。
IDは、さまざまな方法論の集大成ですが、講座の「設計」に落とし込むことができます。例えば、講座の目的をどう設定すべきか、受講生はどう集めるべきか、講義のオープニングでは何を伝えるべきか、クロージングでは何をすべきか、事前課題や講義中の課題はどのように与えるべきか、評価はどのようにすべきかなど、これら全ての問いについて、その方向性はIDによって示されています。新米であったとしても、その出した答えを、あらかじめ講座の設計として組み込むことができます。
そして、それはわれわれ日本人が学校教育を通して身に付けている学習観とは、かなり異なるものです。ぜひ、IDを学び、その学習観をアップデートした上で、「教えることは二度学ぶこと」を活用したDX人材育成の仕組みに取り組んでください。
人と人がつながり、関与し合うことの、もう1つの大きなメリットは、マインドが伝染するということです。
前述の「関西建設業界勉強会」で開催しているスプレッドシート関数講座では、スプレッドシート関数を身に付けるだけでなく、それを発端として、社内の構造化されていないデータを構造化していこう、無駄な業務プロセスを改善しよう、そのような意識が各組織内で伝染しつつあることを観測しています。
スタートラインでいうと、組織内にデジタルスキルを持ち、DXに向かう強いマインドを持っている人材はごくわずかかもしれません。しかし、IDを活用し、その最初の第1弾としての「学びの場」を成功させることで、その受講生の数だけ、デジタルスキルの習得と、DXに向かうマインドの醸成を期待できます。
第2弾、第3弾と続けることで、いつかはデジタルスキルとDXマインドを持つというのが当たり前になり、キャズム(普及の谷)を超えて一気にマジョリティーに流れ込むことになるでしょう。そうすれば、DXに向かう各人の準備は整ったともいえます。デジタルを有効に活用して、各社の目指す社会貢献を、よりいっそう推進できるようになるはずです。
次回は、これまでの連載を総括し、中小企業がDXを成功させるためのポイントをまとめます。どうぞお楽しみに。
高橋宣成
プランノーツ代表取締役/ノンプログラマー協会代表理事
「ITで日本の『働く』の価値を高め上げる」をテーマに、研修、執筆、コミュニティー運営を行い、ITやVBA、GAS、Pythonの活用を支援する。コミュニティー「ノンプログラマーのためのスキルアップ研究会」主宰。「IT×働き方」をテーマに運営するブログ「いつも隣にITのお仕事」は月間138万PV達成。Voicy「『働く』の価値を上げるスキルアップラジオ」パーソナリティー。
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