東京高等裁判所 IT専門委員として数々のIT訴訟に携わってきた細川義洋氏が、IT訴訟事例を例にとり、トラブルの予防策と対処法を解説する本連載。今回は、プログラムを「パクられた」ゲームソフトメーカーが起こした裁判を解説する。果たしてプログラムに著作権は認められたのか――?
IT訴訟事例を例にとり、トラブルの予防策と対処法を解説する本連載。前回はソフトウエアの設計書が著作物として認められるための条件について解説した。
今回も引き続き著作権について説明する。テーマは「プログラムの著作権」だ。
前回より解説しているソフトウエアの著作権問題。前回は、ソフトウエア開発において作成される設計書が著作物として認められるためには、そこに「創作性」や「表現上の工夫」が必要であることを述べた。
今回は「プログラムの著作権」について考えてみたい。最初に取り上げるのは、昭和57年に出された古い判決だが、プログラムの著作権について、おそらく裁判所が初めて考え方を示したものであり、その意味で一つの原則と言ってもいい判例である。
ある大手ゲームソフトメーカー(以下 原告)が、作成したゲームソフト(コンパイル後の機械語)をテレビゲーム機内蔵のROMに格納して販売していたが、あるゲーム会社(以下 原告)が、このROMを取り出し、別のゲーム機に組み込んで販売した。
原告は、この行為がプログラムの著作権の侵害に当たると訴えを起こしたが、被告は、プログラムは著作物ではなく、著作権侵害には当たらないと反論した。
人の作ったソフトウエアを、勝手に自分のマシンに組み込んで販売するなど、著作権以前の問題ではないかと考える読者も多いだろう。しかし昭和50年代は、コンピューターの価値はハードウエアにしか認められず、ソフトウエアはその付け足し程度にしか思われていなかった時代だった。このように、ある意味ソフトウエアを軽視するような風潮が、当時はあったことも事実である。そうした時代にあって、ソフトウエアの価値と、その権利を争ったこの事件は、裁判になること自体が画期的であり、裁判所の判断が、コンピューター業界(今でいうIT業界)から、大変に注目されていたようだ。
そんな中、裁判所が示した判断は、以下のようなものだった。
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