「インド=安い外注先」はもう昔話 なぜGoogleもMicrosoftも「自社組織」をインドに置くのか:元メルカリCTOが語る、AI時代のグローバル開発(3)

元メルカリCTOが日本企業のグローバル開発とAI時代の組織づくりについて、当事者としての経験を語る連載。第3回は、いま世界のテック産業で存在感を増している「インド」に焦点を当てる。

» 2026年11月04日 05時00分 公開

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 Googleでソフトウェアエンジニアとして「Google Maps」「Android OS」の開発に携わり、メルカリで執行役員Group CTOおよびMercari India取締役Managing Directorを歴任した若狹建氏が、日本企業のグローバル開発とAI時代の組織づくりについて語る本連載「元メルカリCTOが語る、AI時代のグローバル開発」。(聞き手・構成:Tech Japan)

 連載第2回では、日本の「ハイコンテクスト」な文化が生む暗黙知が、AI時代とグローバル開発の両方で足かせになっていることを解説しました。第3回となる今回は、いま世界のテック産業で存在感を増している「インド」に焦点を当てます。Googleをはじめとする世界のトップ企業は、なぜインドに「自社組織」を置くのか。Mercari Indiaの立ち上げを主導した経験から解説します。

※本記事における内容は個人の見解であり、過去に所属した組織の公式見解を代表するものではありません。

「有名過ぎる国」故の先入観を捨てる。「インド人」でひとくくりにできない多様性

 日本の方が「インドのIT」と聞いて思い浮かべるのは、TCS(Tata Consultancy Services)やInfosysのような巨大ITサービス企業、あるいは「安い外注先」かもしれません。伝統的な日本企業を中心に、このイメージはまだ根強く残っています。

 インドは誰もが知る国だからこそ、固定的なイメージが先行しがちです。「安い外注先」というのは、巨大なインドのIT産業の一面を切り取ったイメージに過ぎません。私たちがこれから向き合うべきは、文化や食事といった日常的な側面や、「自分たちと違うから無理」「同じだから安心」といった感情的な物差しではありません。事業をグローバルに伸ばすためのロジカルな選択肢として、インドの現状を客観視する必要があります。

 インドの実態を正しく捉えるための第一歩は、「インドを一つの国だと思わないこと」です。

 インドは日本の約9倍の面積を持ち、人口は約14億人を超える巨大な国家です。憲法第1条では「Union of States(諸州の連邦)」と定義されているように、州が変われば言語も文字も文化も宗教も、そして食べているものさえも全く異なります。共通言語である英語をベースに成り立つ米国というよりも、むしろ「EU(欧州連合)」に近いイメージを持った方が実態に合っています。

 日本ではいまだに「インド語ってありますか?」「インド人はみんなヒンディー語を話す」などと誤解されている方も少なくありませんが、憲法で認められた22の言語があり、確認されているだけでも270以上の言語が存在します。つまり、同じ国の出身だからといって、同じ背景や常識を共有しているとは限らないのです。

 恥ずかしながら、シリコンバレーの多くのインド人エンジニアと働いてきた私自身でさえ、メルカリでインド・バンガロールの拠点を立ち上げ、現地に深く入り込むまではこの事実に気付いていませんでした。シリコンバレーの同僚たちは仕事ではみな英語を話していたので、その背景にある違いが見えていなかったのです。現地の人々はそれぞれ全く異なる文化的背景を持っており、「言わなくても分かる」という阿吽(あうん)の呼吸が成り立たない環境で生きているのです。

バンガロールで出会った「もう一つのシリコンバレー」

 初めて訪れたバンガロールは、街を牛が歩き、渋滞もすさまじい場所でした。ところがテックパークのキャンパスに一歩足を踏み入れると、「ここはシリコンバレーじゃないか」と驚きました。

 現在のインドには、TCSやInfosysといった大手ITサービス企業に加え、海外企業の開発拠点「GCC」(グローバル・ケイパビリティ・センター)、現地のスタートアップ、そしてIIT(インド工科大学)をはじめとする理工系の教育機関という、何層ものレイヤーが存在しています。米国ですらここまで多層的な構造が同時に機能している例は他にはなく、インドはまさにシリコンバレーの巨大な「拡張エコシステム」として動いているのです。

 採用活動でも、この人材層の厚さと熱量を肌で感じました。当時の私たちの募集では、求人への反応は日本で採用していたときとは桁が違い、実感として日本の50倍近い応募が殺到しました。単に応募数が多いだけでなく、一人一人のエンジニアが自身の能力を証明し、ハングリーに次の機会をつかもうとする姿勢も非常に印象的でした。

