グローバルに活躍するエンジニアを紹介する本連載。今回は特別編として、本連載でも何度かお話を伺っているCyril Samovskiy(キリル・サモフスキー)さんにウクライナの現状について伺う。前回は戦地から命からがら逃げ延びた直後の緊迫した状況で、キリルさんの日常生活や家族、そして仕事について伺った。あれから1年以上たち、キリルさんや周りの人々にはどんな変化があったのか。
国境を越えて活躍するエンジニアにお話を伺う「Go Global!」シリーズ。本連載では縁あって、ウクライナでIT企業を営んでいるCyril Samovskiy(キリル・サモフスキー)さんに定期的にインタビューしている。
ロシアのウクライナ侵攻からはや2年、最初の攻撃から時間がたち、日本のニュースで取り上げられる頻度は少なくなっているように感じる。だがもちろん、問題が解決したわけではない。そこで再びキリルさんにご登場いただき、ウクライナの今についてお話を伺った。
聞き手は、アップルやディズニーなどの外資系企業でマーケティングを担当し、グローバルでのビジネス展開に深い知見を持つ阿部川“Go”久広。
阿部川 “Go”久広(以降、阿部川) お久しぶりです。お元気でしたでしょうか?
Cyril Samovskiy(キリル・サモフスキー 以下、キリルさん) はい、元気です。
阿部川 前回のインタビューは2022年3月、まさにロシアによる侵攻が開始されてすぐ、そしてキリルさんがスロバキアに移動できたタイミングでしたから、もう1年8カ月ぶり(※インタビューは2023年11月に実施)になります。こうして、またお会いできてよかった。
キリルさん そうおっしゃっていただけると私もとてもうれしく思います。当時は、私個人にとっても家族にとっても、そしてウクライナにとっても、本当にいろいろなことが起こった時期でした。今も状況は変化しており、必ずしも良くなっているとは言い切れませんが、ウクライナは占領されてもいませんし、この危機的な状況にあっても存続しています。
阿部川 これまでさまざまなことがあったと思います。この1年半について教えていただけますか。
キリルさん スロバキアの生活は、比較的落ち着いていました。言語など多少の問題はあったもののなんとか対応できていましたし、普通に買い物もできました。
ただ、子どもたちにとっては不安定な状況でした。やはり、自国の外に出ることに対して精神的なダメージがあったように思います。私には何人か子どもがいて、徴兵に行かなければならない年齢の子もいます。スロバキアでは、オンラインでウクライナの学校の授業を受けていましたが、2023年9月には、オフラインで学校に行く必要がありました。そのため、英語をしっかりと使えるようにならなければいけませんでした。
そこで英語圏への移住を考えました。選択肢としては英国とカナダが挙がりました。悩んでいたところ、ロンドンに住んでいる親友が何かと相談に乗ってくれて、英国行きを決めました。ウクライナからの難民を受け入れるプログラムがあり、私たちもその恩恵を受けられました。2022年の夏のことですね。
阿部川 ロンドンでの暮らしは不自由していませんか。
キリルさん 「100点満点ではないけれどなんとかやっていける」といったところです。ロンドンは国際都市ですから、毎日の暮らしはスピーディーで快適です。ただ、ウクライナと比べるともどかしい気持ちになることがあります。大都会なだけあって、需要に対して供給が追い付いていない印象です。例えば車の修理をお願いしようと電話をすると「オッケー! では6週間後にいらしてください」と言われます。
子どもたちの教育への順応といった問題もあります。一番上の子は、ロンドンに来たときには英語が話せるようになっていましたので、数週間で学校生活になじむことができました。しかし、真ん中の子は言葉の壁があり、学校生活に慣れるまでに1年かかりました。本来であれば、数学やコンピュータサイエンスなどの教科を学ぶべきときに、英語だけに時間を費やさなければならなかったともいえます。
阿部川 仕方のないことかもしれませんが、言語が違うと大変ですね。
キリルさん はい。ですからおしなべて「ロンドンでの暮らしはOK」ですが、妻とは「いつかは必ずウクライナに帰ろう」と話しています。もちろん、これはある意味恵まれた悩みといえます。親と子どもが離れ離れになった家族も多いし、そうでなくてもそれぞれが、それぞれの独自の事情を抱えていると思います。問題は単純ではありません。
例えばキーウに帰れるようになったとしても時間的、金銭的な問題があります。ポーランドまで飛行機で移動し、そこから夜行列車に乗って……と考えると、誰もが簡単にできることではありません。他の国に移り住んでいても、家族の大黒柱はウクライナに残っているので、母親が一人でほとんどのことをこなしているという家庭もあります。戦争開始から長い時間が経過しているので、多くの母親は疲れ切っていますし、このまま暮らしを続けていくことに自信をなくしています。それに比べれば私たちの置かれた環境は、家族が皆一緒にいられるというだけでも恵まれていると思います。
ウクライナに住んでいたことを思うと、ここでの暮らしは皆にとって、想像を超えるプレッシャーがかかっている状態だと思います。教育に限らず、仕事、言語、全てです。難民と呼ばれる人の多くは、現地に溶け込んで生活する際に、さまざまな困難に見舞われていると思います。
阿部川 ロンドンでの生活に苦労することはあっても安全という点では代え難い。とはいえ、コロナ禍の上に戦争が起こり、特に子どもたちは、私たちが想像する以上に大きなショックを日々受けている。皆さんの置かれた状況や子どもたちの環境を考えると、われわれはどうしたらいいだろうと途方に暮れてしまいます。
キリルさん 細かいところを指摘し出したらキリがありませんが、私たちをコミュニティーに受け入れてくれていることに感謝が尽きません。ウクライナにいたときの友人よりもここに来てからできた新しい友人の方が、数は多いくらいです
皆がいろいろなことを気にしてくれたり、気軽に声を掛けてくれたりします。そのような人々の気質や優しさに、とても感謝しています。「ロンドン人は気遣いができない」などという人がいますが、私はそうは思いません。私が知り合ったロンドンの人々はオープンで、フレンドリーで、協力的で、常に私たちに関心を寄せてくれています。
先日も、ロンドンで出会った友人がサッカーの試合観戦に誘ってくれました。友人は54歳ですが、地元のチームのために歌ったり、踊ったり、大声で応援したりと、心からサッカーの試合を楽しんでいました。私たちもそれを見て自然に笑いが込み上げました。またあるときは、子どもが通っている学校でテニスの練習があったのですが、前日の雨でコートがぬかるんでしまったので、父親たち全員で土を運んでコートが使えるようにしました。こんなことはここ20年で初めての体験です。ここに来てから毎日起こっていることはそれまでの人生では起こり得なかった貴重な体験です。
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