わが社のソフトウェアとそっくりなものを作ったから、あなたは泥棒です「訴えてやる!」の前に読む IT訴訟 徹底解説(130)(2/2 ページ)

» 2025年12月22日 05時00分 公開
前のページへ 1|2       

第一審と第二審の判断

 第一審(東京地方裁判所 平成27年(ワ)第16423号)の判断は、原告企業Xに有利なものだった。

 ソフトAのプログラムは営業秘密であると判断した上で、2つのソフトウェアには確かに類似点が存在するとの判断だ。では第二審はどうだったであろうか。内容はもう少しプログラムの中身に踏み込んだものになった。

東京高等裁判所 令和元年8月21日判決より(つづき)

(ソフトAの)フィールド名の情報は(中略)パスワードもかかっていないから、誰でも見ることができる。

(中略)

フィールド名には(中略)字幕制作に携わる者であれば容易に分かる名称が用いられていることから、それ自体からフィールドの意味を理解することができるものと認められる。

(中略)

さらに、mdbファイルのプロパティを見れば、データ型も見ることができるから、データ型がテキスト型(文字列型)であることを確認することができ、本文フォント名を表し、テキスト型で記載されるフィールドであるというセマンティクスを把握できる。

フィールド名からすぐにはその内容が分からないものについても、mdbファイルを参照し、記録されている具体的な字幕データの数値を変えて字幕の変化を見たり、目標とする字幕を見つけて該当項目の数値を確認し、字幕の設定を変えて数値の変化を確認したりすることにより、データの属性を把握することができると解される。

 裁判所はまず「ソフトAのデータベースにはパスワードをかけていない」と指摘した。

 これは営業秘密として必要な非公知性がない情報であることを意味する。フィールド名などがソフトAと類似する点はあったとしても、参照可能なソフトAのデータベースの項目名を使ったとしても問題にはならないし、プログラム側のロジックも試行錯誤すれば同じような解析をすることは可能なのだから、元のプログラムを流用したとはいえない。

 営業秘密でもないし、実際に流用している証拠もないので不正競争防止法違反には当たらない、ということだ。

 第一審と比べて、データベース項目の名称の意味合いや使われ方、解析ロジックの独自性有無などを勘案した判断であり、個人的には第一審より納得感のある判決という気がする。

管理もされておらず、珍しくもないものは営業秘密とはいえない

 本判決は、原告側、被告側の立場に立つ開発者両者に示唆を与えるものであるように思える。

 原告側の立場に立つ開発企業や担当者向けに知っておいてもらいたいのは、「守られていない情報は営業秘密にはならない」ということだ。

 ソフトAのデータベースにはアクセス制限がかけられていなかった。被告Y氏は開発中、データベースにアクセスする権利が与えられていたはずである。アクセス権限など設定していてもいなくても関係なかったのではとも言えるが、アクセス権限を設定することは、「それが営業秘密である」ことを示す重要なポイントとなる。

 仮に開発中はY氏がアクセスできたとしても、都度IDやパスワードを問うようにしておき、プロジェクトを離れるときにその権限を削除して、以降はアクセス不能にすることまでしなければ、秘密情報として管理していたとは言えない。これを怠った時点で、「このデータベースは誰でも見ていいものです」と宣言しているに等しい。

 また各種の項目名や解析ロジックにもさしたる独自性はなかったようで、これも営業秘密と認めさせるには弱点だった。字幕制作業界の人間であれば、比較的容易に考えられるプログラムでは秘密にはなり得ない。

 それでも営業秘密としたければ、しかるべきセキュリティを施した上で、開発する全てのソフトウェアについて秘密保持契約を結ぶべきだったろう(これとて、あまりに非常識な内容であれば無効になってしまうが)。

 本件の原告Xは、この辺りが大いに欠けていたと言わざるを得ない。

被告側こそ秘密保持契約が必要

 被告側の立場に立つ開発者にとってのリスクは、「この程度の類似性でも訴えられてしまう」ということだ。最終的には難を逃れたものの、第一審では営業秘密の漏えいとして認められている。

 裁判は当事者の膨大な時間と労力、場合によっては金銭まで失うことになる。これらを避けるためには、むしろ自分たちの方から秘密保持契約の締結を申し出た方がよいように思う。

 契約書の別紙や覚書などで、どのようなことまでが許されるのかを明確にしておくことだ。プログラムや設計書自体の持ち出しは当然、禁止されてしかるべきだが、記憶やメモに残る項目名、データベース、ロジックの中で、この部分だけは流用してくれるなという部分を相手から引き出しておく必要がある。

 もしも相手側が「全ての情報(プログラム含む)の流用禁止」などと言い出すなら、法務部門も巻き込んでの交渉になる。そこまで禁止されては、その後の開発が立ちいかなくなるからだ。