 こうしたマルチレイヤーな現場を知ると、インドを単なる「安く開発を頼める場所」とだけ捉えるには、明らかに現実との大きなギャップがあると感じるのです。コスト面でも、私の実感では「安さ」は理由になりません。バンガロールのシニア層の人件費は、日本と同水準か、むしろ高いくらいでした。

世界のテック企業にとってインドは「特別な進出先」ではない

 欧米企業にとって、インドに開発拠点を置く動きは最近始まったものではありません。例えばMicrosoftは1998年にハイデラバードに拠点を設立し、世界に向けた製品開発を担ってきました。Googleも長年インドでのエンジニアリング体制を拡充しています。

 これは、1990年代の単なる「ODC」(オフショア開発センター:外注先)から始まり、2000年代の「GIC」(グローバル・インハウス・センター:自社開発拠点)を経て、現在のGCCへと、欧米企業が30年近くかけて積み上げてきた歴史の結果なのです。

 私の感覚では、世界規模で開発を行う企業にとって、インドは特別な進出先というよりも、開発体制を考える際の「デフォルト」に近い有力な選択肢です。理由は3つあると考えています。1つ目は、リーダーシップ層も含めて、人材の質と量が非常に厚いこと。2つ目は、仕事が英語で回ること。3つ目は、採用市場や教育機関、バックオフィスまで含めたエコシステムが、既に出来上がっていることです。その背景には、優秀な人材を採用し、現地に役割を任せてきた長年の蓄積があります。

 しかし、重要なのは拠点を置くかどうかだけではありません。その拠点を自社の開発組織の中にどう位置付けるかが問われるのです。

自社の海外拠点でも、指示するだけなら「外注」と変わらない

 自社の海外拠点を設けても、仕事の進め方まで変わるとは限りません。重要なのは「外注」と「組織にケイパビリティ(能力、機能)を持たせること」の決定的な違いです。それは「本社が手段を渡すか、目的を渡すか」という点に集約されます。

 本社から「ここにボタンを付けて」「こういう機能を作って」と具体的な手段を細かく指示し、現地が実行するだけの組織は、それが社外のベンダーであれ社内の海外拠点であれ、本質的には「外注」です。

 一方、グローバル企業のスタンダードな姿勢は「このビジネスゴールを達成したい」「この課題を解決したい」という目的(ゴール)だけをGCCに渡し、「何を開発し、どう優先順位を付けるかの手段は、自分たちで考えて決めてくれ」と権限を委譲します。これこそが組織にケイパビリティを持たせるということです。

 海外の開発チームを、指示された作業をこなすだけの存在と見るのか。それとも、課題を共有し、解決策を一緒に考えるチームと見るのか。この違いが、人材の力をどこまで引き出せるかを大きく左右します。ただし、目的を受け取る側にも、課題を正しく理解して解決策を考える能力が要ります。

現地チームの自律性を支える4つの背景

 では、私がインドで出会ったエンジニアたちの自律性は、どのような環境で育まれていたのでしょうか。経験を振り返ると、彼らの強さを支える4つの背景があると考えています。

1.自分の力で機会をつかもうとする切迫感とハングリー精神

 私が現地で接したエンジニアからは、経験を積み、自分の能力を示して次の機会につなげたいという強い意欲を感じました。インドは若年層が多く、キャリアのスピード感も日本とは異なります。与えられた仕事を終えるだけでなく、何を実現できるかを自ら示そうとするハングリーな姿勢が、提案や行動にも表れていました。

2.異なる前提を言葉で確かめる習慣(多様性とローコンテクスト)

 前述の通り、言語や文化的な背景が異なる相手とは、自分の意図がそのまま伝わるとは限りません。私が関わったチームでも、何を実現したいのか、なぜその判断をするのかを明示的に説明し、認識を合わせることが重要でした。

3.グローバルなエコシステムと教育基盤

 IITを頂点とする強靭(きょうじん)な理工系教育基盤があり、現地のGCCにはビッグテックなどで鍛えられた人材が豊富に存在します。私がMercari Indiaを立ち上げた際も、彼らは日本本社からの指示を待つ外注先ではなく、PRD(製品要求仕様書)を書いて議論し、設計文書を残し、DRI(直接責任者)制度の下で「自律的に動いて対等な提案をしてくるチーム」でした。

4.ジュガール(Jugaad)精神

 物資やインフラが不足し、予定通りに事が進まない制約だらけの環境で、「手元にあるあり合わせの資源で、何とか解決する」というハック精神です。美しいソリューションにこだわるだけでなく、「要は何がやりたいのか」「結果を出すにはどうすればいいか」という目的志向で、最短距離を取ることに長けている傾向があります。

