第一審(東京地方裁判所 平成27年(ワ)第16423号)の判断は、原告企業Xに有利なものだった。
ソフトAのプログラムは営業秘密であると判断した上で、2つのソフトウェアには確かに類似点が存在するとの判断だ。では第二審はどうだったであろうか。内容はもう少しプログラムの中身に踏み込んだものになった。
(ソフトAの)フィールド名の情報は(中略)パスワードもかかっていないから、誰でも見ることができる。
(中略)
フィールド名には(中略)字幕制作に携わる者であれば容易に分かる名称が用いられていることから、それ自体からフィールドの意味を理解することができるものと認められる。
(中略)
さらに、mdbファイルのプロパティを見れば、データ型も見ることができるから、データ型がテキスト型(文字列型)であることを確認することができ、本文フォント名を表し、テキスト型で記載されるフィールドであるというセマンティクスを把握できる。
フィールド名からすぐにはその内容が分からないものについても、mdbファイルを参照し、記録されている具体的な字幕データの数値を変えて字幕の変化を見たり、目標とする字幕を見つけて該当項目の数値を確認し、字幕の設定を変えて数値の変化を確認したりすることにより、データの属性を把握することができると解される。
裁判所はまず「ソフトAのデータベースにはパスワードをかけていない」と指摘した。
これは営業秘密として必要な非公知性がない情報であることを意味する。フィールド名などがソフトAと類似する点はあったとしても、参照可能なソフトAのデータベースの項目名を使ったとしても問題にはならないし、プログラム側のロジックも試行錯誤すれば同じような解析をすることは可能なのだから、元のプログラムを流用したとはいえない。
営業秘密でもないし、実際に流用している証拠もないので不正競争防止法違反には当たらない、ということだ。
第一審と比べて、データベース項目の名称の意味合いや使われ方、解析ロジックの独自性有無などを勘案した判断であり、個人的には第一審より納得感のある判決という気がする。
本判決は、原告側、被告側の立場に立つ開発者両者に示唆を与えるものであるように思える。
原告側の立場に立つ開発企業や担当者向けに知っておいてもらいたいのは、「守られていない情報は営業秘密にはならない」ということだ。
ソフトAのデータベースにはアクセス制限がかけられていなかった。被告Y氏は開発中、データベースにアクセスする権利が与えられていたはずである。アクセス権限など設定していてもいなくても関係なかったのではとも言えるが、アクセス権限を設定することは、「それが営業秘密である」ことを示す重要なポイントとなる。
仮に開発中はY氏がアクセスできたとしても、都度IDやパスワードを問うようにしておき、プロジェクトを離れるときにその権限を削除して、以降はアクセス不能にすることまでしなければ、秘密情報として管理していたとは言えない。これを怠った時点で、「このデータベースは誰でも見ていいものです」と宣言しているに等しい。
また各種の項目名や解析ロジックにもさしたる独自性はなかったようで、これも営業秘密と認めさせるには弱点だった。字幕制作業界の人間であれば、比較的容易に考えられるプログラムでは秘密にはなり得ない。
それでも営業秘密としたければ、しかるべきセキュリティを施した上で、開発する全てのソフトウェアについて秘密保持契約を結ぶべきだったろう(これとて、あまりに非常識な内容であれば無効になってしまうが)。
本件の原告Xは、この辺りが大いに欠けていたと言わざるを得ない。
被告側の立場に立つ開発者にとってのリスクは、「この程度の類似性でも訴えられてしまう」ということだ。最終的には難を逃れたものの、第一審では営業秘密の漏えいとして認められている。
裁判は当事者の膨大な時間と労力、場合によっては金銭まで失うことになる。これらを避けるためには、むしろ自分たちの方から秘密保持契約の締結を申し出た方がよいように思う。
契約書の別紙や覚書などで、どのようなことまでが許されるのかを明確にしておくことだ。プログラムや設計書自体の持ち出しは当然、禁止されてしかるべきだが、記憶やメモに残る項目名、データベース、ロジックの中で、この部分だけは流用してくれるなという部分を相手から引き出しておく必要がある。
もしも相手側が「全ての情報(プログラム含む)の流用禁止」などと言い出すなら、法務部門も巻き込んでの交渉になる。そこまで禁止されては、その後の開発が立ちいかなくなるからだ。
今回は、客観的に見れば営業秘密になり得ないものを営業秘密であるとして訴えるという少し極端な例であったが、結果のいかんによらず、裁判になるということ=双方の負け戦である。多少面倒でも営業秘密とは何であるかをプロジェクト発足前、契約前にお互いによく話し合っておくべきだと思う。
ITプロセスコンサルタント。元・政府CIO補佐官、東京地方裁判所民事調停委員・IT専門委員、東京高等裁判所IT専門委員
NECソフト(現NECソリューションイノベータ)にて金融機関の勘定系システム開発など多くのITプロジェクトに携わる。その後、日本アイ・ビー・エムにて、システム開発・運用の品質向上を中心に、多くのITベンダーと発注者企業に対するプロセス改善とプロジェクトマネジメントのコンサルティング業務を担当。
独立後は、プロセス改善やIT紛争の防止に向けたコンサルティングを行う一方、ITトラブルが法的紛争となった事件の和解調停や裁判の補助を担当する。これまでかかわったプロジェクトは70以上。調停委員時代、トラブルを裁判に発展させず解決に導いた確率は9割を超える。システム開発に潜む地雷を知り尽くした「トラブル解決請負人」。
2016年より政府CIO補佐官に抜てきされ、政府系機関システムのアドバイザー業務に携わった
個人サイト:CNI IT アドバイザリ
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