2月17日、Life is Tech ! 主催「Edu×Tech Fes 2013 U-18」が開催された。そこで行われた「驚異のプレゼンテーション」をレポートする。
本連載では、Life is Tech ! が主催するイベント「Edu×Tech Fes 2013 U-18〜驚異のプレゼンテーション〜」をレポートする。Edu×Tech Fes 2013 U-18は、テクノロジーから教育を考え、教育からテクノロジーを考えるイベント。天才中高生が語るゾクゾクする3時間を、全7回の連載でお届けする。
高校2年生のデジタルクリエイター、Tehu氏は、現在灘高等学校に通っている。彼は、中学2年生のときにiPhoneアプリ「健康計算機」をリリース。App Storeのメディカルカテゴリのランキングで、1年間に渡って1位を独占した。現在は、高校に通いながらシステム開発・プロデュース・デザイン・映像制作・パーソナリティ・講演・執筆・メディア出演と幅広く活動している。そんな彼が、今回初めて自分の過去を明らかにした。
Tehu氏の人生をひと言に集約するならば、「アブノーマル」だという。アブノーマルという言葉は、日本語で「異常」と訳されることが多く、あまりいい意味で使われてはいない。しかし彼は、あえてこの言葉を使う。
1995年8月、Tehu氏は神戸に生まれた。阪神・淡路大震災からわずか6カ月後のことだった。母親が子育てのためにと神戸に引っ越した1カ月後に、あの地震が起こった。住んでいたアパートは全壊し、知り合いは全員いなくなった。そんな中、彼は奇跡的に生まれた。
彼の両親は中国国籍。震災の5年ほど前に日本にやってきたという。「生まれたときから自分はアブノーマルだった。今、このようなルーツを持つことで大変なこともある。しかし、このアブノーマルをぼくは誇りに思っている」と彼は話す。
Tehu氏の両親は盲信家だった。母は中国で有名な音楽家、父はスポーツがとても得意だった。母方の祖父母は大学教授であり、中国全土で建物を設計するエンジニアだったという。遺伝を信じた両親は、Tehu氏にピアノを習わせ、水泳をやらせ、日本公文教育研究会の公文式に通わせた。
ピアノと水泳に関しては、Tehu氏に才能がないことがすぐに分かった。よく「あきらめが肝心」と言うが、実際にはそう簡単にあきらめられるのもではない。しかし、彼の母は違った。「ああーそうか、無理か、おっけー!」。自分の子の能力を、すぐにあきらめた。そして、それらの目的から醒めた代わりに、Tehu氏を勉強に集中させた。ピアノと水泳では芽が出なかったものの、勉強に関しては明らかに他の人とは違った。
Tehu氏は勉強という分野で、アブノーマルになった。小学校高学年のころから「アブノーマルを極めたい」と思っていた彼は、日本における最難関校の1つ「灘中学校」を受験し、合格した。いくら勉強ができても、灘中学校に入れる人間はごく一部。勉強ができた彼だが、最初は決してそこに手が届くレベルではなかったという。
そんな彼のモチベーションはただ1つ、「アブノーマルになりたい」、それだけだった。アブノーマルな自分になりたい一心で、必死に勉強したという。結果、合格最低点の321点で入学した。彼は「灘中学校に入らなければ、100%今の自分はいない」と話す。
Tehu氏にとって、灘中学校は予想以上にアブノーマルな空間だった。入学した次の日に、彼は衝撃を受けたという。隣の席に座っている自分と同じ中学1年生の子が、「線型代数学」の本を開いていた。左に座っている子は国際物理オリンピックで金メダル、もう一つ隣に座っている子は、同オリンピックで銀メダル。隣のクラスにいる子は、国際生物学オリンピックで銀メダル。さらに隣のクラスには、全日本ディベート連盟や世界のディベート大会で優勝している子がいた。そんな中で、Tehu氏は明らかに埋もれていた。
「勉強だけでアブノーマルになっても、灘中学校の中では生きていけない」と気付いたTehu氏は、校内でアブノーマルを極めるにはどうすればいいかと考えた。思い付いたのは、コンピュータだった。親がもの好きで、Tehu氏は3歳からコンピュータを触っていた。プログラミングはできないものの、パソコンの1ファンとして、小学生・中学1年生としてはすさまじい知識を持っていたという。彼は、ここに賭けるしかないと考えた。
ちょうどそのころ、「シンガポールの9歳の子がiPhoneアプリを作った」というニュースが彼の耳に飛び込んできた。彼は盲信し、「俺にもできるはずだ」と確信した。そして、猛進した。
このとき作ったiPhoneアプリが、App Store メディカルランキングで1年間に渡り1位を独占した「健康計算機」である。非常にシンプルなアプリケーションであったが、App Storeの総合ランキングでも最高で3位を獲得した。こうして彼は、灘中学校の中でもアブノーマルな地位を獲得した。しかし、彼のアブノーマルな人生は、これで終わらなかった。神様は、アブノーマルになった彼に、さらにアブノーマルになるための機会を与えた。
彼は、マスメディアから注目され、取材を受けるようになった。自分の力を盲信し、猛進して、いろいろな取材に答えた。