入力機能の開発で、現地の提案が教えてくれたこと

 私がGoogleでAndroid OSの入力関連フレームワークの開発に携わっていた際、このジュガール精神を象徴するような出来事がありました。当時、南アジア市場向けにヒンディー語やベンガル語などの多言語入力サポートを強化するプロジェクトが進んでいました。本来、それらの言語の辞書や仕組みをしっかり作り上げるのが「筋」です。

 しかし、インド側の担当メンバーから上がってきた提案は、「ヒンディー語もしっかりやるべきだけど、若者が日常的に『WhatsApp』などで使っているのは、ヒンディー語と英語をハイブリッドな形でアルファベット(ローマ字)で入力する『ヒングリッシュ(Hinglish)』だ。完璧な辞書など作れなくてもいいから、とにかくヒングリッシュの入力をサポートした方が若者に絶対ウケる」というものでした。英語のキーボードでヒングリッシュを打つとオートコレクト機能が働いて意図せず英語の単語に修正されてしまうので、専用の入力サポートが望まれていたのです。

 真面目な日本企業なら、「公式な言語ではない若者言葉を、OSの標準機能にしていいのか」と議論が紛糾したはずです。しかし私たちはその提案を受け入れ、彼らの助けを借りながら東京のチームで設計し、実装しました。大切だったのは、公式な言語かどうかにこだわるのではなく、ユーザーの課題を解決するという目的に立ち返ったことです。現地の知見から解決策が提案され、それを別の拠点のチームが受け止めて形にする。課題に応じて知見を持ち寄ることが、グローバルに開発する価値だと考えています。

AI時代に問われる「目的を伝え、提案を受け止める力」

 ここで、連載のテーマである「AI」に立ち返ってみましょう。

 AIに実装を任せる場面でも、人間は何を実現したいのかを言葉にし、満たすべき条件を明示し、結果が目的にかなっているかどうかを確かめる必要があります。これは、背景の異なる海外エンジニアと協働する際にも全く同じです。両者には、「暗黙の了解に頼らずに仕事を進める」という強烈な共通点があります。

 異なる文化、異なるコンテクストを持つ海外の優秀なエンジニアたちと協働し、彼らにケイパビリティを持たせるには、日本本社側にも劇的な変化が求められます。これまでのルールや意思決定の進め方を、暗黙の了解に頼らず明示的に説明できるかどうか。想定外の提案やカルチャーショックを受けたときに、それを拒絶するのではなく、背景や狙いを確かめて「サプライズを受け入れる力」を持てるかどうか。自分たちが無意識に前提としている「当たり前」を疑う姿勢が問われるのです。

 この「いい意味でのショック療法」を組織に浸透させるには、頭で考えてばかりではいけません。「YouTube」を見たり、話を聞いたりすることは理解の入り口にはなりますが、それだけでは不十分です。現地の人と議論し、一緒に仕事を進めてみる。そこで初めて気付く、自分たちの前提や課題があるはずです。

 日本の組織が「何を学べば生き残れるか」と立ち止まって考えている間にも、インドの多くのエンジニアたちは既にAIと一緒に手を動かし、モノを作っています。「Think before move」(考えてから動く)ではなく、「Move before think」(考える前に飛び込め)。インドを知ることは、海外の人材を知るだけでなく、自分たちの開発組織を見直す絶好の機会にもなります。

 もちろん、インドに拠点を置けば全てがうまくいくわけではありません。拠点運営ならではの難しさもあります。人材の流動性が高く、例えば採用では、内定を出しても、入社日当日になるまで安心できません。ただ、連載第1回でお話しした通り、つまずきの原因は現地よりも、受け入れる日本本社側にあることが多いのです。

 次回はグローバル開発を推進するに当たり、日本本社側が具体的に何を変える必要があるのか、マネジメント層採用の事例なども交えながら、その実践論に踏み込んでいきます。

筆者紹介


若狹 建(Ken Wakasa)

Tech Japan株式会社 シニアテクニカルアドバイザー、合同会社桜文舎 代表社員CEO


東京大学大学院工学系研究科情報工学専攻修了後、富士通研究所にて研究開発に従事。Sun Microsystemsおよびソニーで組み込みソフトウェア開発を担当。GoogleではGoogle Mapsの開発を経て、2010年以降はAndroid OS開発チームでフレームワーク開発に携わる。Appleでのシステムソフトウェア開発、LINEでのメッセンジャークライアント開発統括を経て、2019年株式会社メルカリに参画。執行役員CTO MarketplaceおよびGroup CTOを歴任し、2022年からMercari India取締役Managing Directorを兼務、2024年に退任。現在は複数社の技術アドバイザー・技術顧問を務める。


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