人材育成歴30年の田中淳子さんが、職業人生の節目節目で先輩たちから頂いてきた言葉たちを紹介する本連載。今回は「お客さまのために」と仕事を一人で抱え込んでいた淳子さんに先輩が掛けてくれた言葉を紹介する。
人材育成歴30年の田中淳子さんが、人生の先輩たちから頂いた言葉の数々。時に励まし、時に慰め、時に彼女を勇気付けてきた言葉をエンジニアの皆さんにもお裾分けする本連載。
前回は、他者の目に映る自分の姿を通して自己理解が深まったエンジニアの話を紹介した。今回は、良かれと思って後輩に仕事を渡せなかった淳子さんが、先輩に頂いたアドバイスを紹介する。
特定の分野でスキルを磨いてきた人は、担当してきた業務を引き継ぐのが難しい。
後輩に仕事を任せても、ちょっとしたことでも「自分だったらこうするのに」「もっと早めに手を打つのに」「こんなふうにお客さまに話せばいいのに」などヤキモキして、ついつい口や手を出したくなる。
しまいには、イライラして「やっぱり、自分でやってしまおう」「自分がやった方が効率も良いし、品質も良い」と言い出し、全部自分が抱え込んでしまう羽目になる。
いつまでたってもその仕事を経験できないので、後輩は育たない。任せられる後輩がいないから「自分がやらなくては」と本人は張り切り、経験できない後輩はいつまでたっても一人前になれず、本人はますます「後輩に任せると質が心配」と一人で頑張って……といった悪循環に陥る。技術力に自信があるエンジニアがはまってしまいがちな思考だ。思い当たる節がある読者も多いのではないだろうか。
私もかつて、そういう人であった。20代後半で「ITエンジニアにコミュニケーションなどのビジネススキルを教える仕事」を立ち上げ、社内唯一の担当者として頑張ってきた。数年たち、仕事の数が増えてきたころ、上司から「いつまでも一人でやっていないで、後輩を育ててはどうか?」と提案された。
「せっかくなら『この分野の仕事がどうしてもしたい』という思いがある人にしてほしい」と希望を出したが、その一方で「私がやってきたものと同等レベルの研修を誰かに任せることなんてできるだろうか」という思いもあった。私が何年もかけて試行錯誤してきた仕事なのに、そう簡単に引き継げるものだろうか。おそらく「そんな簡単に引き継げると思ってもらっては困る」という自負もあったのであろう。
そこで、隣の部署の先輩に揺れる気持ちを伝えた。「後輩を付けてくれると上司は言うのですが、誰かに引き継いでも私と同じレベルではできないと思うのですよね」。
先輩は「そうだろうね」と肯定的な反応を示した。「そりゃ、これからアサインされる後輩は、淳子さんとキャリアが違うものね。ベテランと同じようにできるわけないよね」
全面的に賛同してくれたとうれしくなり、調子にのって私は続けた。
「同じレベルでできないと、品質が下がり、お客さまにも迷惑が掛かります。もちろんトランスファー(知識や技能の伝承)はしますけど、そんな簡単には立ち上がらないと思います」
すると、先輩はこう言った。「で、淳子さんはどうするの?」
(え? どうするって?)
「今の仕事の質を高く保つために頑張るだけじゃないか」と思い、そう伝えたところ、さらに訊かれた。
「ベテランである淳子さんが上手にできることを守っていくわけだね。で、淳子さんはこれからどうするの?」
「ん?」
「だから、淳子さんは、いつまで『そこ』にとどまっているの? って質問しているんだよ」
「……」
「知識やスキル、経験に自信があるエンジニアがよく言うんだよ。『自分がやった方が早い』とか『自分だから上手にできるのであって、他の誰かがやったらこうはいかない』って。そういう自負を持って働くのは立派だけど、自分のやってきたことを両手いっぱいに抱えて大事にしている人を見ると、『次にどうなるの? どうするの?』と思うわけ」
「はぁ……」
「あなたが開拓した分野なのだから、あなたが一番上手にできて当たり前だよね。これからも続ければもっと洗練されるかもしれない。だけど、それをずっと手放さずにいたら、どうなるの?」
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