そんなある日のことだった。忘れもしない2010年3月25日、いつものように朝目が覚めると、数え切れないほどのリプライが彼のTwitterに飛んできていたという。2ちゃんねる掲示板で叩かれ、口には出せないようなひどいことが書かれていた。街を歩くだけで「今、東京駅にTehuがいる。キメェ」と書かれた。
しかし、Tehu氏はこれを自信につなげた。2ちゃんねるで叩かれたおかげで、200人だったTwitterのフォロワーが1600人に増えた。彼はフォロワーが増えたことを利用して、何の面識もない1人のフォロワーに突然思い立って連絡した。当時日本で発売されていなかったiPadを買ってきてもらえないかとTwitterでお願いすると、メッセージを受け取った人物はすぐにOKを出してくれたという。彼の名前は、外村仁氏。元Apple Japanのマーケティング本部長で、現在はエバーノート日本法人の会長を務める。彼らはお互いに面識がなかったが、外村氏はTehu氏のもとにサンフランシスコから大阪までiPadを運び手渡した。
このころ、Tehu氏は「自分がアブノーマルになると、周りにもアブノーマルな人が集まる」ということを感じていた。そして、アブノーマルの人たちに囲まれていると、アブノーマルのはずの自分がまだまだノーマルであるということに気付かされていた。彼はさらなるアブノーマルを目指し、盲信して猛進した。
そこで始めたのが、Ustream放送だった。英語と中国語には自信があった彼は、年に3、4回行われるAppleの発表会をUstream中継することを思い付いた。「Tehuのオールナイトニホン」という番組を作り、アプリ開発者として、またAppleファンとしての知識を交えながら、発表会の解説を行った。Twitterのフォロワーは1600人から1万人へと増え、100万人が彼の番組を視聴した。
そのうち、Tehu氏はラジオ番組にも呼ばれるようになった。人前で話す機会も増え、Tehu氏はさらに盲信して猛進した。そして、再びチャンスがやってきた。在日本アメリカ合衆国大使のジョン・ルース氏から直接手紙が届き、会うことになった。Tehu氏は、ルース氏と起業家精神や今のIT業界について語り合ったという。こうして、どんどんアブノーマルになっていく彼の周りから、報道陣が途絶えることはなかった。
彼はさらに、バラエティ番組に出演したり、マルチクリエイターとして活動したり、映像を作ったりした。すべては、盲信と猛進だった。
そして今、Tehu氏はとある有名なプロデューサーに誘われてラジオ番組とアイドルグループのプロデュースを手掛けようとしている。「自分にできるかどうかは分からない。しかし、盲信して猛進すれば、少なくともできるかできないかは分かる。やらないよりはマシだ」と彼は言う。
プロデューサーの秋元康氏はこう言う――「企画の原典は根拠のない自信だ」――。Tehu氏もこれに同感だという。
「人生というのは1つの具体的な目標を達成するものではない。失敗するかもしれないし、成果は出ないかもしれない。しかし、人生の最後に全部足し合わせて、ゼロより大きくなったらそれでいいじゃないか。それは、『できた』ということだ。だから、1つ1つの失敗を気にするのではなく大局的に人生を見たい。ほかの人を巻き込んでもいい。自信の先に答えはある。失敗してもいい。いったん失敗して醒めたものには、経験がある。それがいつか役に立つかもしれない。だから、醒めることは怖くない」(Tehu氏)。
彼はまだ夢の途中である。これからどうなるかも分からない。しかし、彼は「失敗することはない」と確信している。なぜなら、「失敗」は、ほんの一時的なものにすぎないからだ。つまり、それはまだ「失敗」ではない。「本当に好きなものをやっているから、ぼくは失敗しても痛くもかゆくもない。もう一度考え直して突き進むだけだ」(Tehu氏)。
そして、Tehu氏は問う。――「確かに、ぼくの自信に根拠はない。では、皆さんの不安に根拠はありますか?」――
Tehu氏は、「盲信メソッド」を実践している一人の高校生として、プレゼンの最後に「人生の中間発表」をこうまとめた。
ぼくには、同じ意思を持った多くの同士がいる。同じ目標に向かって違う世界で頑張っている仲間がいる。
ぼくには、ぼくの意思をサポートして、一緒に解決を目指してくれる多くの人生の先輩がいる。ぼくには、ぼくの歩いた道を追いかけてくれる多くの後輩がいる。
ぼくには最高の友人たちがいて、最高の尊敬する方々がいる。
ぼくには、たまには励まして、ときにはいさめてくれるような、たくさんのサポーターがいる。ぼくには、ぼくが何か行動を起こすだけで熱狂してくれるサポーターがいる。
ぼくには舞台がある。常に「おまえは、まだまだノーマルだ」ということを教えてくれる舞台があり、世界がある。
ぼくには、共に支え合えながら、異なる夢に向かって突き進む同い年の仲間たちがいる。強く固いきずなとは、まさにこのことだ。
そしてぼくには、すべてを理解して、すべてを受け入れてくれて、すべてをつぎ込んでくれる2人の男女がいる。
ぼくはこんなに恵まれている。しかし、最初から恵まれているわけではない。すべては、アブノーマルからのスタートだった。これはまぎれもなく、すべてを信じて突き進んできたぼくの盲信、そして猛進の表れだ。
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