15個目のプランが絵本ナビです。このアイデアは、子育て生活の中から生まれました。生後2カ月の娘に『はらぺこあおむし』という絵本を読んであげたら、笑ってくれたような気がしたのです。私はおむつを替えたりミルクをあげたりするのはあまり得意ではなかったのですが、「これなら俺にもできる」と思い、本屋さんに次の絵本を買いにいったのですが、何を選んだらいいのか分からない。
そこで妻のママ友に聞いたら、「みんな口コミで選んでいるんですよ」と言う。そこで「『わが家のおすすめ5冊』をコメント入りで選んでください」と10人のお母さんたちに紙を配り、50冊分の情報を集めました。そうしたら意外なことに、『ぐりとぐら』以外はまったく重なっていませんでした。
そこで回答内容を集約してお母さんたちにフィードバックしたら、とても盛り上がりました。「これをWebサイトでやったら、どうだろう?」と聞いたら、「私、使うわよ!」と皆さんがおっしゃってくれたので、「じゃあ、これをやろう」と決めました。
松尾 「もうかる」という観点ではなく、目の前にあるニーズから出発したのですね。
金柿 一人の父親として感じたニーズを、ユーザー候補であるお母さんたちにぶつけたところ、「非常にうれしい」という反応が返ってきたことが、絵本ナビの出発点です。
松尾 アイデアが出てからは、どう動いていったのですか。
金柿 米国のベンチャー企業がガレージからスタートする姿に憧れがあったので、まず古い木造アパートの1室を借りて、大きな机と背もたれ付きの椅子を置きました。わが城を構えたときは、最高にワクワクしましたね。「ボロボロのアパートで起業して、Tシャツ短パンで働く自分、最高!」みたいな(笑)。そのとき「やはり自分は起業家なんだ、こういう方が向いているんだ」と痛感しました。
松尾 システムは自分で作ったのですか。
金柿 サイトデザインは私がしましたが、システムは前職で同じチームにいたプログラマーが作ってくれました。彼は「金柿さんが独立するときは一緒にやりたい」と言ってくれていて、日中は会社の仕事をして、帰宅してから手弁当でシステムを作ってくれました。ちなみにいま、絵本ナビのシステムを作っているプログラマーは2人とも前職の同僚で、そのうちの1人が彼です。
そうやって、最初はとにかくキャッシュアウトを抑えながら、事業のめどを立てました。Webサイトができて「絵本の感想やエピソードを投稿してください」と呼び掛けると、早い段階から多くのレビューが集まりました。お母さんたちは「誰かの役に立ちたい」「自分の言葉を伝えたい」という気持ちがありながらも、家庭に入って社会と分断されていたのです。当時は、最近のように簡単に情報発信する手段が無かったので、スタートからグーンと伸びていきました。
松尾 起業したきっかけの一つであった家庭生活はいかがでしたか。
金柿 「家庭を大切にしたい」という思いで独立したにもかかわらず、3年前くらいまでは結局、夜中まで仕事をするような生活をしていました。でも今はそれはやめて、「定められた時間内に最大の成果を出す」「長時間労働よりも、効率と成果を重視し、ハードワークだけど子どものためならいつでも休める会社」というビジョンを会社として掲げ、率先垂範(そっせんすいはん:自分がすすんで手本を示すこと)で実行することにしました。
松尾 きっかけがあったのでしょうか。
金柿 娘から「パパがいなくて寂しい」というSOSが出たのが、きっかけです。振り返ってみたら、起業したときの思いとは異なり、やっていることは会社員時代と同じじゃないかと気付いたのです。それを「ベンチャー経営者だから、家庭は二の次でも仕方がない」で片付けたら、ものすごい自己矛盾になってしまいます。
絵本ナビはベンチャーだから、高い収益性と成長性を追求しなければいけません。では長時間労働するしかないのかと考えていくと、「いや、そうでなくてもできるだろう」と。