 今回は、客観的に見れば営業秘密になり得ないものを営業秘密であるとして訴えるという少し極端な例であったが、結果のいかんによらず、裁判になるということ=双方の負け戦である。多少面倒でも営業秘密とは何であるかをプロジェクト発足前、契約前にお互いによく話し合っておくべきだと思う。

細川義洋

細川義洋

ITプロセスコンサルタント。元・政府CIO補佐官、東京地方裁判所民事調停委員・IT専門委員、東京高等裁判所IT専門委員

NECソフト(現NECソリューションイノベータ)にて金融機関の勘定系システム開発など多くのITプロジェクトに携わる。その後、日本アイ・ビー・エムにて、システム開発・運用の品質向上を中心に、多くのITベンダーと発注者企業に対するプロセス改善とプロジェクトマネジメントのコンサルティング業務を担当。

独立後は、プロセス改善やIT紛争の防止に向けたコンサルティングを行う一方、ITトラブルが法的紛争となった事件の和解調停や裁判の補助を担当する。これまでかかわったプロジェクトは70以上。調停委員時代、トラブルを裁判に発展させず解決に導いた確率は9割を超える。システム開発に潜む地雷を知り尽くした「トラブル解決請負人」。

2016年より政府CIO補佐官に抜てきされ、政府系機関システムのアドバイザー業務に携わった

個人サイト:CNI IT アドバイザリ

書籍紹介

本連載が書籍になりました!

成功するシステム開発は裁判に学べ!契約・要件定義・検収・下請け・著作権・情報漏えいで失敗しないためのハンドブック

成功するシステム開発は裁判に学べ!〜契約・要件定義・検収・下請け・著作権・情報漏えいで失敗しないためのハンドブック

細川義洋著 技術評論社 2138円(税込み)

本連載、待望の書籍化。IT訴訟の専門家が難しい判例を分かりやすく読み解き、契約、要件定義、検収から、下請け、著作権、情報漏えいまで、トラブルのポイントやプロジェクト成功への実践ノウハウを丁寧に解説する。


エンジニアじゃない人が欲しいシステムを手に入れるためにすべきこと

細川義洋著 ソシム  2420円(税込み)

1mmも望んでいないDX室への異動を命じられた主人公が、悪戦苦闘、七転八倒、阿鼻叫喚を繰り広げながら、周囲を巻き込んで「欲しいシステム」を手に入れるまでを8つのストーリーで解説。システムの開発工程に沿って、必要なノウハウと心構えを体得できます。


システムを「外注」するときに読む本

細川義洋著 ダイヤモンド社 2138円(税込み)

システム開発に潜む地雷を知り尽くした「トラブル解決請負人」が、大小70以上のトラブルプロジェクトを解決に導いた経験を総動員し、失敗の本質と原因を網羅した7つのストーリーから成功のポイントを導き出す。


プロジェクトの失敗はだれのせい? 紛争解決特別法務室“トッポ―"中林麻衣の事件簿

細川義洋著 技術評論社 1814円(税込み)

紛争の処理を担う特別法務部、通称「トッポ―」の部員である中林麻衣が数多くの問題に当たる中で目の当たりにするプロジェクト失敗の本質、そして成功の極意とは?


「IT専門調停委員」が教える モメないプロジェクト管理77の鉄則

細川義洋著 日本実業出版社 2160円(税込み)

提案見積もり、要件定義、契約、プロジェクト体制、プロジェクト計画と管理、各種開発方式から保守に至るまで、PMが悩み、かつトラブルになりやすい77のトピックを厳選し、現実的なアドバイスを贈る。


なぜ、システム開発は必ずモメるのか?

細川義洋著 日本実業出版社 2160円(税込み)

約7割が失敗するといわれるコンピュータシステムの開発プロジェクト。その最悪の結末であるIT訴訟の事例を参考に、ベンダーvsユーザーのトラブル解決策を、IT案件専門の美人弁護士「塔子」が伝授する。


前のページへ 1|2       

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

アイティメディアからのお知らせ

スポンサーからのお知らせPR

注目のテーマ

人に頼れない今こそ、本音で語るセキュリティ「モダナイズ」
4AI by @IT - AIを作り、動かし、守り、生かす
Microsoft & Windows最前線2025
AI for エンジニアリング
ローコード/ノーコード セントラル by @IT - ITエンジニアがビジネスの中心で活躍する組織へ
Cloud Native Central by @IT - スケーラブルな能力を組織に
システム開発ノウハウ 【発注ナビ】PR
あなたにおすすめの記事PR

RSSについて

アイティメディアIDについて

メールマガジン登録

@ITのメールマガジンは、 もちろん、すべて無料です。ぜひメールマガジンをご購読ください。