阿部川 米国に行かれたのは大学卒業後ですか?
金本氏 大学は1年留年しました。留年して時間ができたので、仕事でもするかなと思いまして(笑)。1996年、まだベッコアメ・インターネットができたばかりで、ニフティサーブで『どうやってインターネットでビジネスを立ち上げるか』という話が盛り上がっているころでした。
そのころ会社を経営している人と知り合って、1997年に一緒に会社を立ち上げました。企業がインターネットに興味を持ちだした時代で、「ホームページを作らなくては」「取りあえずメールアドレスを持たないと」「サーバが要る」などの需要が出始めたころです。
Web制作会社もデータセンターもない時代です。「ホームページ制作5ページで200万」「メールアドレスを1個作るのに20万」といった金額を普通にいただいていました。
その会社は、大学卒業後も1年ぐらい続けたのですが、だんだんお金の話ばかりになって、面白くなくなってしまって。同じことをするのなら、東京か米国に行った方がいいなと思い始めました。
そのころ、一緒のバンドだったメンバーがドラム修行でロサンゼルスに住んでいたので、「ちょっと居候させてくれ」と転がり込みました。
そのドラマーの家に、もう1人ドラマーが居候していて、ミュージシャンの喜多郎のバックバンドでドラムを担当していたんです。それがきっかけで、喜多郎のマネジメント会社が、リラクセーゼションコンテンツのテレビ局も運営していることを知りました。
「いやし系のコンテンツビジネスをインターネットに展開したい」という話を聞いて、その会社の人に会ったら、「2日後にプレゼンして」と言われまして。2日で資料をまとめて、ビジネスプランを書いて出したら、「やってくれ」ということになって、それから半年ほど、米国の「CocoroTV」という会社で働きました。
その後「ココロネットワークス」という関連会社を日本に作って、東京に戻ってきました。iモードが立ち上がったころで、いわゆるケータイ公式サイトで「ココロ癒しモード」という「ケータイと対話できる」仕組みを作りました。
阿部川 今の「siri」みたいですね!
金本氏 音声認識や入力はできませんが、やり取りを繰り返すと、画像や占いの結果が出たり着メロが流れたりする、「人と話しながら、自分の悩みを解消していく」サービスでした。
「どういう選択肢で」「どういう風に行動すると」「最終的にどこにいく」といったアドベンチャーゲームのような仕組みのアルゴリズムを考えて、とても細かなExcelのマトリクスを作りました。実装は外部に依頼しましたが、内容が偏らないように、使っていて飽きないようになど、実装後のチェックは全部自分でしました。
阿部川 エンジニアのバックグラウンドが生きたわけですね。
金本氏 エンジニアの経験があったからこそ、できたことだと思います。キーワードが分かれば、エンジニアと会話できるし、どのエンジニアが良いか悪いかも分かります。どういうことが実現できるのか予想できれば、依頼の仕方も変わります。
それは今の宇宙の分野でも同じで、大学で電気回路やLSIの設計法や使い方や、AIの載せ方などを一通り学んだので、ロボットや人工衛星がどういった制御工学で動いているのかを理解できるのです。
阿部川 人間には核になる部分が必要だと思います。金本さんにとって、それはエンジニアリングだったということですね。
金本氏 そうですね。何か問題があったり、何か解決したいことがあったりしたときに、技術でアプローチをして、仕組みを作りだして、問題を解決できる。エンジニアは、限られた人だけができる仕事だと思います。
たとえ下請けでプログラムを書いている人でも、他の人にはできないことをしているのです。自分の力で課題を解決して、相手の希望に応えたり、相手が喜んでくれたり、といった経験は、エンジニアならではのやりがいではないでしょうか。こういう経験の重要さは、外に出たときに初めて気付けるのです。
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