私のようなIT業界出身の人間は、夜の時間は無限にあると考え、20時くらいから「第2ラウンド行くか」となるノリがあります。その一方で、編集担当のママスタッフは保育園のお迎えがありますので、必ず17時に会社を出なければいけません。すると退社時間から逆算して仕事の段取りを考え、ムダを省き、きちんと進めていく逆算思考の仕事の仕方をせざるを得なくなります。両者では流れている時間の感覚が全然違う。
松尾 先ほど、長時間労働は美徳という感覚があったというお話もありましたね。
金柿 確かに、長時間労働を何となく誇りに感じていた部分もありました。しかし、データを見ると、日本のホワイトカラーの生産性は先進国の中で最低です。日本が世界に伍して戦っていくためには長時間労働は当然と思っていたのですが、私たちが家庭を犠牲にして遅くまで仕事をしているのは、単にやり方が下手だったのではないかと気付きました。
その気付きがとても悔しくて、逆算思考で仕事をすることにしたのです。週5日、家族で食事するために帰る。それを大前提に、組織全体の仕事のやり方を組み替えました。「あの人が今日休んだらアウト」という状況を決して作らないように情報の共有化と仕事の合理化を進め、社内SNSを導入し、メールは全部Gmailに置き換え、スマートフォンでコミュニケーションできるようにしました。
日本の大企業ではよく「夜9時から会議スタート」「重要なことはタバコ部屋で決まる」なんてことがありますが、そういうことを一切無くしたのです。最初は不安もありましたが、結果的に何も問題はありませんでした。当社には在宅勤務者もいます。創業時からシステムを作ってくれている例の彼は、今北海道の十勝に住んでいるのですが、Skypeで会議にも出ますし、まったく問題なく仕事しています。最近入社したスタッフは、まだ生身の彼を見たことが無いのですが(笑)。
松尾 個人としても会社の働き方としても、大きなターニングポイントでしたね。
金柿 子育てには「いまは大切な時期だから、一緒にいなくちゃいけない」というタイミングがあります。その時期は毎日、その日に起こったことを寝る前に聞いてあげなければいけません。私は娘が小学生の間は、毎朝駅まで一緒に歩いていろいろな話をし、夜も一緒に食事をしました。これは自分を含め家族にとって、貴重で素晴らしい時間だったと思います。
会社の机でずっと「ああでもない、こうでもない」とうなっているぐらいなら、スパッと帰って家族とご飯を食べ、今しかできない掛け替えのない時間を過ごし、子どもが寝てからまた仕事をした方が良い成果が出る。そして、その方が誰もが持続的に生き生きと働けるのではないかと思います。
松尾 金柿さんは「こうありたい」という世界を描き、強い意志でそれを作っているのですね。
金柿 「仕方がないで済ますのは格好悪い」という思いがあります。また、「うちはこういう会社である」と宣言し、トップが率先垂範してみんなで仕組みを作っていくのはとても面白いと感じています。
わが社は、今はユニークなカルチャーや組織運営方針にフォーカスが当たることが多いのですが、いずれは圧倒的な成果を出し、「何で絵本ナビはあんなに伸びているんだ」と問われるようになりたい。そのときに「われわれは、子どものためならいつでも休める会社だからです」と言えるようにしたい。そう社内で話しています。
構成:宮内健 撮影:上飯坂真
クライス&カンパニー シニアコンサルタント
ITベンダーにて人事(採用)を担当。チームマネジメント、人材育成などの経験を経て、転職支援エージェントに転進。コンサルタント、企画系の職種を中心に採用支援サポートを行い、2006年にクライス&カンパニー入社。
1975年生まれ。GCDF-Japanキャリアカウンセラー。
インタビューシリーズ「Turning Point」 バックナンバー
※この連載はWebサイト「TURNING POINT 転機をチャンスに変えた瞬間 ビジネスの現場から」を、サイト運営会社の許可の下、一部修正して転載するものです。データなどは取材時のものです。
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